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さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
媚びないジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。

第115回
Recordando A Line
Tete Montoliu



リネの思い出
テテ・モントリュー
撰者:大橋 郁



Recordando A Line
Tete Montoliu

【Amazon のCD情報】

「リネの想い出」は、1970年頃から71年にかけて付き合っていた女性との別離を惜しんで録音したとのことだ。タイトルそのものに去って行った恋人であるリネの名を冠する程の失恋の悲しさの中いるとは思えないくらい、内容は強力にスイングしていて、抜群の出来だ。彼の右手は、明瞭で明確なタッチを持っていて、個々の音をはっきり表現する力をもっている。繊細で切れのよいタッチや指さばきを、余すところなく拾っているのが録音の良さだ。音数は多く饒舌だが、その一音一音に重厚感があり、粒立ちの良い音に仕上がっている。バラードの方がむしろ、透明感のある細やかな音使いが鮮明に聞こえる。



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2014年の夏は天候不順も含め、いろいろな事があった。中でも、イギリスのスコットランド独立に関する一連の動きは本当に世間を注目させた。それまで正式名称「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」を正確に言える人は稀だったであろう。しかし、スコットランド独立の為の住民投票が近くなるにつれ、新聞記事を読んだり、調べているうちににわかイギリス通(つう)になった方も多いのではないだろうか。小生もそのクチだが、300年も前に一つになった国が、地域性や独自の文化を理由に、あわや分離独立が実現するかも知れないと思うと、とても無関心ではいられなかった。民族の血がたぎって応援したくなったり、でも独立後の経済的混乱などを考えると不安になったりと複雑な気持ちになった。だから、住民投票で独立反対派が勝利という結果を見た時は、正直ほっとする気持ちが強かった。独自の民族、言語、文化があること自体は多いに尊重されるべきことだと思うが、通貨のことやEUとの関連など、本当に一国としてやっていけるのかと考えると、当事者であるスコットランド人自身が「冷静」になった結果ではないか、などと勝手に解釈している。

さて、今回紹介するのは、スペイン出身の盲目のピアニスト、テテ・モントリューの1972年のピアノ・トリオアルバム「リネの思い出」だ。 テテ・モントリューは、主に1970年代前後に活躍したピアニストではあるが、日本人ジャズファンにとっては、名前くらいは知っていても、じっくり聞いたことのないというピアニストの筆頭ではなかろうか。私自身、つい最近まで名前以外はほとんど何も知らなかった。それくらい、テテ・モントリューという人は日本では人気があるとは言えない。ジャズ喫茶での人気盤であったこともないと思う。

ところで、テテ・モントリューが生まれたスペインという国は複雑な国で、冒頭で触れたイギリスと同様に国内の紛争が絶えない。我々日本人にはあまり馴染がないが、実は17の自治州から構成されているそうだ。テテ・モントリューは、カタルーニャ州の出身だが、州都バルセロナの人々は、「我々はスペイン人というよりカタルーニャ人だ」と胸を張り、独自言語のカタルーニャ語を話す。売店で売られる新聞は、スペイン語紙よりもカタルーニャ語紙の方が目立つ。また、有名なアントニオ・ガウディ設計の建築物「サグラダファミリア」があるのもバルセロナであり、これはスペインを代表する観光名所だ。
カタルーニャ州は、スペインの人口の16%で国内総生産の20%を稼ぎ、全17州で最も大きい経済規模を持つ。しかしながら、その豊かな富は中央政府に吸い上げられ、経済成長の遅れた州に渡っている。カタルーニャ州では「払った税金以上に富が奪われている」という構図に不満が漂い、不公平感を感じているのだ。
逆にカタルーニャ州がスペインから離脱することは、財源を移転出来なくなることであり、中央政府にとっては大きな損失であり、絶対に認めないであろう。

そもそもスペインにおけるこれらの自治州は、18世紀から別々の独立国であり、独自の言語や文化を有していた。しかしそれらの独立国は18世紀初めに勃発した「スペイン継承戦争」後は独立国の地位を失い、スペインに組み込まれた。その後、第一次世界大戦(1914〜1918)を経て独立運動が盛んになり、小作農や労働者層を背景とした人民戦線と、地主や貴族、教会などを背景とした保守勢力が、政権を奪い合っていた。1930年代のスペイン内戦後、1939年から1975年の間は「フランコ独裁政権」のスペイン王国による弾圧が繰り返され、独立は認められなかった。
しかし、その間も各自治州の独立心は消えておらず、むしろ社会の根底にある。この逆境によって却って各州の民族のアイデンティティーが高められたのだ。例えばカタルーニャ自治州で1899年に創設された名門サッカークラブ「FCバルセロナ」も独裁政府から相当な弾圧を受けたようだが、弾圧されればされるほど、「カタルーニャ」という国への愛国心が燃え上がり、バルサ(FCバルセロナの愛称)を応援することがカタルーニャ人の誇りになっていったという。それくらいに、バルサはカタルーニャの政治的、文化的、社会的アイデンティティーが刻み込まれた存在になっている。
ただ、カタルーニャ州のマス州首相(独立推進派)は、独立を果たしてもバルサ(FCバルセロナ)は、サッカー・リーグには残留すると云っており、サッカーファンにとっては一安心である。

スペイン政府は、憲法で独立の是非を問う住民投票を禁じているので、独立へのハードルは高い。
しかし、カタルーニャ州議会では、2012年に独立を訴える勢力が過半数の議席を獲得している。結果は否決されたとは云え、スコットランドでの民族意識の盛り上がりの影響もあり、今後も目が離せない。

さて、テテ・モントリューが生まれたのはこのカタルーニャ州の州都であるバルセロナなのだ。独自の言語を持つなど、民族意識が強く、国内は比較的裕福な土地柄だ。グルメの都ともよばれ、バラエティ豊かな前菜やパエリアなど食文化が豊かなことでも知られる。しかし、住民のDNAは他の欧州系民族と大きな違いがあるという。



テテは、目の不自由さから来る行動的な制約のせいか、主にバルセロナに居住し、米国など他国からやって来るミュージシャンと共演するといった活動が多かったようであるが、次第に広く欧州域を演奏旅行するようになり、1964年にはデンマークの首都コペンハーゲンにあるジャズクラブ「カフェ・モンマルトル」に出演するようになる。1933年生まれのテテはこの時31歳である。また60年代後半になると米国にも演奏旅行出かけ、場合によっては長期滞在もしている。
テテが40代となる1970年代には、最も録音が多い。1973年に創立されたデンマークのレコードレーベル「スティープルチェイス」によって、1974年に高名な2枚のアルバム「テテ!」と「カタロニアン・ファイア」が残されることになる。この時は、当時の「カフェ・モンマルトル」のハウスバンドとも云うべき2人のサイドメン、ニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセン(b)とアルバート・トゥッティ・ヒース(ds)がサイドを固めており、抜群に強力なサウンドとなっている。



Tete!
Tete Montoliu
【Amazon のディスク情報】



Catalonian Fire
Tete Montoliu
【Amazon のディスク情報】

1974年5月28日録音の「テテ!」(上)と、2日前に録音した「カタロニアン・ファイア」(下)



今回紹介する「リネの想い出」は、この直前の72年録音である。1970年頃から71年にかけて付き合っていた女性との別離を惜しんで録音したとのことだ。タイトルそのものに去って行った恋人であるリネの名を冠する程の失恋の悲しさの中いるとは思えないくらい、内容は強力にスイングしていて、抜群の出来だ。

1曲目のバラード「アイ・シュッド・ケア」は、去って行った恋人リネに対して「僕はもっと君のことを大事にしなくてはならなかった」という気持ちを歌っているのだろうか?ジャケット写真のテテは人気(ひとけ)のない海岸で、流れ着いた流木のようなものを、そっと左手の甲で支えて、一人寂しく佇んでいるようである。こうしてあげればよかった、といいたげなようだ。
2曲目の「スウィート・ジョージー・フェイム」は、ジャズ歌手/ピアニストのブロッサム・ディアリーが書いた名曲バラード。ここでのテテは、この曲をアップテンポでスイング感たっぷりに強力に弾く。得意なレパートリーのひとつにしているらしく、何度か録音している。因みにこの曲は、1967年にブロッサム・ディアリー(当時43歳)が、英国で活躍していたシンガソングライターのジョージー・フェイム(当時24歳)の音楽に惚れ込んで作った曲である。「喜びを与えてくれた素敵な若者、可愛いジョージー・フェイム」と歌うこの曲をテテは元恋人のリネのことを想いながら弾いたのだろうか。
7曲目の「ブルース・フォー・リネ」や9曲目の「身も心も」ではグイグイと高速で炎のようにエネルギッシュに突き進む。

同じジャズアルバムでも、それを聴く場所とか雰囲気、ステレオの性能、音量、そしてその時々の自分の気分や体調などによって、印象が大きく変わってくることがある。しかし、このアルバムは一度聴いて完全にハマってしまった。聴いたらどんな状況でも新鮮で生き生きとして聞こえてくる。
彼の右手は、明瞭で明確なタッチを持っていて、個々の音をはっきり表現する力をもっている。
彼のピアノの繊細で切れのよいタッチや指さばきを、余すところなく拾っているのが録音の良さだ。音数は多く饒舌だが、その一音一音に重厚感があり、粒立ちの良い音に仕上がっている。バラードの方がむしろ、透明感のある細やかな音使いが鮮明に聞こえる。

テテには目が不自由であるという制約の為、活動が制限された。もし米国の恵まれたジャズ環境にいれば状況も多少違っていたであろう。しかし、彼はカタロニアから出ていくことが困難だった。デンマークがやっとであった。もっと広く、もっと多くの挑戦が出来ていたら、この火花散る偉大なピアニストの名はもっと広がっていたかもしれない。しかしながら一説によれば、地元であるカタルーニャを離れようとしないのが、誇り高いカタルーニャ人の特徴のひとつでもある、という。だからであろうか、彼の限りないカタルーニャへの愛はどんどん広がりをもっていたようである。晩年には「カタルーニャ・ラプソディ」という全編故郷に捧げるアルバムをヴィーナスレコードから出している。

テテは1997年に64歳で肺がんのため死去する。バルセロナで生まれバルセロナで死に、生粋のカタルーニャ人としての人生を全うした。偉大なピアニストではあっても、世界的大人気ピアニストとまでは言えなかった彼の人生も、我々が思っているよりは幸せだったのかも知れない。


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