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第133回
Nothin' But Coltrane
Tomoki Takahashi



ナッシン・バット・コルトレーン
高橋知己
撰者:吉田輝之



Nothin' But Coltrane
Tomoki Takahashi
【Amazon のディスク情報】

このアルバムはコルトレーン没後40年経ち出されたが、企画モノという枠をはるかに超えたコルトレーンに捧げられた傑作だ。 一曲目はコルトレーンが神に宛てたラブレターだ。高橋さんの演奏はLordをColtraneに換えて「Dear Coltrane」と言ってもいい、本当に泣ける演奏だ。 このレコードにはコルトレーンの海賊版にしか聴けないバラード(5、6曲目)まで収められている。 高橋さんのスタイルはかなり幅のあるもので高橋スタイルとしか言いようがない。しかしこのアルバムでは完全にコルトレーンスタイルで吹き切っている。しかし、スタイルはコルトレーンでも明らかに高橋さん独自の「音人格」があるのだ。



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こんにちは、5月18日の日曜日、35年ぶりに神戸祭りに行ってきました。晴れ渡った天気のもとパレードを観ながら「時間」について哲学的な思索に耽っていると、突然サンバチームの行進が始まり(あられもない姿をした)女の子達をスマホのビデオで撮りまくっていたのですが、生まれて初めてサンバを観て興奮した“つれ”がチームを走って追いかけていくので「おーい、どこ行くねん」と叫んでいると、ビデオを誤操作で消去してしまい、とてつもないショックを受けている吉田輝之です。

さて今週の一枚は
「Nothin' But Coltrane/高橋知己(トモキ)カルテット」です。
前回に続き今回も中原さんに再登場してもらいます。



前回でも述べた通り、10年前に僕と中原さんは会社を希望退職して辞めた。
その半年程前だろうか、高松の中古レコード店「ルーツ」の近くに新装開店した焼鳥屋さんを見つけた。名前は「Bふらっと」。B「♭」と「ふらっと来てね」を引っ掛けたのだろうか。これは音楽、特にテナーサックスに関係しているのではないかと推察して夜に行ってみると、あにはからんや、ドンぴしゃであった。
古い居酒屋をほぼ居抜きで借りた店内の壁はコトレーンやロリンズやキャノンボール、キング・カーティス、メイシオ・パーカー等の白黒写真とレコードで覆われていた。
BGMはファンキージャズやソウルジャズ、ファンクのオンパレードであった。店主は「金ちゃん」。
僕より5歳ぐらい若く、当時40歳ぐらいだった。原田泰三と内野聖陽を足して2で割った感じのなかなかのイケメンで、地元のファンクバンドでテナーサックスを吹いていた。名前が「金三」なので愛称は「金ちゃん」だが、金三は芸名(ステージ名)であることが後でわかった。焼き鳥も実にうまく、僕はその日から「Bふらっと」に入り浸りになってしまった。

特に会社を辞めてからは毎日のように晩飯代わりに通っていたが、中原さんとも週に一回ぐらいの割合で、「Bふらっと」で会うようになった。中原さんは普段は外で飲む人ではなかったが会社を辞めて時間を持て余していたのだろう。

ある日、Bふらっとで、中原さんが「吉田君、コルトレーンに影響を受けたテナーサックスを聴くぐらいならコルトレーン本人を聴いた方がいいよな」とぼそっと言った。
僕は「いや、中原さん、例え演奏スタイルはコルトレーンの影響を強く受けていても演奏者の個性というか持ち味は自然と出てくるんじゃないですか」と軽く言ったところ、それから3時間に亘る大激論になってしまった。

中原さんという人は前回の横滑りトークでも触れたが、ミュージシャン、レコード、曲、どの演奏か極めて具体的に音楽の話をする人で抽象的な議論は殆どしない方であったが、この日はそのコルトレーンに影響を受けたサックス奏者の具体的な名前は全く出なかった。とにかくコルトレーン自体を聴くべきでその影響を受けたテナーサックス奏者は聴くに値しないという意見なのだ。
僕は優れたミュージシャンには「社会的人格」とは別に各々優れた「音人格」があると思っている。どんなに社会的な対人関係で荒み、人のことを考えずエゴイステッィクで最低と言われるような人間でも、こと音楽となると素晴らしい演奏を奏でる「音人格」を有しているのだ。例えばチャーリー・パーカー※やスタン・ゲッツのように。
だいたい、すぐれた表現者が一般的にすぐれた人格者であるはずがないがないではないか。

※この箇所を読み返してよく考えると、パーカーの場合、もしかしたら「社会的人格」と「音人格」はピタッと一致していたのかもしれません。みなさん、どう思われますか。

ジャズの世界において演奏スタイルで最も他のミュージシャンに大きな影響を与えたのはチャーリー・パーカー、バド・パウエル、ジョン・コルトレーンの三人だろう。例えばパーカーの場合、ジャッキー・マクリーン、フィル・ウッズ、キャノンボール・アダレー、ソニー・クリス、渡辺貞夫等々、もう「バップ以降のアルトはみんなパーカースタイルだ」と言いたくなるほど多い。しかしみなパーカースタイルといえどもそれぞれの「音人格」はまるで違うのだ。
僕は、そのようなことを中原さんに伝えた。しかし中原さんとは、この時どうも話がかみ合わなかった。

それから話の焦点がジャズマンの「生き方」について移り「ジャズマンは我々と違う生き方をしなければならない」と中原さんは延々と話し出したのだ。

中原さんは学生時代にレコード会社のディレクターか洋楽の担当者になりたくてCBSソニーの最終面接まで行ったが合格せずに、音楽への想いが断ち切れず音響メーカーに入社して営業をしていた。その後AV不況で退職して通販会社に宣伝の仕事で再就職したが、僕と知り合った頃は家具部門で在庫出品管理をされていた。中原はさんは幸せな家庭と趣味の音楽・レコードで充実した人生を送っていたようだが、今思えば自分の生き方についてかなり忸怩した想いもあったのではないだろうか。



(閑話休題)
この文章、冒頭の枕にあるように5月の神戸祭りの時に書き出しましたが、途中頓挫してしまいました。これは仕事と私事で「やん事無き事情」があったこともありますが、「コルトレーンの音楽とは何だったのだろうか」という疑問が頭の中をループし続けたため筆が止まってしまいました。
その答えは「JAZZです。」としか言いようがないのですが、それではこのモヤモヤした気分は収まらず、話が前に進みません。
しかし、梅雨が来て、親方日の丸に虐められ、朝会社に行く途中で梅田の天神祭りのお囃子の音が聞こえ出し、叔父が亡くなり、台風11号でJR各線が混乱し、つれが里帰りして、ようやく再び書き出した次第です。



しかし、よくよく考えてみれば、中原さんとコルトレーンについて激論となったものの、中原さんの自分の人生に対する想いだけではない。今思えば、僕も中原さんもコルトレーンについて思い切り話をしたかったのだ。

60年代から70年代において、当時の若者は本当にジャズについて熱く語っていたのだ。特に、コルトレーンについては、もうムキになって激論を交わしていた。

僕がモダンジャズを聴きだした70年代半ばというのはコルトレーンが死んで10年近く経ち、当時ジャズといえば≒フュージョンだったわけだが、それでも僕らは「コルトレーン世代」の末席に何とかいた。コルトレーン世代というのは、松井さんが初めてジャズ喫茶「さりげなく」に行き、いきなり『至上の愛』を聴いて衝撃を受けたように、パーカーやロリンズやマイルズではなく“いきなりコルトレーン”なのだ。コルトレーンを聴き「何かよくわからないが凄い」と直観した世代だ。

90年以降、世間ではマイルス・ディヴィスとブルーノート・レーベルの神格化が行われた。その方が商売になったからだ。
一方、コルトレーン、特に『至上の愛』以降について語るのは「禁忌(タブー)」だったといえる。現在かなり幅広くジャズファンからコルトレーンのベストもしくは一番好きなレコードのアンケートを取ったら、おそらくブルーノートの「BLUE TRANE」になるのではないか。

僕はコルトレーンの音楽の本質は『陶酔』だと思っている。それは彼のモードスタイルによりもたらされるものだが、コルトレーンの本質そのものがそのようなスタイルを形成したのだ。この『陶酔』にやられた人間はもうみんな「コルトレーンを理解できるのは自分しかいない」という<思い込みのかたまり>になってしまうのだ。

中原さんは僕より3歳年上で当然僕より「コルトレーン濃度」は高い。あの時の中原さんは会社をやめて人生の節目でとにかくコルトレーンのことを話したかったのだと思う。

いやはや、この文章を読んでいただいている“コルトレーン世代の皆様方”、はきっと
「コルトレーンの本質が『陶酔』だなんて、バカなことを言うな。」
「吉田何某は、コルトレーンのことをまるっきりわかっておらん。」
「吉田に一度喝をいれてやらねばならない。」
と怒っておられるでしょう。



そんなことを考えていた今年、手に入れたのが「Nothin' But Coltrane/高橋知己(トモキ)カルテット」だ。2006年12月から翌1月にかけて西荻窪・アケタの店で録音され、当然「Aketa's Disc」で出された。
メンバーは
高橋知己(ts)
津村和彦(p)
工藤精(しょう)(b)
斉藤良(りょう)(ds)だ。

高橋さんは、業界では「トモキ」または「巨匠」と呼ばれている。
高橋さんは1950年8月12日、北海道常呂町生まれ、10代の半ばビートルズやストーンズを演奏するロックバンドでギターを弾いいていた。1968年、油井さんのNHKFMの番組「Jazz Flash」で、前年に亡くなったコルトレーン未発表のレコード「OM」がかかり、高橋さんは衝撃を受ける。
その後、札幌のジャズ喫茶と学生運動に入り浸り、70年東京に移り住み72年サックスを吹きだし新宿PIT INNにデビューしたという、いわば「いきなりコルトレーン世代」のど真ん中に属する世代だ。
いやぁ、「Jazz Flash」って実に懐かしい。僕も油井さんにこの番組でジャズの基礎教養を教えていただきました。
その後、高橋さんは自己のカルテットの他に向井氏滋春5、守山威男4に参加、84年から90年にかけてエルヴィン・ジョーンズのJAPANEASE JAZZ MACHINEにも参加している。

このアルバムはコルトレーン没後40年経ち出されたが、企画モノという枠をはるかに超えたコルトレーンに捧げられた傑作だ。
一曲目はコルトレーンの死後発表された「TRANSITION」に収められた「ディア・ロード(Dear Lord)」。「親愛なる主へ」と題されたこの曲はdearから始まるところからしてコルトレーンが神に宛てたラブレターだ。高橋さんの演奏はLordをColtraneに換えて「Dear Coltrane」と言ってもいい、本当に泣ける演奏だ。
このレコードには「My Favorite Things」や「Naima」といった超有名曲の他にコルトレーンの海賊版にしか聴けないバラード(5、6曲目)まで収められている。My Favorite Things以外は全てコルトレーンの作曲だ。

高橋さんの別のレコードを聴くと、そのスタイルはかなり幅のあるもので高橋スタイルとしか言いようがない。しかしこのアルバムでは完全にコルトレーンスタイルで吹き切っているのだ。しかし、スタイルはコルトレーンでも明らかに高橋さん独自の「音人格」があるのだ。

高橋さんには「lady In Satin」というビリー・ホリディに捧げた素晴らしいアルバムがありぜひ別の機会に述べたいものだ。

【蛇足たる補足】
本アルバム名「Nothin' But Coltrane」の意味をいろいろ考え、最初は「コルトレーン原理主義」と意訳しようと思ったのですが、実際の演奏の印象はそんなガチなものではありません。そこで私が昔に読んだ川柳を思い出し、アルバムタイトルを意訳しました。
「コルトレーン、ああコルトレーン、コルトレーン」です。

DEAR LORD
MY FAVORITE THINGS
SYEEDA'S SONG FLUTE
Mr. SYMS
ORIGINAL UNTITLED BALLAD
UNTITLED ORIGINAL
NAIMA
DAHOMEY DANCE
WELCOME 〜 PEACE ON EARTH



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