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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第145回

リトル・ガール・ブルー
ニーナ・シモン
撰者:吉田輝之


【Amazon のディスク情報】


「お前が信じるこの世で最も美しい歌ベスト10」は何かと考え込んだことがある。「歌」というのは「誰誰の歌ったこの曲」という意味で、曲・詞・バックの演奏(オーケストレーション)・歌唱その他諸々全ての要素が絡み合っており、10曲選ぶのに悩みに悩んだ。
その中で即浮かんだのが、ブラジルのサンバ・カンソン歌手シルヴィア・テレスの「ジンジ(Dindi)」とニーナ・シモンの「アイ・ラヴ・ユー、ポギー(I Loves You、Porgy)」だ。

1977年から78年頃、中村とうようさんがFM大阪で平日の午後2時過ぎ、20分の短い番組のDJをされていた。テーマ曲は松岡直也さんのグループで塩次伸二さんがサンタナを思わすギタースタイルでテーマを弾いていた。
毎回、特定のミュージシャンの曲を3曲ぐらいかけて、ジャンルはブルース、ソウル、ジャズ、ロック、ラテン、シャンソン、カンツォーネ、タンゴ、ファド、アフリカ音楽などなど、とうようさんらしく実に幅広かった。高校生だった僕はラジカセにタイマーを設定して録音し、テープを毎日繰り返し聴いた。思えばこの番組で聴いた曲の数々が僕の音楽的素養の全ての基礎になっていると思う。

この番組でニーナ・シモンがとりあげられた。かかった曲は「Little Girl Blue」と「I Loves You、Porgy」、この2曲はまちがいない。あと一曲は「Mood Indigo」だったろうか。

正直に言って、ニーナ・シモンは苦手というか少しこわかった。その風貌はアフリカの塑像を思わせて男性か女性か区別がつかないし、声も低く女性的な感じがしなかった。ビートルズやトラディショナルな曲も弾き語りで歌い、普通のジャズ歌手とは明らかに異質で、「一人ワンジャンル」とでも言う存在だ。歌手としてある種「別格」と感じていたが、どうしても(女性としては)好きになれなかったのだ。

しかし、「Little Girl Blue」と「I Loves You、Porgy」のニーナ・シモンは僕をとりこにした。後に、この2曲は1958年、彼女が24歳の時にベツレヘム・レーベルで出したファーストアルバムに収められていることを知った。

では、僕がこれでニーナ・シモンの大ファンになったかといえば、そうではなくやっぱり苦手なままなのだが。しかし今でも、この二曲を聴くと深く感動してしまう。



「I Loves You、Porgy」はジョージ・ガーシュインが作曲したオペラ「ポギーとベス」の挿入歌だ。「ポギーとベス」はサウス・カロライナ州チャールストンの小説家エドワード・デュポーズ・ヘイワードの小説(1925年)が元になっている。ジョージ・ガーシュインが作曲、兄のアイラ・ガーシュインが作詞を担当し、原作者のヘイワードとともにオペラ化して1935年にボストンで初演がなされた。ガーシュインは刑事役のみ白人であとは全て黒人キャストと決めた。
ガーシュインはチャールストンの黒人居住区に赴き黒人音楽(ブルースやジャズ、黒人霊歌、民謡など)やスラング、暮らしぶりを研究してその要素を大胆に取り入れた。

舞台はチャールストンの海沿いの黒人達の居住区「キャット・フィシュ・ロー(なまず横丁)」だ。横丁といっても日本式の「長屋」ではなく元々は白人(荘園主)の大きな屋敷だったが、スラム化して、各部屋に黒人達が住んでいる。「なまず」というのはやはり近くの川で「なまず」が取れるためだろうか?

足の不自由(CRIPPLE)なポギーは物乞い(BEGGAR)で、バーの給仕女ベスに思いをよせているが、ベスの情夫であるクラウンがサイコロ賭博(クラップス)のいさかいで賭博相手を殺してしまう。クラウンは逃亡するが、ベスは行き場を失い、警察が来る前に横丁の住人に匿ってくれるよう頼むが、誰もトラブルを避けるため(そして女性達があばずれのベスに対していい印象を持っていなかったため)部屋に入れようとしない。唯一ポギーのみが自分のあばら家(部屋)に招きいれ、そのまま二人で暮らし、愛し合うようになる。

ポギーは貧しい黒人居住区でも、障害者でお金を恵んでもらい生きている最下層の「弱者」だが決して「弱々しく」はない。
身なりは貧しいが、ワイシャツにネクタイをしめ、髪の毛を短く刈り込み汚らしくはない。白人からお金を恵んでもらっても卑屈ではなく堂々としている。ただ、横丁の男たちから「ベスに気があるだろう」とからかわれると「いままで女性を愛したことがない(女性から相手にされない)」「寂しい道を歩んでいる」と歌い暗い。しかし、ベスと暮らすようになってからは明るくなり子供にもやさしくなる。思いやりと誠実さに富み、さらには賭博のサイコロ投げの名人でもある。
PORGYという名前は辞書で調べると「タイ科の魚」のことらしいが、ポギーの顔が魚に似ているという設定なのだろうか。(誰か知っている人がいれば教え下さい)

一方、クラウンは綿積みの沖中氏をしており大男で筋骨隆々、(セックスを含む)「力」の象徴のような男で、いわば「THE MAN」の原型だ。CROWNという名前は「王」という意味の隠喩だろう。「悪意」を持つ人間ではないが短気で、自分の思う通りにならないと酒を飲んでは暴れるトラブルメーカーだ。

ベスは美しく艶めかしいが、極めて「快楽」の誘いに弱く、状況に「流されてしまう」女性だ。BESSはエリザベス(ELIZABETH)の略名だろう。

もう一人、スポーティング・ライフ(SPORTIN‘ LIFE)という男が登場する。気障な格好をして、安いウィスキーと「幸せになる薬」の売人だ。酒場や横丁の賭博をしている場所、ピクニックに行った離島までとにかく人が「我を失う場」に出入りして薬を売りつけている。小狡い小悪人で「人間の弱さ」に付け込んでくる男だが、殺人の現場でも怖気ずにベスを口説き、また嵐の夜に誰もが怯える中、平然として「審判の日だ」と言いながらサイコロを振っているという、メフィストフェレス的な面を持つ男だ。
名前を直訳すると「スポーツをする人生」となり、昔から「変な名前だな」と思ってきたが、今回よく調べてみると「遊び人」といったニュアンスの名前(あだ名)らしい。



殺人事件のあった1月後の天気のよい日、教会の催しで横丁の住民達は離島にピクニックに行くことになり、ポギーは足が不自由で行けないが、ベスには行くことをすすめる。ベスは離島で身を隠していたクラウンに出会い、強引なクラウンに身もまかせてしまう。
我を忘れた状態で島から遅れて戻ってきたベスは1週間寝込み、ポギーは懸命に看病するが、うなされているベスを見て離島での出来事を察してしまう。回復したベスから改めて離島でのあらましを聞き、クラウンの元に帰るというベスをポギーが引き止め、ベスがポギーに向かって歌うの「I Loves You、Porgy」だ。

I love you、Porgy
Don't let him take me
Don‘t let him handle me
And drive me mad

If you can keep me
I want to stay with you forever

私はあなたを愛している、ポギー
彼に私を連れて行かせないで
彼に私を渡さないで
私は自分が自分でなくなってしまう

もしあなたが私を守ってくれるなら
私はあなたとずっと一緒にいたいの

「he」というのはもちろんクラウンのことだ。この歌はベスからポギーに対する愛の告白である以上に私を守ってほしいという懇願そのものなのだ。

Someday I know he's coming
Back to call me
He's gonna handle me
And hold me so

It's going to be like dying、Porgy
When he calls me
But when he comes、I know
I'll have to go

私にはわかっている、
いつか彼が私を連れ戻しにやってくることを
彼は私を連れて行き、そして私を抱くのよ
まるで死にそうな気持ちになるの、ポギー
けど彼がやって来たら、私はわかっている
私は行かざるを得ないことを


僕はこの歌の「I'll have to go」という歌詞を聴くと膝が崩れ落ちそうになる。
「彼は間違いなく私を連れて行く」と歌っているのではない。
「力と性」のシンボルである彼がやって来たら、「自分は間違いなく行く」と歌っているのだ。

決してベスを渡さないと決意したポギーは彼女を取り戻しに来たクラウンを後ろから襲い殺すが、翌日、警官が参考人としてポギーは連行してしまう。1週間後、拘留が解けてポギーが戻ってくるが、ベスがいなくなっていた。スポーティング・ライフがベスに「ポギーは一生戻ってこない。ニューヨークに行ってハイクラスな生活を送ろう」とベスをそそのかしニューヨークに連れて行ってしまったのだ。

ポギーは足が不自由にもかかわらず、ベスを捜しに1,000マイル(数千キロ)離れたニューヨークをめざして向かうところで劇は終わる。絶望的な状況だが、わずかな希望が見出されるラストだ。



話しをニーナ・シモンに戻そう。ニーナ・シモンの「I Loves You、Porgy」はシングルカットされ20万枚以上売れたという。弱小レーベル「ベツレヘム」にとって異例の大ヒットだ。

今、YOUTUBEでニーナ・シモンがこの曲を歌う姿が1960年ぐらいから晩年まで何本も見ることができる。忘我となり歌いきる姿は感動的だ。特に若い頃の痩せているニーナ・シモンが歌うこの曲は極めて官能的だ。

ニーナ・シモンの経歴については大橋さんの「NINA SIMONE AND PIANO」の回(第37回)に詳しく書かれているが、若い頃の彼女はあくまでも「自分はクラシックのピアニストだ」と認識しており生活のためクラブで弾き語りを始めたのだ。

彼女がフィラデルフィアで(おそらく同地のカーティス音楽院を目指していた頃)、歌い手を求めていたクラブのオーナーから「歌える曲はあるのか」と聞かれた時に、「私はピアニストだけどI Loves You、Porgyだけは歌えます。」と答えたらしい。
ノース・カロライナの人種隔離地域で貧しい牧師のもとに生まれたニーナ・シモンは、近くのサウス・カロライナ州チャールストンの黒人居住区のこの物語を身近なものと感じていたのではないだろうか。

「I Loves You、Porgy」はニーナ・シモン以外にもビリー・ホリディやエラ・フィツジェラルドの他多くのジャズ歌手が歌っているしビル・エヴァンスの他、楽器演奏も数知れずある。近年ではホィトニー・ヒューストンやクリスティーナ・アギレラがカバーした。

しかし「I Loves You、Porgy」という曲はポピュラー音楽の領域では誰が何と言おうと「ニーナ・シモンの曲」なのだ。



【単なる補足1】
「I Loves You、Porgy」については昔から一人称なのに三人称の「Loves」が使われているのが不思議でした。しかし実際の歌ではどの歌手も「I Love You、Porgy」と歌っているのです。
これは黒人のスラングなのか、作詞または昨劇上のテクニックなのかいろいろ調べましたが、わかりません。わかっている人がいればぜひ教えてください。

ちなみに僕はふつう当コラムでは英語のタイトルはカタカナで書きますが、「ラヴ」と書くべきか「ラヴズ」と書くべきか迷って今回は基本的に英語表記にしました。



【少し重要な補足】
「ポギーとベス」というオペラは1935年にボストンのコロニアル劇場で初演がなされたが、あまり評判よくなく興行的にも失敗したらしい。しかし翌年のニューヨークのブロードウエイでの公演は成功。そして1952年のリバイバルでは4年かけて全米の他ヨーロッパに至る世界公演を行い大成功した。
ジャズの世界では1957年にルイ・アームストロングとエラ・フィジェラルドによる「ポギーとベス」が発売され、58年にはマイルスとギル・エヴァンスオーケストラによるアルバムが発売された。このあたりから「サマータイム」が急速にスタンダード化していく。ベツレヘム・レーベルでも1957年にメル・トーメ他所属ジャズミュージシャンを総動員して「ポギーとベス完全版」のレコードを出した。1959年にはシドニー・ポワチエ、ドロシー・ダンドリッジ、サミー・デイヴィスJr.等の出演で映画化された。

1950年代になって「ポギーとベス」が急速に評価され人気化していく背景は間違いなく黒人の公民権運動の高まりがある。

しかし、マイルスと組んだギル・エヴァンスはカナダ出身のユダヤ人、映画を製作したサミュエルゴールドウィンはポーランド出身のユダヤ人と、その他多くのユダヤ人がかかわっていることを考えれば、ユダヤ勢力がロシア出身のユダヤ人であるガーシュインを「世界的な作曲家」であると認めさせようとした「プロパガンダ」「意図」を僕は感じるのだ。

1958年にニーナ・シモンの「I Loves You、Porgy」が大ヒットしたのは「たまたま」ではなくこのような背景があったのだ。



【少し重要な補足の補足】
ポギーとベスの映画版だが実はサミー・デイヴィスJr.以外はオペラ歌手が吹き替えをしています。映画はガーシュインの奥さんが気に入らず、上映後に権利を買い取って廃盤にしてしまいフィルムは焼却処分されたそうです。つまり、この映画の正規のフィルムというのは存在しないのです。ただ海賊版のDVDはあるようです。



【かなり重要な補足1】
僕は今回このコラムを書くにあたり「ポギーとベス」の粗筋は調べたが、オペラそのものは観たことがなかったので「参考」までにDVDを買って観た。指揮は後にベルリンフィルの常任指揮者となるサイモン・ラトル、演出はレ・ミゼラブルやキャッツで有名なトレヴァー・ナン、オーケストラはロンドン・フィルだ。出演は刑事警官他数人の白人(彼らは歌わず普通のセリフ)で他は当然全て黒人キャスト。黒人のオペラ歌手は1986年と1987年にイギリスのグラインドボーン劇場に出演したキャストが中心だ。舞台そのものではなくスタジオセットの映画仕立でBBCが1993年に製作した。

「参考」までに観たというのは、僕はなんとなく「ポギーとベス」の世界は、本来はジャズで表現されるべきで「オペラ」という表現方法は「キレイごと」と思い込み軽視していたのだ。
しかしこれは僕のものすごい勘違いであった。

もう、ポギー、ベス、クラウン、スポーティング・ライフだけではなく脇役、端役にいたる全ての歌手がとんでもない名唱そして名演技なのだ。
一言で言って「黒い」。ものすごくディープでソウルフルだ。

先日、大橋さんに「ポギーとベス」の話をしたら、大橋さんは「サマータイムは本当に名曲なのかな。全然いいとは思わないんだけど」と言われ、僕は一瞬言葉につまった。
「そうなんですよ」、僕自身もサマータイムだけではなく、「ポギーとベス」の曲はニーナ・シモンの「I Loves You、Porgy」以外はいいとは思ってなかったことに気づいた。

このオペラ版DVDを観た後では「ジャズ版ポギーとベス」はつまらなく感じる。ジャズの「都会の大人のナイトミュージック」という一面ではとても「ポギーとベス」という情念とパッションがぶつかり絡み合う世界を表現しきれない。むしろ「ジャズ版ポギーとベス」の方が「キレイごと」の世界だったのだ。
オペラのベルカント唱法という度はずれたメソッドをもつ黒人がガチで歌い演じて始めて表現できる物語なのだ。

もうポギー(ウィラード・ホワイト)、ベス(シンシア・ヘイモン)、クラウン(グレッグ・ベイカー)、スポーティング・ライフ(デイモン・エヴァンズ)他全てのキャストが「登場人物」そのものだ。オペラの「歌いながら演じる」というかなり不自然な劇表現でありながら、観ているうちに現実に起こったことが眼前で繰り広げられているとしか思えなくなってくる。

このDVDマスト。必見、必聴です。


Porgy and Bess
Trevor Nunn
【Amazon のDVD情報・英語版】
【Amazon のDVD情報・日本語版】



【かなり重要な補足2】
はっきり言って「ポギーとベス」の挿入曲の真価は実際にこのオペラを観ないとわかりません。僕もこのオペラを観て始めて「I Loves You、Porgy 」の歌詞の本当の意味がわかりました。

サマータイムは、漁師の若妻であるクララが二度歌い、ベスが一度歌う。このアリアでありブルースでもある子守唄はこのDVDで観て聴くと紛れもなく傑作、名曲。いやいや、もう全曲が名曲。ガーシュインさん、あなたは間違いなく偉大な作曲家です。



【かなり重要な補足のあまり重要でない補足】
このDVDの日本版(2800円)はとっくに廃盤になっており中古はアマゾンでプレミアムがついて少し高いので英語版を買いました(1500円ほどです)。
字幕なしで観て歌詞の意味はよくわからないのですが、むしろ歌に神経が集中でき、かえってよかったと思います。しかし何度も観ていると、どうしても歌詞の内容を知りたくなり「日本版の中古」をアマゾンで注文しました。
その晩、英語版を観ていると英語の字幕を見られることが偶然わかりました。黒人スラングだらけの英語ですが、これは何となくわかります。しかし「A WOMAN IS A SOMETIME THING」や「I GOT PLENTY O'NUTTIN」「IT AIN`T NECESSARILY SO」などは英語の字幕を読んでもタイトルの意味さえわかりません。(皆さん、このタイトルだけを見て和訳できますか)
日本版が届き日本語の字幕を見てようやく意味がわかりました。
ただ、日本語の訳者が全編にわたり「かなり気をつかっており」、微妙なニュアンスが伝わらないきらいがあります。

このDVDを観られる方は、最初に字幕なしで観て、次に英語の字幕、日本語の字幕の順で観ることをお薦めします。(ちなみに日本版は日本語の他に英語、フランス語など五国語での字幕がでます。)

【かなり重要な補足の少し重要な補足】
皆さん、この物語のクラップスというサイコロ賭博をご存知ですか。二つのサイコロ投げ手(シューター)が投げ、合計7か11なら投げ手の勝ち、2か3か12が出れば直ちに投げ手の負け、その他の目なら投げ手が交代します。このルールがわかっていないとサイコロ賭博の場面が少しわかりづらいです。


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