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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第123回

ダイナスティ
ジャッキー・マクリーン
撰者:大橋 郁


【Amazon のCD情報】


今回紹介するアルバムは、ジャッキー・マクリーン(as)が、息子のルネ・マクリーン(ts、ss、fl)をフィーチャしたクインテットで1988年11月にカリフォルニアで録音したアルバムである。
中古CD店で見つけ、何気なく入手したのだが、聞いてみてびっくりした。
内容はハード・バップの延長線上ではあるが、明らかにスピリチュアル・ジャズのテイストが入っている。それもかなり激しく、爆発的に強力な演奏である。

元々ジャッキーは、オーソドックスなハード・バップを演奏するメイン・ストリーマーだったが、1967年のアルバム『ニュー・アンド・オールド・ゴスペル』で、オーネット・コールマンと共演して、一時フリー・ジャズにも傾倒している。また、息子のルネ・マクリーンは、何度も日本やアフリカに長期滞在したり、スピリチュアル・ジャズで高名なダグ・カーンのBLACK JAZZレーベルへの録音にも参加して、フリー・ジャズを始め様様なスタイルを吸収していることを考えれば、当然なのかも知れない。

構成曲は、ほとんどがマクリーン親子やバンド・メンバーのオリジナルであり、全編吹きまくりの大迫力で、捨て曲無しである。特に1曲目の「ファイブ」、2曲目の「バード・リブズ」、4曲目の「サード・ワールド・エクスプレス」などは、エキサイティングで疾走感あふれる演奏だ。
息子のルネ・マクリーンのテナー・サックスの方はストイックな演奏に感じる。それにジャッキー・マクリーンは、この時57歳であったはずだが、年齢を感じさせないどころか、まだ前進しているのを感じることが出来る。

バラード曲としては3曲目に一曲だけ、バート・バカラック作曲の「ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム(House Is Not a Home)」が挿入されている。「あなたが居なければ、この家はただの"家"であり、我が家じゃない。もう一度心を寄せ合って、家を愛のある”我が家”にしたい。」と歌うこの曲を、実に気持ち良さそうに吹いている。



ジャッキー・マクリーンは、写真を見ると一見白人に見えるが、実はニューヨークの黒人街ハーレムに生まれた黒人ミュージシャンである。しかし、チャールズ・ミンガスと同様にかなり皮膚の色の薄い黒人である。そして、ミンガス同様に中身は黒人としての意識が強い。
息子のルネは、ジャッキーと違って肌の色の濃い黒人のようであるが、ジャッキーが1931年生まれ、ルネは1946年生まれと年齢が近いことから考えても、恐らく養父・養子の関係なのであろう。

余談だが、ジャッキーはイースト・ハーレムにあったベンジャミン・フランクリン高校に入学したが、3年ほど先輩にソニー・ロリンズ(ts、当時はas)がいてすっかり心酔し、よく一緒に演奏したらしい。ジャッキーは、基本的にはチャーリー・パーカーの影響下からスタートしたように言われているが、この頃の彼らのアイドルは、レスター・ヤングやコールマン・ホーキンスだったようだ。



ジャッキー・マクリーンは、1967年にブルーノートに吹き込んだ「デーモンズ・ダンス」以降、録音から遠ざかっていた。そして、デンマークのコペンハーゲンで創設されたジャズ・レーベル「スティープル・チェイス・レコード」の記念すべき第一弾として、1972年にジャズ・カフェ「モンマルトル」でのライブ盤を録音している。(第93回ご参照【リンク】
これは、5年間の沈黙を破っての復帰作だったが、中身はケニー・ドリュー・トリオをバックにしたストレートでオーソドックスなハード・バップだった。即ち、モードやフリー・ジャズなど、いくつかのスタイルを吸収しながらも、原点回帰したスタイルでの演奏だった。

実は、マクリーンが60年代末から70年代初期にわたって録音から遠ざかっていたのは、その時期、ニューヨークの北側に位置するコネチカット州のハートフォード大学での大学教員としての仕事や、カルチャーセンター「アーティスト・コレクティブ」(妻のドリーと共同で設立した)の主宰者としての仕事が多く、ミュージシャンとしての活動が制限されていた為であった。
マクリーンは後に、ハートフォード大学でアフロ・アメリカン音楽学部の学長となり、自分達の祖先の歴史や黒人音楽史、ジャズ理論を教えることになる。 このアルバムで共演しているホテップ・イドリース・ガレタ(p)や、ナット・リーブス(b)は、ここでの教員仲間である。

因みにハートフォード市はコネチカット州の州都であり、ニューヨークのマンハッタンからもクルマで2時間ほどの距離という格好の環境に位置した学術都市である。「堅い習慣の土地」というニックネームを持つ州だそうだ。

こうした好環境の中で継父ジャッキーの薫陶を受けて育ったルネは、アフリカで演奏旅行や多くの録音を重ね、南アフリカ共和国の女性と結婚している。また、日本の伝統音楽や美術を研究するために日米友好委員会から芸術家奨学金を受けて、日本に1年間滞在していたこともある。その上、ティト・プエンテやモンゴ・サンタマリアなどのラテン作品にも参加している。
このアルバムを聞いて私は、アフリカを強く感じたが、ルネのアフリカ好きは恐らくは自らのルーツとしてアフリカを強く意識している父親の影響であろう。



ジャッキー・マクリーンは、家族を始めとする血縁関係や地縁関係を重視する傾向が強い人なのではないだろうか。愛娘の為に作った「リトル・メロネー」や、息子の「ルネ」、母の「オメガ」等、家族の名を冠した曲も多い。
また、当アルバム「ダイナスティ」以外にもアルバムやライブでの機会がある度に、息子のルネにチャンスを与えている。そして何より、ハートフォード市におけるカルチャーセンター「アーティスト・コレクティブ」は、妻ドリーとの共同で、地元に貢献しようとして開始した事業だ。
このアルバムのタイトル「ダイナスティ」(Dynasty:王朝)は、ジャッキーが若いミュージシャン達による王国をつくりたいと考えて名付けたそうだ。

「ダイナスティ」は、自分のルーツをしっかりと見つめ、そしてあらゆる異文化に敬意を払い、受け入れてきたマクリーン親子によるひとつの到達点かも知れない。


そんなマクリーン親子の「ダイナスティ」を聴きながら、人の信仰する宗教や文化そのものを否定、侮辱するどこかの国のマスメディアを連想した。
宗教観や文化は、ジャズに大きく影響している。ジャズとは直接関係ないかもしれないが、最近思ったことを少し書いてみたい。



2015年の年明け早々、日本ではまだ松の内にフランスの新聞社が襲撃され、12人が殺害されるテロ事件が起きた。イスラム教の預言者の風刺画を掲載したことがきっかけであったが、この後、表現の自由をめぐって大規模な抗議デモがあったり、イスラム教の信者の多い中東やアジア・アフリカの国では反発するデモが起きたりと、大変なことになっている。

事件直後は、「反テロ」「反イスラム」といった報道が主流であったが、次第に「表現の自由なのか侮辱なのか」と、議論のポイントが少しずつ移動してきたようである。背景のひとつは、キリスト教社会である西欧とイスラム世界との対立であるのは間違いないだろう。
常々感じているのだが、どうも私達日本人の得る知識はキリスト教社会から発せられた情報に偏り過ぎているように思う。日本人は、八百万(やおよろず)の神が住む日本に生まれ、一神教の宗教に無縁の人が多数派ではあるが、情報ソースは圧倒的にキリスト教社会であることを割り引いて考える必要がある。

つまり、日本人も知らず知らずのうちにキリスト教的価値観で判断してしまっている恐れがあるのだ。世界の人口のうち、イスラム教徒は15億人もいる。4人に一人はイスラム教徒ということになる。キリスト教徒は世界人口の33%の22億人と最大ではあるが、逆に言えば地球上の7割近くの人々は非キリスト教文明の中で暮らし、キリスト教とは異なった価値観を持っているのである。
風刺漫画家に、その配慮があったのかどうか。世界の中心にキリスト教があると信じ込み、キリスト教的世界観の枠内でのみ作り上げた主義・主張を押し付けていなかったか。

襲撃を受けた新聞社は、過去に預言者ムハンマドを同性愛者として描いた風刺画を掲載したり、ヌード姿のムハンマドの絵を複数回にわたって掲載していた。風刺漫画家は「私はフランスの法の下に生活しているのであって、コーランに従って生きているわけではない」と主張しているが、これが果たして表現の自由だろうか?
仮にムハンマドをイエス・キリストに置き換えた漫画が掲載されたら、キリスト教徒であるフランス人たちは「よくぞ表現の自由を守った!」といって、その漫画を褒め称えるのだろうか?
表現の自由を主張するのであれば、逆に自分も異質なものを否定せず、異文化の声に耳を傾ける寛大さが必要とされるのではないか。キリスト教的世界観の枠組みはいったん外して考えるべきではないのか?

一方でこれらの報道は、日本の良さを見つめ直すきっかけにもなったと思う。私たち日本人には、白黒ハッキリさせないあいまいさ、異なるものを排除しない寛容さ、あいまいに流していく良さがある。結婚式はキリスト教の教会で神に愛を誓い、正月には神社に参拝し、葬式は仏式で行う。あらゆる宗教を受け入れ、矛盾せず幸福に共存しているのが日本の特徴であり、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった一神教の世界にない寛容さが日本人にはあるのではないだろうか。


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