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さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
媚びないジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。

第155回
Live! in Tokyo
Bobby Enriquez



ライブ!イン・トーキョー
ボビー・エンリケス
撰者:大橋 郁



Live! in Tokyo
Bobby Enriquez
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1. Killer Joe
2. Airegin
3. After Hours
4. Meditation
5. Misty
6. Groovin' High
7. Ain't Misbehavin' / Honeysuckle Rose
8. Holiday For Strings
9. Donna Lee
10. Bluesette
11. Confirmation
12. Del Sasser
13. Could It Be Magic
14. Softly, As In A Morning Sunrise
15. Scrapple From The Apple





Hollywood Madness
Richie Cole
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1. Hooray For Hollywood
2. Hi-Fly
3. Tokyo Rose Sings The Hollywood Blues
4. Relaxin' At Camarillo
5. Malibu Breeze
6. I Love Lucy
7. Waitin' For Waits
8. Hooray For Hollywood (Reprise)




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さんふらわあ ジャズナイト
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ジャズ カフェ&バー Volontaire
東京赤坂でジャズなら
カフェ&バー、ボロンテール

Jazz & Booze さりげなく
ジャズを呼吸する街で夜を堪能。
神戸を代表するジャズバー、さりげなく

ジャズ喫茶 jam jam
ゆったりした地下空間でジャズを満喫。
神戸元町のジャズ喫茶、jam jam

レコードバー ブラック
極上のサウンドをアナログレコードで。
神戸元町のレコードバー、BRAQUE。

ジャズバー Doodlin
ソウルでファンキーな夜を。
神戸元町のジャズバー、Doodlin'

バーインク
ALTECが生み出す極上のサウンド。
新神戸駅近くの隠れ家バー。


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今回紹介するのは、フィリピン出身のボビー・エンリケス(p)。1980年代初頭に大ブレイクしたリッチー・コール(as)バンドを支えたピアニストである。

フィリピンといえば、首都はマニラ。そのマニラのあるのはルソン島だ。日本には6000以上の島があるが、フィリピンはそれを上回る7000の島から成り立つ多島海国家である。ボビー・エンリケスは、そのルソン島から南へ数時間飛行機でとんだところにあるネグロス島の出身だ。
かつて黒人を意味する蔑称であった「ニグロ」の語源は、 ラテン語のnegro(ネグロ:黒色のこと)だが、フィリピンのネグロス(Negros)島の先住民も黒い色の肌をしたネグリト人に属する人たちで、独特の文化を持っていた。ネグロス島にいる「黒人」は非常に古い時期にアジアへやってきた人々の末裔だそうだ。フィリピンを征服したスペイン人航海者ミゲル・ロペス・デ・レガスピが16世紀にこの島に到来したとき、会った先住民の肌が黒かったので島の名を「ネグロス」と呼んだ。ボビー・エンリケスも他のこの島出身の人たち同様に、かなり濃い黒色の肌と特徴的な風貌を持つ。



さて、ボビー・エンリケスを紹介するには、彼とは切っても切れない関係であるリッチー・コール(as)の話から始めなければならない。リッチー・コールは、1979年4月に大ヒットアルバムとなる「ハリウッド・マッドネス」を録音し、1980年に発表した。

ストレート・アヘッドで明快なジャズ・アルバムなのだが、マンハッタン・トランスファーのリーダーのティム・ハウザーがプロデュースし、マンハッタン・トランスファー自身やトム・ウェイツ(vo)、エディ・ジェファーソン(vo)までもがゲスト参加するなど、サービス精神に富んでいる。このサービス精神ぶりが、いわゆるガチガチのジャズ・ファンから敬遠され、キワモノ的扱いを受ける一因でもあったと思う。もの凄いテクニックとユーモアのある演奏でめちゃくちゃ楽しいのだが、少なくとも精神性が高いという受け取られ方はしなかったのではないだろうか。

超絶技巧で、当時は大ブレイクしたものだが、世の中はフュージョン・ブーム。耳ざわりが良く、聞きやすい音楽がもてはやされた時代と重なっていたため、にわかジャズ・ファンによって、フュージョン・ミュージック的に聴かれたきらいがあった。技術はあるのだが、どこか薄っぺらだとういうような評価をされ、それが定着してしまったのだ。

今では、完全に「あの人は今」的扱い存在となってしまったリッチー・コールだが、実はペンシルバニア州ニューホープの音楽院でフィル・ウッズに師事している。バークリー音楽院卒業後、パディ・リッチ・バンド、ライオネス・ハンプトン楽団を経て、自己のグループを結成するという、チャーリー・パーカー直系の正統派ハード・バップ・アルト・サックス奏者である。

それにしてもあまりにも巧い。上手すぎてアルバム一枚を通して聞いてみると、どこか一本調子過ぎて、少々疲れる、或いは味わい深くはないという評価となって飽きられ、淘汰されてしまったのかも知れない。



さて、今回の主人公のボビー・エンリケス(1943-1996)は、1943年にフィリピンのネグロス島に生まれている。ティーンエイジャーの頃、学業を優先させようとした母親に反発してマニラへ出て、さらに台湾の台北や香港に足を延ばしてアメリカから来ていたミュージシャンと共演した。そして、ハワイのホノルルまでたどり着いたボビーはそこで、ハワイアン・ミュージックを代表するシンガー、ドン・ホーのオーケストラの音楽監督兼バンドリーダーになる。
1967年(24歳のとき)には米国に渡ってカリフォルニアを中心に演奏活動をしていたが、1977年頃(34歳くらい)にネバダ州のレイク・タホで演奏しているところを、アルト・サックス奏者のリッチー・コールに見出され、1980年代のリッチー・コールの一連のアルバムに参加する。その後、ボビー・エンリケスは、1981年〜1990年頃にかけて何枚かのリーダー・アルバム(ピアノ・トリオ)を発表する。今回紹介する「ライブ・イン・トーキョー」はその中の一枚だ。

リッチー・コール(as)のニックネームは「マッドマン(MADMAN、狂人)」だが、ボビー・エンリケスのニックネームは、「ワイルドマン(WILDMAN)、野人」である。拳(こぶし)や肘鉄(ひじてつ)で、鍵盤を打楽器のように叩く奏法からそう呼ばれたのだろう。スピードがあまりにも凶暴的だったこともあるかもしれない。そういったダイナミックで派手なパフォーマンスや、曲芸的技法が誤解を招くきっかけになってしまった。 しかし、私に言わせればリッチー・コールもボビー・エンリケスも決してイロモノではない。

「エネルギッシュだが情緒がない」とか「超絶技巧だけで味がない」「下品でうるさい」などという評価は、あまりにも一面的な捉え方だ。
このアルバムを聴けばボビー・エンリケスはとても情緒があり、暖かく、音楽とピアノへの愛情あふれる人だということがわかる。

ボビー・エンリケスのインプロヴィゼーションの中には、古今東西のありとあらゆる曲のアイデアが出てくる。解釈やひねり方も、聴く側を唸らせるほどに面白い。アメリカの古い小曲や、キューバ系ラテンミュージック風味のソロや、バロック音楽からの引用も随所に出てくる。幅広く多くの音楽から影響を受け、吸収してきたため、引き出しをたくさん持ち、音楽的な教養に溢れた人だと思う。
しかし、世間が彼に求めたのはニックネームとなった「ワイルドマン」であった。そして、本人も期待に応えようとした。そして見世物的な聞かれ方をした。そういう面がなかったか? 拳(こぶし)や肘鉄(ひじてつ)を使った奏法は、演奏が高潮化したり、興に乗ったりしたときに自然に出てくる奏法であり、この人のごく一部に過ぎないのに、である。確かに、彼の奏法は部分的には激しすぎて、狂気を感じることすらある。しかし野蛮ではない。それどころか、音楽的教養の深さと知性を感じさせる演奏である。だから、この人のことをより実態に近い言い方に変えるとするなら、「ワイルドマン」ではなく「ワイルドなタッチを多用して残した録音が多い人」というべきであはないだろうか。

もっともワイルドという言葉は、「荒っぽい、野蛮な」といった意味の他に、「羽目を外す、ばかな行動を取る」といった意味合いもある。まさかとは思うが、決して米人がネグロス島出身のフィリピン人だから、その風貌への意味合いが込められているということはない、と信じたい。



ボビー・エンリケスの別のリーダー作「ワイルドマン・リターンズ」というアルバム(1990年にレイ・ブラウン(b)、アル・フォスター(ds)と録音した、これまた味わい深い名盤!)には、「ブルー・ハワイ」が収録されている。これは、自分の育ての親であるハワイやお世話になったドン・ホーへのリスペクトであるに違いない。(ドン・ホーは、地元ハワイのみならず中国系、ポルトガル系の血筋も引いていて混血音楽を体現しているような人!)

ボビー・エンリケスは、1996年には53歳の若さで亡くなっており、惜しい限りだ。
この人を世に知らしめたリッチー・コール自身が「あの人は今」状態となった今、ボビー・エンリケスのことが語られることも、少なくなった。だが、まだ彼のアルバムは手に入る。生で聞くことはもうできないが、この人が銀盤に残した素晴らしい音楽を私は決して忘れることはないだろう。


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