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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第147回

中本マリ III
中本マリ
撰者:大橋 郁


【Amazon のCD情報】


このアルバムは、二つの意味で特徴的である。ひとつは、中本マリという日本人ジャズ歌手による全編ジャズ・スタンダード集であること。もうひとつは、バックの演奏が渡辺香津美(g)、鈴木勲(b)の2人だけのデュオによるシンプルなものである、ということである。

シャウト系のヴォーカルが大好きな私にとって、若い頃に初めて中本マリを聞いたときの印象は正直言って物足りないものだった。要するに余り印象に残らなかったのである。そのためか、高校時代に(当時の高校生としては)大枚を払って入手したこのアルバムも、何度か聴いた後は何年も聴かないまま、レコード棚の肥しになってしまっていた感がある。 しかし、その私でもこのアルバムの2曲目にある「縁は異なもの(What A Difference A Day Made)」だけは例外だった。

曲がいいからか、バックの演奏がいいからなのか、それともその出来の素晴らしさが多少でも解ったのか、何度も聞き返していた。渡辺香津美(g)のダブル・レコーディング(ギターの重ね録り)と、鈴木勲(b)による丁寧で流麗なバッキングが気に入っていた。ドラムの入らないビートレスの編成にあって、渡辺と鈴木の2人は、出過ぎることで中本のヴォーカルを殺さないように、尚かつ手薄なバッキングですき間だらけの音にならないようにバランスを保った演奏をしていて、素晴らしい!

「一日でこんなにも変わるなんて!ほんの24時間が過ぎただけなのに、今日から私はあなたのもの」
という内容のこの曲。元はダイナ・ワシントンによるヒットで有名だ。大学時代に私はこの曲を、女性ソウル歌手のエスター・フィリップスが歌う軽快な16ビートのカバーでよく聞いた。



中本マリは1947年生まれ。仙台市出身だが、高校は東京の東邦音大附属高校に進学した。この学校は東邦音楽大学のキャンパス内に所在する中・高一貫の私立学校で、音楽科のみを設置する。高校生のほとんどが東邦音楽大学に進学する。中本も、元々はオペラのプリマドンナを目標に勉強してきたメゾソプラノだったという。
しかしジャズに魅せられ、高校生頃からプロ歌手として歌い始め、赤坂や銀座のクラブを中心に地道に歌ってきたらしい。アルバム・デビューは73年(既に26歳になっていたことになる)にTBMから発表した『アンフォゲッタブル』。2作目は74年同じくTBMから『リル・ガール・ブルー』を発表。そして、今回紹介するは『マリⅢ』は75年発表で3作目となる。
つまり中本マリは、早熟な割にアルバム・デビューはやや遅めながらも、デビューしてから3年間、年に一枚ずつのペースで順調にアルバムを発表してきた。

聴き所は、冒頭紹介した「縁は異なもの(What A Difference A Day Made)」や、巨匠ヘンリー・マンシーニが担当したソフィア・ローレン主演による映画「ひまわり(Sunflower)」、「セントルイスからはるばると(You Came A Long Way From St. Louis)」。そして「瞳は君故に(I Only Have Eyes For You)」「ジャスト・フレンズ(Just Friends)」あたりである。
また、ミッシェル・ルグラン作で有名な「What Are You Doing The Rest Of Your Life」、と、ラストを締めくくる「A Nightingale Sang in Berkeley Square」の2曲は、ベースは入らず、渡辺香津美ギター1本のみをバックにしっとりと歌い上げる。当時、渡辺香津美は22才の若さであったが、とても豊かな歌心を持っていることがわかる、、、、等と書いていると、ほとんどの曲は出来のいい、つまり捨て曲無しの大傑作ということになってしまった。

特に「縁は異なもの」や「セントルイスからはるばると」といった曲では、ほんのりと8ビートっぽいノリで演奏されている。これだけのシンプルな楽器編成であり、しかもバラードであるにも拘わらず不思議にグルーヴ感を感じさせる演奏だ。

高校時代の印象とは、どんどん変わってきてしまった。まさに“縁は異なもの(What A Difference A Day Made!!)”である。レコードとの出会いというのは、その内容はもちろんだが、出会うタイミングというのも大事なのである。聴く側も、その内容に感動できる年齢、精神状態、体調など様々な要素が絡み合うことによって、自分だけの名盤が生まれる。高校時代、大して魅力を感じなかったアルバムに今は、どんどん惹かれていく。

熱気とか殺気とか狂気とか、そういったジャズとは無縁な、日本人の心に響く、秀逸な出来であると思う。
ハスキー・ボイスで、決して艶があったり色気を感じる声ではないが、デビュー・アルバムの「アンフォゲッタブル」やや2作目の「リル・ガール・ブルー」を聞いても、特にブルース・フィーリングに秀でた巧い歌手だ。

声量とか歌唱力とかで売るという感じではない。終始、曲のもつ雰囲気を大切にしていて大切に歌う人だ。いわゆるトップギアに入ってグイグイ歌うという部分がない。それだけ自然体でジャズ的なフィーリングを醸し出せる人であり、スロー・バラードでこそ、魅力を発揮する歌手ではないだろうか。



云うまでもないことだが、ジャズは英語を日常語としているアメリカで生まれた音楽であり、その発生からして英語性を帯びた音楽である。その音楽を、英語を母国語としない日本人が歌い上げるのは困難が付きまとう。器楽を奏するジャズ奏者では、日本人であっても既にアメリカで一流と認められるミュージシャンは、渡辺貞夫、秋吉敏子を始め、大勢存在している。しかし、ヴォーカルの場合は、「日本人のジャズ・ヴォーカル」という物珍しさが伴ってやっと、話題に取り上げられる程度である。

私は、常々「和ジャズ」というジャンルは、米ジャズとは違った意味で、(アメリカ人には真似の出来ない)素晴らしい意味を持つ音楽ジャンルだと思っているのだが、日本人ジャズ・ヴォーカルだけは、まだまだ茨(いばら)の道を歩んでいるように思えて仕方ない。しかしそんな私でも十分に楽しめ、グルーヴ感を堪能出来る、素晴らしいアルバムだと思う。


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