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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第131回

Misty
本田竹広 with MAMA.T
撰者:大橋 郁


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昔から、たまらなく好きなピアニストの一人に本田竹広がいる。私は、日本人のジャズ・ピアニスト中で、菅野邦彦からは溢れ出る熱いパッションを、山本剛からは絶妙なタッチによる音色の美しさを、そして、本田竹広からは、最も黒っぽいフィーリングを感じている。本田竹広といえば、何と言っても1972年の「ジス・イズ・ホンダ」が名盤として名高い。確かに、スタンダードナンバーを中心に並べたこのアルバムの熱い演奏もバリバリとスイングしていて見事である。また、1971年のトリオ盤「アイ・ラヴ・ユー」も私にとっては昔からの愛聴盤だ。


This Is Honda
本田竹広
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I Love You
本田竹広
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しかし、私が最も本田の黒っぽいフィーリングを強く感じるのが、この「ミスティ」なのだ。このアルバムは本田が、鈴木良雄(b)とジェームス・チック(ds)とのトリオを率いて、1972年に福生の横田基地のオフィサーズ・クラブで、ママT.という黒人女性歌手と吹き込んだライブ盤である。
恐らく、この横田基地という日本の中のアメリカともいえる場所が本田に与えたインスピレーションや、共演したママ T.(vo)やジェームス・チック(ds)といった黒人のフィーリングがこの日の本田に乗り移ったからこそ出来上がったアルバムであろうことは想像に難くない。

本田は1945年に岩手県宮古市で生まれた。小学6年の時に家族と共に東京に上京し、中野区立第9中学から国立音大付属高校、国立音大ピアノ科へと進学している。国立音大の3年先輩には山下洋輔がいて、コードの手ほどきを受けたらしい。そして、2006年に60歳で心不全により夭折している。

宮古といえば、このたびの東北大震災で多大なる被害を受けた土地であるが、三陸復興国立公園の中心をなす浄土ヶ浜が景勝地として有名である。「さながら極楽浄土のごとし」と云われたこの地が彼の人間性や音楽性に影響しているのではないだろうか。本田の父親は、武蔵野音大の出身で、岩手県立宮古高校で音楽と英語を教えていた。クラシック史上主義だったため、息子の竹広は反発もしたらしい。しかし、本田は後に「赤とんぼ」「 夕焼け小焼け」といった童謡を題材にした「ふるさと On My Mind」というアルバムを残している。このアルバムには「仰げば尊し」や「父の歌(宮古高校校歌)」も収録されている。

本田の父である本田幸八は、宮古高校の校歌や田老町民歌の作曲者である。本田にとっては自分の出身校でもない高校の校歌であるが、かつては反発もした父の作った高校の校歌を演奏することで、若い頃、音楽家志望だった父の果たせなかった思いを紡ごうとしたのではないだろうか。実はこのアルバムは現在入手が超困難で私も未聴ながら、こういったアルバムを制作する本田の活動意欲から見ても、自分のルーツを強く意識し、大切にしている様子が伺える。

95年頃、本田は脳梗塞に倒れリハビリの日々を送るが、その生活の中で、「ふるさと」や「赤とんぼ」などの曲を弾くことによって、ふたたび生きる気力を回復したという。かつて、アメリカ音楽に途方もなく憧れ、黒人になりたくて仕方なかったという本田が晩年、自身のルーツである日本の歌や父親の遺した曲を演奏して気力を保とうとした。本田は自分を育ててくれた宮古の風土や、父親への感謝がこみ上げる心境になっていたのではないだろうか。 その感謝をカタチにしたくて作ったアルバムが「ふるさと On My Mind」なのかも知れない。

デビュー後の本田は、武田和命のグループや渡辺貞夫カルテットにも参加した後、自己のトリオを率いて活躍した。一時は、マッコイ・タイナー系の演奏に傾倒したり、フュージョンに傾いていった時期もあるが、基本的には、4ビートをベースとした王道のピアノ・トリオがこの人の持ち味である。(自己名義のリーダーアルバムの殆どがトリオ編成であることからもそれがわかる)  特にこのアルバムでは、ママ T.のダイナミックなボーカルの合間に高音のコロコロとした合いの手が随所に入る。横田基地における米人たちを相手とし、アメリカンな雰囲気満点でノリノリのスインギーな本田のピアノが冴えまくる。このアルバムの雰囲気を聞いていると、まさにこれはアメリカで録音されたかのような豪快さがある。

ママ T.については、本名がベニー・タイリー(Bennie Tyree)で、1932年ルイジアナ州生まれであるということ以外、ほぼ謎である。しかし、一聴してゴスペルやブルースルーツの黒人フィーリング満載の歌声である。そして何といってもソウルフルな歌心が素晴らしい! さほど巧い歌手とも思えず、随所に粗さや乱れもあるが、このアルバムではそんなことは全く気にならず、むしろアメリカ的な楽しい雰囲気が圧倒的に勝っている。冒頭の「ミスティ」は元々バラード曲だが、ここではでは軽快でスインギーなアレンジで聴かせる。アルバム中唯一のママ T.オリジナル曲であるバラード「ベル(Bell)」で唸るように歌い上げるところは、このアルバムの聞き所のひとつだ。
また、ブルース曲「ストーミー・マンデイ」が始まったところで、観客が声を張り上げて喜んでおり、こういった選曲をアメリカ人が好む様子が伝わってくる。

全7曲、捨て曲無し。本田とママ T.のブルージーな雰囲気やスイング感、そして「日本の中のアメリカ」を味わえる大名盤だと思う。


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