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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第100回

Kind of Jazz Night 連載100回記念
片岡 学 インタビュー

第4部



第1部 少年時代
●ジャズとの出会い
●佐世保、岩国、神戸、京都の修業時代

第2部 ジャズでメシを食う
●東京時代、いよいよプロへ
●コンボからオーケストラへ
●シャンパンミュージックとの出会い

第3部 東京から神戸へ
●ニューハード、東京ユニオン、スターダスターズ時代
●神戸への帰還
●神戸北野クラブを皮切りに、再びトランペットを

第4部 70歳を越えて
●70歳にして初めてラッパを習う
●ジャズは人との出会いそのものだった



インタビュー
2013年7月27日
神戸市再度山 鯰学舎にて

取材:大橋郁、松井三思呂、吉田輝之、平田憲彦
協力:片岡美奈子氏
企画:松井三思呂
編集:平田憲彦
発行:万象堂



万象堂Kind of Jazz Night連載100回記念、トランペッター、片岡学さんの2万字スペシャルインタビュー。4回に分けて掲載いたします。



第4部 70歳を越えて

●70歳にして初めてラッパを習う

18歳からミュージシャンになって、いろんな人に教わってきました。いろんな人も見てきました。だいたいのミュージシャン生命は45歳くらいまででしたね。まず、歯がダメになる。それから、結核などの病気。
教わってきたというのは、現場で演奏しながらという意味で、音楽の学校に行ったこともなければ、先生について習ったこともない、まったくの独学なんです。自分の耳のみ。だから、ああ、もうダメかな、と感じるときが来るんです。これ以上は上達しないな、と自分でわかる瞬間がある。かといって、今更教えてもらおうという気にもならないんですよ。関西にはたくさんのミュージシャンはいますけど、今更ねえ(笑)

東京から来た友人のバンちゃん(光井章さん)は、ものすごくハイトーンを出せるトランペッターで。神戸に来る度に「片やんのとこに行っていいかな」
「おお、今晩は酒飲んで楽しもう」
みたいなことを言う。
酒飲みながらラッパを持たせて、あーだこーだと言い合うわけです。なんでそんなハイトーンが出せるんだ、と。そしたらバンちゃんが
「何でもっと早く言わなかったんだ」
と言うわけです。

「いくらでも教えてあげるのに」
「なんだよそりゃ(笑)」
そんなんじゃ教えてもらおうって気にはならないよね。

そういう雑談みたいな話ならいくらでもあるんですが、ちゃんと習いたいなと思える人は誰もいなかった。そもそも、トランペットの仕事をしながらトランペットを習うなんてことは出来なかったんです。つまり、僕はトランペットで食ってた。毎日吹いて、それで唇をつくって音楽をやってお金をもらっているわけですから、別の人に習うことで唇の調子が突然変わってしまったり、仕事で演奏中に音が急に変わったりしたら、もうそれでクビです。
スタジオミュージシャンの仕事なんてシビアですから、録音で数回ミスったりしたら、その時は「今日はお疲れさん」なんて言ってもらえるけど、もう二度と声はかからないわけです。

70歳になったときに、思ったんです。もう音も出なくなってきたし、今の調子をどういう風にすればいいかもよくわからなかった。もう辞めようかなと、すごく自信をなくしてしまったんです。ところが、その頃、広瀬未来君という若いトランペッターと同じステージに立つ機会があった。彼は若いバンド、僕は年寄りバンド。彼はすごくシャープな音を出してた。休憩時間に彼のところに行って、「名前はなんて言うの?」と訊いた。
「広瀬です!」と元気良く答えてくれた。
「音を出すのを教えてくれないかな」って、ちょっと笑いながら話をしたんですね。
「いいですよ、片岡さん!」
って言ってくれましてね。

それで我が家に誘って。そうしたら、クルマに乗って遊びに来てくれたんです。トランペットのいろんなことを訊いて、彼もそれに対して一生懸命に答えてくれた。でも、それだけでは僕の音は出ない。そうしたら、広瀬君が「週に一回か、二週に一回か、ラッパを持って遊びに来ますから」
そう言ってくれた。

音のこと、吹き方のこと、いろいろ話をして教えてもらったんだけど、僕にはなかなか出来なかった。
しばらくして彼から「来月からニューヨークに行くんです」と話があったんです。しばらく僕の家には来れない、ということになったわけです。ところが、
「今教わっている先生がアメリカから帰ってきてるので、ご紹介します」
と言ってくれた。
嶋本高之さんというトランペッターでした。僕の息子と同い歳(笑)。嶋本さんとは素晴らしい出会いになったんです。

で、彼の演奏を聴いたんですが、これがすごい。この人ならちゃんと習えると思って。
そんな次第で、70歳を過ぎてからずっとレッスンに行ってるんです。

僕は今まで、教えることもなかったし、教わることもなかった。でもこうやってお金を払って教わるということを始めて、これは何でも訊けるなとわかった。彼も、こんなおじいさんの生徒に何を感じてるかわからないけど、一生懸命教えてくれる。僕に要求を出したり、一緒に吹いたりとかね。
それから今に至るまで8年間、ずっと続けてます。死ぬまで通うから、頼むね、って話してるんですよ(笑)

昨年(2012年)までは月に4〜5回通ってました。毎週月曜日の7時から9時頃まで、10人以上の生徒が集まって吹くわけですが、休憩時間は5分が二回だけ。もう吹きっぱなしです。僕はそういう練習を今までしたことがなかった。半音階ずつ順番に吹いていって、詰まったら次の人に回される。そういう基礎練習を延々と。それで家に帰ってきたら夜の11時半くらいで、もうクタクタ。

今この歳でレッスンに行って教わるというのは、ほんとに楽しいんです。でもね、レッスンの日の当日は習ったことが残ってるんだけど数日経つと95%は抜けていきます。昨日なにを食べたかな、という物忘れと同じ。でも、なんとか頭に残したいと思うので、譜面があったらまずそれを10回やる。ちょっと時間をおいてまた10回やる。だいたい100回くらいやると半分くらい残りますね。それをやってないとダメですね。それをやらないと「レッスン行って、今日も良かったなあ」だけで済んでしまう。

今の関西の若手ジャズミュージシャンとも時々一緒に演奏するんです。先日も大野俊三君と一緒にやりました。彼らはバリバリのニューヨークのジャズをやってて、それはさすがに僕は出来ないから、以前に録音した曲を僕が持って行くので、やろうと。3曲ほど一緒にやってね。

ソネに出たときも、若手のミュージシャンと一緒にやりましたけど、なんというか、その時のメンバーは心遣いがもう少しあってもいいかなあと思ってしまった。トランペットという楽器はリズム楽器じゃなくて、メロディ吹いてアドリブを吹いてという楽器だから、どこかで入ったり出たりということが必要です。でもその時の彼らは、いったいどこに向かってるんだという感じで、裏を行ったらずっと裏で、僕が入るタイミングが見つからない。そうかと思えば、僕が吹いていると突然変則的なコードを突っ込んできたり。自分が行きだしたら、もう俺はこうだと他人の演奏はお構いなしでね。まあ、僕も若い頃はそうだったのかもしれないけど。だから逆に、俺も歳を取ったなあと思いながら演奏してましたね、その時は。

そういう意味では、阪神大震災の後に来日したピアノのラルフ・サットンは素晴らしかった。3回一緒に演奏したんですが、ラルフ・サットンが訊いてくるんです、「どういう曲をやるの?」と。
僕は、ディキシーランドは出来ない、と答えた。譜面があったらそれらしくは出来ると思うけど、上手くは出来ないと思うと答えた。
それで、打ち合わせも済んでステージに出たんです。演奏が始まって驚きました。なんと優しいピアノ!
例えば『Exactly Like You』という曲もやりましたが、「はい、次からトランペットのソロですよ、はいサビですよ、はい次はピアノに戻りますよ」という合図を、彼のピアノのフレーズで示してくれるんですよね。あんなに温かくて丁寧に演奏してくれるなんて、ほんとうれしくて。ラルフ・サットンという人の人柄でもあるんでしょうし、これがジャズだよねと思いました。ピアノの大塚善章さんと年に何回か演るんですが、彼にも同じような事を感じます。


●ジャズは人との出会いそのものだった

昨年の7月に肺を手術して、その後の4ヶ月まったく吹かなかったんです。もう吹けなくなったかなと思って10月にちょっと吹いてみたら、これが音が鳴る(笑) それからまたレッスンを再開して。

手術で少し落ち込みましたが、ラッパを吹いてて良かったなと、改めて思いましたね。僕は今まで、いろんな音楽をやってきました。シャンパンミュージックが一番とは言いませんけど、いろいろな人との出会いがうれしかったですね。

トランペットのブルー・ミッチェルとの出会いもそうです。今まで好きで心酔したトランペッターは、まずはチェット・ベイカーです。チェットを持って東京に乗り込んでいったようなものだから。その後は、ブルー・ミッチェルなんです。このアルバム、『Blue's Moods』は大好きです。


Blue's Moods
Blue Mitchell
【Amazon のディスク情報】

東京時代に2度お会いしました。その時、僕は彼のフレーズをコピーして目の前で吹いたんです。そうしたら「ベリグッド!」って叫んで、俺の替わりに吹けよ、なんて冗談で言われたり。その後僕が神戸に帰ってきてから、ベースの西山満君と一緒にやってたときに、ブルー・ミッチェルとハロルド・ランドと、来日してる彼らが来てくれたんです。三宮にね。
西山君が僕に言うには、「ギャラは払えないけど、最高のブランデーと最高のもてなしをしてあげてください」と言う。そしたら喜んでね。
この写真はね、その時のもの。若いなあ(笑)


ブルー・ミッチェルと


それともうひとつ、TBSのドラマで『おかあさん』という番組があった。昭和38年、毎週放映です。トランペットを吹くことでしか自分を表現できない少年と、その母の物語。それの音楽を担当してくれないかと依頼が来まして。トランペットで。演出家の吉川正澄さんが僕に会いたい、と。

「片岡さん、ブルー・ミッチェルの『I'll Close My Eyes』を聴きながらこのドラマの企画を進めたんです。ご存じですか、ブルー・ミッチェルは?」



ドラマ『おかあさん』の台本と、名盤『Blue's Moods』
※クリックすると拡大します

知ってるも知らないも、その曲も、彼のフレーズも、目をつむっても吹けますよ、なんて話して。
そういうことで、やることになりましてね。テーマから何から全部。若手俳優を使ってトランペッターの主役をさせるので音楽は片岡さんよろしく、と言われて録音はしたんです。そうしたら数日経って連絡が来ましてね、その役者がどうにも手の動きが良くない、トランペットを吹いてるように見えない、と。
僕に主役をやってくれないか、と言われちゃってね。で、やらせてもらったんですが、一つお願いをしたんです。僕のせりふはナシにしてほしいと。ラッパを吹くシーンのみにしてほしいと。柳家子さん師匠と丹阿弥谷津子さん。俳優の金子信雄さんの奥さんですね。


ドラマ『おかあさん』のスチール


東京時代に、サックスの渡辺達朗さん、渡辺貞夫さん、渡辺明さん、という三人のサックスの名手がいました。三人とも渡辺さんで。渡辺達朗さんはものすごいアルト吹きで、リー・コニッツばりの素晴らしい演奏をするんです。東京では真っ黒な演奏が多かったなかで、あんなに真っ白な演奏をする人は珍しかった。その渡辺達朗さんともご縁があって、何ヶ月か一緒に演奏をさせてもらったことがあるんです。こんな人が日本にいたのかと思うくらいのアルトで。僕よりも10歳は年上だったので、今はどうされてるかわかりません。

渡辺明さん、彼は豪快なサックス吹きでジョニー・ホッジスみたいな音を出すんです。彼は東京ユニオンのバンドリーダーだった頃がありましてね。

渡辺貞夫さんとは同じ事務所で、彼は八城一夫さんのバンドにいらしたんです。事務所の社長が貞夫さんに仕事が来たときにラッパが要るとなると僕に声がかかったりして。それでいろんな仕事を一緒にさせていただいたんです。

その3人の渡辺さんというアルトサックスと一緒に演奏できる機会があったというのは、ほんとうにラッキーだったと思います。

そんないろんな縁がありましたね。



神戸三宮のバー『マティーニ』にて演奏中(2013年8月25日)

今は、年に4回、神戸三宮の北野坂にある『マティーニ』という店で演奏してます。カルテットなんですけど、僕の演奏を聴きたいと言ってくれるお客さんがいるもんだから、その人たちに向けて吹くんです。僕は「なんでもやるよ」、と彼らに話してます。そのかわりメロディだけね、と(笑)。20人くらいしか入れない小さな店ですが。1回に2ステージだけ、やってます。

今日で78歳を8ヶ月ほど過ぎました。
今の僕は、温かいジャズをやりたいですね。



インタビューは以上です。

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片岡 学(かたおか・まなぶ)
ジャズトランペッター
昭和9年(1934年)12月 兵庫県明石市生まれ
高校生時代から神戸三宮のジャズクラブでトランペットを吹く。卒業と同時に佐世保、岩国の米軍基地や神戸、京都のジャズクラブで演奏する修業時代を経て東京へ進出。スモールコンボのジャズから、ニューハードや東京ユニオンといった著名なオーケストラにも在籍し、ジャズクラブやテレビ、ラジオなど様々なステージで活躍。昭和47年(1972年)から神戸に移住。北野クラブやテレビなど多くのステージを経て、80歳を目前にした現在でもなお現役。マイペースで神戸を中心に音楽活動を続ける。
神戸の再度山にある日本料亭『鯰学舎』、併設するジャズ喫茶『Cafe はなれ家』のオーナーでもある。

鯰学舎
【公式サイト】

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