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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第63回

ラメント・フォー・ブッカー・アアーヴィン
ブッカー・アーヴィン
撰者:吉田輝之


【Amazon のCD情報】

こんにちは、腰・ひざ・心臓の3重苦に悩む吉田輝之です。それが良かったのか、悪かったのか。殆ど外で飲むことがなくなり、家でオリンピックをテレビで見ながらじっとしています。さみしいような、うれしいような、なさけないような。
それにしても、今年はもしかしたら冷夏?と油断していたら来ましたね、猛暑が。皆様、ご自愛下さい。

さて、今週の一枚は「LAMENT FOR BOOKER ERVIN」です。



1965年10月29日ベルリンでサックス奏者を集めたジャズフェスティバルが開かれた。このアルバムの1曲目「BLUES FOR YOU」はその時のブッカー・アーヴィンの演奏だ。
「ブルースをやる」とアーヴィンが無愛想に言って、演奏が始まる。
バックはピアノがケニー・ドリュー、ベースがニースル・ペテルゼン、ドラムがアラン・ドーソンだ。
アーヴィンは1964年から2年程ヨーロッパに滞在している。ドリューとペテルゼンはヨーロッパ組だから、当時のアーヴィンのヨーロッパグループと言える。しかし、ドーソンが何故ヨーロッパにいるのかよくわからないが、フェス用にアーヴィンが呼んだのかもしれない。

超一流のメンバーだが、この演奏、ほとんどアーヴィンが一人で吹きまくるのだ。ドリューがソロを弾こうとするがアーヴィンが押しのけるように吹き続けるため入れず、あきれて一時バッキングもやめてしまう。ドリューの対応からアーヴィンが一人で吹きまくるというのは、打ち合わせなしに、その場でアーヴィンが突然起こした行動であることがわかる。
ペテルゼンは当時まだ20歳、ヨーロッパの天才ベース少年の時代で、黒人ジャズマンによる暴走にも「これも修行」とばかりに真面目についていくという対応だ。
ドーソンはアーヴィンのプレスティッジメイトであり、さすが、ロイ・ヘインズと並びガチンコ勝負なら史上最強と噂されるドラマーだけあって平然とバックを務めている。
スタッフが「やめろ、やめろ」と言うのも聞かずになおも強引に一人で吹き続け、その時間27分42秒。しかし実際は1時間以上も吹き続け、レコード編集したともいわれている。
このフェスではサックス奏者一人当たり15分の時間が割り当てられたそうで、そのことへの抗議として長時間吹きまくったともいわれるが、それは単なるきっかけだろう。

この演奏、止めどもなくインスピレーションが湧いて想定外に止まらなくなったという演奏ではない。
聴衆の拍手喝采を得ようと延々と吹き続けた演奏でもない。
笑われてもばかにされても絶対に吹き続けるという演奏だ。
饒舌だ。だらだらとした無駄なフレーズが多すぎる、一人よがりだといくらでも批判はできるだろう。
しかし、これは、魂の奥底から、何かわけのわからないものSOMETHINGが突き上げてきて吹かずにおれなかった、としか言いようのない演奏なのだ。
紋切り型の陳腐な表現で申し訳ないが、これを「魂の叫び」と呼ばずして何を「魂の叫び」と言うのか。

ブッカー・アーヴィンは同世代のコルトレーンやロリンズに比べて決してその知名度は一般的ではない。また、ローランド・カークやユセフ・ラティーフのように90年代以降大きく再評価されたという話も聞かない。

しかし、ジャズ喫茶族の一部、それもジャズジャーナリズムとは無縁にジャズを聴き続けてきた人間にとっては昔から強く支持されてきた存在だ。
僕が彼の演奏をじっくり聞いたのは、やはりジャズ喫茶だったと思うが、どこのジャス喫茶かは思い出せない。しかし、最初聞いた時に「コルトレーンかな」と思った記憶はある。しかし、フレーズの最後が抜けていくような独特の癖があり誰だろうと、ジャケットを確認しに行った。今思えばプレスティッジの「HEAVY」か「THE SONGBOOK」だったはずだ。

アーヴィンは1930年テキサスの北部デニソンで生まれた。人口2万人程度の小さな街だ。歳はロリンズとクリフォード・ジョーダンと同じ、コルトレーンより4歳下だが同世代と言ってよいだろう。父親がセミプロのトロンボーン吹きで彼も最初はトロンボーンを吹いていたが、トロンボーンでは速く吹けないとのことで、空軍の楽団にいるときに独学でテナーサックスを修得したらしい。その後、50年代初め、ボストンのバークレー音楽院の前身となる学校で学んだ。この時おそらくボストン派とでもいうべきジャズ人脈ができたと僕は推測している。
その後、NYに出て盟友となるホレス・パーランのグループに参加。そして58年から63年まで出たり入ったりはあるがミンガスのバンドに加わった。アーヴィン在籍時のミンガスのレコードは、「MINGUS AH UM」「BLUES AND ROOTS」「MINGUS MINGUS MINGUS MINGUS MINGUS」と傑作ぞろいだ。一方、リーダー作として当時サボイ、ベツレヘム、プレスティッジにリーダー作を残している。特にプレスティッジのアルバムは題名に自分の名前をかけたブック・シリーズが有名だ。

アーヴィンの演奏について人に説明するのは難しい。それは彼の演奏が二つの面を持ち聴く人によって全く異なる印象を持つからだ。
一つは、テキサステナーの伝統を引き継ぐ、強く、豪快で、一本気で、アーシーに、ブルージーに、泥臭く吹きまくる面だ。
同時に、アバンギャルトと言ってもよい先鋭的な面だ。特にそのフレージングの最後に音を抜きベントさせ、ひしゃげた音を出す奏法と、コルトレーンのシーツ・オブ・サウンズをおもわせるビートを細かく細分化して目まぐるしく吹き音を敷き詰めていく奏法によるモダニスト的な面だ。
この二つのどちらも面を強く感じるかは聞く人間のジャズ観が反映されると言っていい。

彼の奏法についてはコルトレーンの影響を指摘する向きもあるがそれは違うと思う。コルトレーンがシーツ・オブ・サウンズを完成させ圧倒的な影響力持つのは50年代末からだが、同時代既にアーヴィンは自分のスタイルをほぼ完成させているのだ。パーカーとソニー・ステットがほぼ同時期にバップスタイルを開発したのと同様に、コルトレーンとアーヴィンは同時期に別々にシーツ・オブ・サウンズを開発したと僕は思っている。
また、デクスター・ゴードンのスタイルの影響を受けているとも言われるが、当のゴードンはSJ誌のブラインドテストで、アーヴィンについて「誰の影響を受けているか全くわからない。まだ、ローランド・カークの方がよくわかる」と言い、またアーサー・ブライスも同誌のブラインドテストで、そのハーモニー及びベントするその奏法の独創性について言及していることからも、彼の奏法は全く独自に開発したものといえる。それだけに人によって好き嫌いがわかれるのだろう。

しかし、僕は彼の演奏からその豪放性や先進性よりも、いつも強い「悲しみ」を感じていた。
コルトレーンのバラードは悲しいがセンチメンタリズムがあり、聴いた後どこか暖かい気持ちになる。しかしアーヴィンのバラードにはセンチメンタリズムのカケラもなくドライでハードであり、聴いた後激しく落ち込んでしまう。

例えば彼の「COOKIN'」と「HEAVY!!!」で演奏された「You Don't Know What Love Is」である。コルトレーンとロリンズの名演でもしられている曲だが、曲自体がもともと一種の「恨み節」でありアーヴィンのこの演奏からは何と言おうか、
「橋の上で川に飛び込もうかと逡巡していると、後ろからいきなりドーンと押されて川で溺死してしまう悲しみ」と言おうか、
「悲しみのどん底でシクシク泣いていたら、そのどん底を踏み破ってさらなる奈落の底に落としてくれる悲しみ」とでも言おうか、
とにかく「身もふたもない」悲しみなのだ。

一方、RANDY WESTONの「AFRICAN COOKBOOK」での「Portrait Of Vivian」での彼の演奏などには、不思議なことににごりのない全てを包み込むような極めて純化された感情も感じるのだ。

その悲しみはバラードだけではなく、アップテンポのブルースナンバー、例えば、今回取り上げている「The Blues For You」でも感じられる。ドライ、ハードボイルドとも評される彼の演奏から悲しみを感じるのは、かなり変わった感性なのかもしれない。そのことに触れた評論も読んだことがない。
しかし、7年程前だろうか、FM番組でゴンチチのゴンザレス三上さんがアーヴィンの「THE SPACE BOOKE」の確か「Number Two」をかけて、アーヴィンのフレージングの最後がベントするところを「イカロスが天に昇ろうとしながら最後天に届かず落ちていく悲しみを感じる」との意味のことを言われ、同じように感じている人がいるのかと思った記憶がある。(はっきりした記憶でないので勘違いだったら申し訳ありません)

アーヴィンの人物像に関する情報は少ないが、酒もドラッグもギャンブルもせずに音楽に没頭する人だったという。しかし、同じクリーンで真面目な性格でもクリフォード・ブラウンの場合は「健全・いい人・さわやか」な印象なのに、アーヴィンの場合は何故か「頑迷・融通の利かない人・暑苦しい」と思ってしまうのは偏にあの牛乳瓶の底のような黒縁の大きな眼鏡とあざらしのような濃い口髭という風貌、プレスハムのような肉体のせいだろうか。また音楽に対するのめり込み方もコルトレーンと同じく尋常ならざるものがあるが、コルトレーンの宗教性、精神性はまるで感じられない。

さて、このレコードに話を戻そう。
このフェスの前、10月10日に親友のジョージ・タッカーが亡くなり、アーヴィンはひどく落ち込んでいたという。また、ほぼ一年前64年6月29日にこの地ベルリンで客死したエリック・ドルフィーのことを思い出していたのかもしれない。

アーヴィンは2年間程ヨーロッパで滞在した後、アメリカに戻りギル・エバンス・オーケストラのソロイストとして活躍する他、ブルー・ノート他にリーダー作を残した。 そして1970年7月30日、肝臓癌で亡くなる。わずか39歳だった。ジャズシーンでの表舞台では十数年の短い活動だった。

このベルリンフェスでの演奏の権利はアーヴィンの奥さんが持っており、これをエンヤのホルスト・ウエーバーが買い取って1975年にリリースした。ドイツ人のホルストは、このフェスでアーヴィンの演奏をまのあたりにした一人だったのではないだろうか。
僕は、山下洋輔のエッセイにも度々登場するこのいかにもドイツ人気質のレーベルオーナーについては前から好感を持っていたが、アーヴィンのライブ音源を世に残そうとレコード化した心意気はたいしたものだと思う。

このレコードの2曲目は、友、ホレス・パーランがアーヴィンを想い作った表題曲「Lament For Booker Ervin」のソロ演奏がおさめられている。1974年の録音で演奏前にポツリポツリとアーヴィンについて語り、静かに弾きはじめる。音は悪く、スタジオでの正式な録音ではなくポータブルデッキでとられたものだろう。しかしアーヴィンを悼む気持ちがダイレクトに伝わってくる感動的な演奏だ。
このパーランもこの録音の翌年1975年に亡くなった。結果としてこのレコードはアーヴィンだけではなくパーランも追悼するレコードとなった。【編註※1】

僕は、アーヴィンというヒトは総体的にいえば最もコルトレーンに近い存在だったと思う。これはその演奏スタイルが似ているとか、二人がライバルであったと言いたいのではない。存在自体がコルトレーンと対(つい)であったと言いたいのだ。
一方はノースカロライナで生まれフィラデルフィアのジャズ社会で音楽的な基礎を固め、海軍の楽団を経てR&Bバンドで揉まれ、マイルスとモンクの元で才能を開花。その後、混迷しつつも巨大な存在となり41歳で肝臓ガンにより死亡した。
他方は、テキサスで生まれボストンのジャズ社会で音楽的な基礎を固め、空軍の楽団を経てR&Bバンドで揉まれミンガスの元で才能を開花。しかし、その後、その巨大な才能は一部しか顕在化せず39歳でやはり肝臓ガンで死亡した。二人の違いは神がアーヴィンではなくコルトレーンを選んだことだけだ。

僕は時々思うのだ。もしパラレル・ワールドというものがあり、その世界にコルトレーンが存在しなければ、その歴史的使命はブッカー・アーヴィンが担ったはずだと。そして、黄金のカルテットはホレス・パーラン(p)、ジョージ・タッカー(b)、アラン・ドーソン(ds)によって組まれだろう。



【蛇足たる補足】
いや、今回のコラム、最後は完全に私、誇大妄想狂の状態です。
この2週間程、アーヴィンばっかり聴いていたので何というか気持ちが入れ込んでしまいました。

深夜、四谷イーグルの後藤さんの本をたまたま読んでいたら、「ブッカー・アーヴィンを聞かずして何がジャズファンだ」という文章を読み、思わず「異議なし」と片手を挙げて叫んでしまいました。

本音のところでは、ブッカー・アーヴィンが60年代にコルトレーンのような「神がかった」作品を残さなくてよかったと思っています。SAVOYの「COOKIN'」やPRESTIGEの「HEAVY!!!」、ROY HAYNESとの「CRACKLIN'」、DON PATTERSONとののアルバム、その他、どれも「真っ黒」です。正直、今後も再評価なんかされず、歴史的名盤にはなってほしくないと思っています。

それにしても、以下のレコード、何故か全然手に入りません。日本の権利を持つレコード会社さん、廉価版でCDを出して下さい。

「SETTING THE PACE/BOOKER ERVIN WITH DEXTOR GORDON」(PRESTIGE)
「THE EXCITING NEW ORGAN OF DON PATTERSON WITH BOOKER ERVIN」(PRESTIGE)
「HOT LINE/BILL BARRON WITH BOOKER ERVIN」(SAVOY)

【編註※1】
この〈パーランもこの録音の翌年1975年に亡くなった〉というくだり、筆者の思い違いであることが判明。詳細はこちらへ。


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