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主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。

第157回
Moody
Marilyn Moore



ムーディ
マリリン・ムーア
撰者:吉田輝之



Moody
Marilyn Moore
【Amazon のディスク情報】

1. I'm Just A Lucky So And So
2. Ill Wind
3. If Love Is Trouble
4. Is You Is Or Is You Ain't My Baby
5. Born To Blow The Blues
6. Lover Come Back To Me
7. You're Driving Me Crazy
8. Trav'lin All Alone
9. I Cried For You (Now It's Your Turn To Cry Over Me)
10. Leavin Town
11. Trouble Is A Man
12. I Got Rhythm



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神戸元町のジャズバー、Doodlin'

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新神戸駅近くの隠れ家バー。


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こんにちは、年が新しくなったのに、全然気持ちが新しくなっていない吉田輝之です。初詣にも行ったし、お雑煮も食べたし、お屠蘇も飲んだし、お墓参りもしたし、さらに1月3日に三宮の音楽バー「ピッコロ」で恒例のユーミンの「春よ、来い」とはっぴいえんどの「春よ来い」を聴いても「新春」という感じが全くしません。こまったものです。

さて、今回の一枚は「MOODY/MARILYN MOORE(マリリン・ムーア)」です。
今回は副題がつきます。「マリリンに逢いたい」です。



1939年6月、ビリー・ホリディのもとに10歳になろうかというカリフォルニアに住む少女から手紙が届いた。彼女はヴォードヴィリアンの家に生まれ3歳から歌い踊っているが、将来ジャズシンガーになるためにはどうしたらよいかという内容だ。

ビリーはこの手紙に返事を書いた後も二人の間で手紙のやりとりは延延と続き、ビリーからは少なくとも30通以上の手紙が送られた。単なるファンレターに対する返事としては多すぎるほどの数だ。

手紙の内容は多岐に渡り、ニューヨークに来るときは強盗にあわないように気をつけること、ジョン・ハモンドやベニー・グッドマンとの思い出、ジョン・ハモンドがあなたを気に入ればビッグスターになれる事など等。

彼女が送ってきたデモテープに対してビリーは
「タイミングの練習をもっとしなさい。タイミングは音楽の最も大事なことです。(それさえ得られれば)あなたの美貌と声をもってすれば、あなたはスターになれる。
(practice up on your timing:that is the main thing in music and your face and voice you will be killer)」
とまでアドバイスを送っているのだ。

手紙を送った少女の名前はマリリン・ムーア。ビリー・ホリディが亡くなる1年前の1957年にベツレヘムレーベルから彼女のレコードが出された。「ムーディ(MOODY)」と題されたこのレコードが彼女唯一のソロアルバムだ。

彼女の歌声を聴いた者は誰もが言う。
「これはビリー・ホリディだ」と。



映画「ビリー・ホリディ物語/LADY SING THE BLUES」が日本で公開されたのは1973年6月だ。
中学2年生だった僕は三宮阪急会館でこの映画を観た。中学生になった頃には、小遣いをためて時々映画を一人で観にいくようになっていた。
この時、別の映画を観にいくはずだったが、阪急会館内でビリー・ホリディの映画が上映されているのを知り入ったのか、間違えて入ってしまいそのまま観たのか記憶は曖昧だ。

ビリー・ホリディの名前は知っていた。中学生になって洋楽熱が高まりジャズにも興味を持ち出した頃だ。男ではルイ・アームストロング、女ではビリー・ホリディがジャズ歌手で最高と言われていた。

僕はルイ・アームストロングのベスト盤は持っていたがビリー・ホリディは聴いたことがなかった。
ただ、当時ソロ歌手として売り出していたダイアナ・ロスの主演でビリー・ホリディの映画が作られたということを音楽雑誌で読み、彼女の壮絶ともいえる人生について非常に興味を持っていた。

暗い映画だった。今観たらまた違う印象を持つかもしれないが13歳の少年にとっては暗い映画だった。特に「奇妙な果実」の挿話と麻薬に犯されていく姿が暗かった。

しかし、僕はある種のショックをこの映画から受けつつ感動していたのだろう。「奇妙な果実」の入った油井正一さん編集解説のレコードを買った。コモドア時代の編集盤だ。

ビリーの歌う「奇妙な果実」は暗かった。映画のダイアナ・ロスの歌よりはるかに暗かった。
「ご詠歌みたいだ」と感じた。録音と演奏が古いせいもあるのか、他の曲も暗く思えた。

ダイナミックにシャウトするシャーリー・バッシーが好きだった僕にはビリー・ホリディは全く理解できなかった。

当時、僕はどのレコードも擦り切れるまで聴いたが、このレコードは時々思い出したように「奇妙な果実」だけを聴きその暗さを確認するぐらいで殆ど聴かなかった。

しかし、僕が20歳ぐらいの時だろうか。ジャズ評論家の油井正一さんのラジオ番組でビリーの「I'll Be Seeing You」がリクエストされた。

僕はこの曲に吸い込まれてしまった。

リクエストされた女性から「油井さん、この曲を聴いて泣かないでくださいね」と葉書に添えられており、油井さんは照れ笑いしていた。

久しぶりにコモドア盤を取り出すと、この曲がB面の1曲目に収められていたが、記憶にはなかった。

解説で油井さんは
「わたしが聴くたびに落涙する一曲は〈I'll Be Seeing You〉だ。遠くに行ってしまった恋人。戦場とは言っていないが、ビリーの解釈は明らかに戦地の恋人に対するものとなっている。
その恋人と過ごしたおそらくは最後の数日間、二人で歩き、語らい、立ち止まった場所が断続的に表れてくる。
小さなカフェ、公園、子供が遊んでいる回転木馬、栗の木、そしてお祈りの井戸、
朝の太陽が輝くところで、またお会いしたいわ。
とくると、もう堪らない。どうしても泣けてしまうのだ」
と、この曲に対する想いをとうとうと語っているのだ。

油井さんは「ビリーの解釈は明らかに戦地の恋人に対するもの」と直感で断言している。録音が1944年と戦時下だからというだけではない。

油井正一さんは戦前からジャズに夢中になる一方で、前橋陸軍予備仕官学校から東部22部隊に配属され将校として高射砲部隊で東京大空襲においてB29爆撃機と打ち合い死線を掻い潜った男だった。

油井さんの経験とビリーの想いがシンクロしたのだ。



話を少し戻そう。

一曲わかれば後はわかる。僕はビリー・ホリディにのめりこんでしまった。

それから少ししてからのことだ。FMラジオをつけると偶然流れていた曲を聴き「ああ、これはビリー・ホリディだ」と思っていると、パーソナリティはビリー・ホリディに「生き写し」といわれたマリリン・ムーアの歌だという。

驚いた僕は当時よく行っていた三宮の裏道にあるHというレコード店に行き、店主のFさんに「マリリン・ムーアという歌手のレコードが手に入るか」と聞いた。Fさんもマリリン・ムーアについて知らなかったが、調べてもらうと1枚日本で出ているというので注文した。

Fさんはもともと高速神戸駅の地下街のレコード店に勤めていて、80年頃、三宮の端っこでロックや黒人音楽を中心に販売する小さなレコード店を開業した。ここは何故か日本盤の新品を1割から2割ほどディスカウントして売ってくれる店で、僕は日本盤については殆どここで買っていた。

1週間ほどしてレコードを取りにいくと、Fさんは「こんなん買うんか?」と言い、少し呆れた顔をしてそのレコードを渡してくれた。
ジャケットを見ると上目勝ちの白人の女性の写真が写っている。僕はその時始めてマリリン・ムーアが白人歌手だと知った。歌い方がビリー・ホリディにそっくりなのでなんとなく黒人歌手だと思っていたのだ。

Fさんはいつもブルースやソウルなどのレコードを買う黒人音楽フリークの少年が何で白人女性のジャズ歌手のレコードを買うのだろうと思ったのだろう。
家に持ち帰って聴いてみると、やはりビリー・ホリディにそっくりだ。

改めてジャケットを見ると「美人だなぁ」と思った。しばらくして、彼女が西洋社会ではある種の差別を受けてきた赤毛の持ち主であることに気付いた。



マリリン・ムーアは1931年にオクラホマ州オクラホマ・シティで生まれた。前述した通りヴォードヴィルの一家で生まれ3歳から歌い踊りだした。10代からビリー・ホリディに出した手紙の通り歌手に専念し1949年にウディ・ハーマン等の楽団で歌い、アル・コーンと結婚して4年間活動を休んだ後、ベツレヘムレーベルにこのレコードを吹き込みカムバックした。

ユダヤ人の州と言われたオクラホマ出身、一家がヴォードヴィリアン、歌った楽団がウディ・ハーマン、夫がアル・コーンとなると、彼女もやはりユダヤ人(jewish)なのだろう。

このレコードのメンバーは夫のアル・コーン(ts,bcl),ジョー・ワイルダー(tp)、ハリー・ガルブレイス(g)、ドン・エブニー(p)、ミルト・ヒントン(b)、オシー・ジョンソン(ds)と一流のメンバーが揃い、音作りはビリーのヴァーブ時代に近い。ジャケットの右前面でテナーを吹いているのがアル・コーンだ。

「Lover Come Back to Me」「You're Driving Me Crazy」「I Cried for You」「I Got Rhythm」といったビリーゆかりスタンダードナンバーのほかトーチソング中心の選曲だ。

このレコードに対して著名なジャズ評論家レナード・フェザーはダウンビート誌で最高の五星を付け絶賛した。「今年聴いた中で最も素晴らしい新人ジャズ歌手」「このLPは最初から最後まで最高だ」と褒めちぎった。
しかしその反動か、「ビリー・ホリディは一人でいい」という不当な非難が一部の評論家とジャーナリズムからあがったらしい。
しかし、この安易な非難は彼女のキャリアを傷つけ活躍の場を失ってしまう。

彼女はビリーの真似をしているわけではなく、「自分の感じるままに歌っているの(I sing the way I feel like singing)」と発言している。つまりこれが彼女のスタイルなのだ。



このコラムで以前、高松時代の音楽仲間である中原さんとコルトレーン「派」を認めるか大論争したことを記した。僕は、コルトレーンの影響を受けてコルトレーンと同じスタイルで演奏しても、自然とその演奏者の個性が出るのでスタイルは同じであってもよいという考えだ。
スティーヴ・グロスマンもディブ・リーブマンもマイケル・ブレッカーもボブ・バーグも本家コルトレーンとは別のそれぞれの「音人格」を有しているのだ。

ビリー・ホリディとマリリン・ムーア、この二人の歌唱も完全にイコール(=)ではない。マリリン・ムーアはビリーより洗練されている、あっさりしている、または物足りないという印象を持つヒトは多いだろう。
あえて言えばビリー・ホリディから「痛み」と「汚れ」と「重みを」を減らしたのがマリリン・ムーアだ。

一方、マリリン・ムーアはビリーに出せない高音域の伸びる声を出すことができる。このレコードでのビリー・ホリディでの十八番といえる曲はビリー以上に溌剌としており、特に「I Cried for You」にはビリーには出せない魅力を感じる。
また、聴き込むとマリリン・ムーアからはやはり黒人ではなく白人(ユダヤ人)特有の唄の匂いを僕は感じる。

しかし、そのような様々な差異を感じる以上に、この二人からは、はるかに強い同質性を僕は感じるのだ。

マリリン・ムーアは単にビリー・ホリディに強く影響を受けた「そっくりさん」というレベルに止まった存在とは、僕にはどうしても思えない。

母音を引きずり泊であわせるタイム感覚、フレージングを真似することも、歌詞をかみ締めるようにメロディーを語ることを学ぶこともできるだろう。

しかし、マリリン・ムーアだけがビリーのあの蠱惑的な声の肌合い(肌理)と同質のものを有している。そしてにじみ出てくるチャーミングさ。
それは他の歌手が決して真似することも学ぶこともできない天性のものだ。

マリリン・ムーアはアメリカではビリー・ホリディの「レプリカ」(replica of Billie Holiday's)と言われている。

「レプリカ」と言うと「贋物(にせもの)」というニュアンスがあるが、本来はオリジナルの製作者自身によって作られたコピー(写し)を指す。

マリリン・ムーアは神という作者によって作られたビリー・ホリディの「写し」なのだ。



【蛇足たる補足1】

あらためて、こんにちは。文頭のご挨拶の通り、この文章を書き始めたのは年初でしたが、いつのまにか3月となり驚いている吉田輝之です。

私、以前からマリリン・ムーアについて書きたいなと思っておりました。

数年前、確かピーター・バラカンさんのラジオ番組で「現代のビリー・ホリディ」と言われているマデリン・ペルーを聴いたときに、「これだったらマリリン・ムーアの方がはるかに上だよな」と思ってしまいました。
これは別に「マデリン・ペルーよりマリリン・ムーアの方がビリー・ホリディにそっくりだぞ」というわけではなく、歌手としての力が全然違う。

1931年生まれのマリリン・ムーアと1974年生まれのマデリン・ペルーを較べるのは無茶なのですが、一方はビリー・ホリディに似すぎているというので不当に貶められ、他方はビリー・ホリディに唱法が少し似ていることが宣伝文句にされることに「許さん」と怒ってしまいました。

もともと、「マリリン・ムーアはビリー・ホリディのそっくりさんと言われているが違う魅力があるんだ」という趣旨でこの文章を書き始めました。そのためビリー・ホリディのレコード・CDをコロンビア時代、デッカ時代、ヴァーブ時代、晩年と聴きまくり、全然違うじゃないかと確信しました。

けどですね、ビリーを聴き込んで、ある一線を超えると、困ったことに今度は印象が逆転してくるんですよ。
「違いはあるけど、マリリン・ムーアはビリー・ホリディだ」と。

ビリー・ホリディの歌って、やっぱり「変(ヘン)」なんですよ。特に発音が
ビリーは
Mondayを「マンディ」ではなく「マンデエェーイ」と、
Lonelyを「ロンリィ」ではなく「ロオウンリイィー」と発音する。
この不自然な程に母音を強くはっきりとしつこいまでに発音する癖について、僕はビリーの「訛り」だと思います。

あと、ビリーの低音での「割れ声」。

この「訛り」と「割れ声」を脳内修正して聴いていくうちに、不思議なことに「差異」より「同質性」に耳が行き「マリリン・ムーアはビリー・ホリディの写しだ」となってくるんですよ。

ビリー・ホリディは一人だけで十分だなんていう批判はおかしい。できたらビリー・ホリディは100人ぐらい白黒黄と人種を超えていてほしい、と私は日頃から思っております。

【蛇足たる補足2】

実は私、このレコードではビリーの有名曲よりも「I'm Just a lucky So and so」や「Is You is or Is You ain't My Baby」「Leaving Town」「Trouble is a man」といった他の曲の方が好きです。

しかし、10歳ぐらいの白人(ユダヤ人)の女性が黒人のビリー・ホリディに手紙を送るって不思議ですね。
それから30通以上も手紙のやりとり続けるというのは単に「友情」という以上の強い「つながり」を感じます。




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