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第99回
Cumbia & Jazz Fusion
Charles Mingus



クンビア・アンド・ジャズ・フュージョン
チャールズ・ミンガス
撰者:吉田輝之



Cumbia & Jazz Fusion
Charles Mingus
【Amazon のディスク情報】

クンビアは南米コロンビアのカリブサイドのアフロ系舞曲にインディオやスペインの楽器、リズムが取り入れられ、ガイタと呼ばれる二本の笛でメロディーを奏で、大小二つの太鼓でアフタービートを刻む素朴な音楽。A面を占める表題曲はこのクンビアを取り入れた一大音絵巻、ミンガスミュージックの集大成だと僕は思っている。
鳥の鳴き声にからんでポール・ジェフリーがアフリカ中近東風のテーマを演奏し、太鼓が鳴り響いていく。テーマがミンガスのベースによって強力なリフのコールアンドレスポンスを交え、さらにダニー・リッチモンドのドラムがおあって恐ろしいほどのグルーヴを生み出している。
ミンガスのこのスイング感は決して70年代以降のべーシストには出せない。明らかにエリントンサウンドを意識したものだ。そして、曲調が変化し、ミンガスの「ラップ」が始まる。
盟友ダニー・リッチモンド以外は決して個性の強いミュージシャンが参加しているわけではないが、フルオーケストラ並みの15人が参加し、アンサンブルが傑出している。この曲はアフリカの黒人がカリブ海を経由して奴隷としてアメリカに連れて来られ、やがてジャズを産みだし、さらに現在のヒップホップ文化までを表現した「アメリカ黒人の歴史」なのだ。



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こんにちは、秋になって冬眠状態にある吉田輝之です。私、子供の頃から春と秋に10日間ぐらい「冬眠」に入ります。春と秋ですので「春眠」と「秋眠」というのが正確なのでしょうか。一見、普通に目を開けて仕事をしたり、ご飯を食べたり、バーで話をしていますが、本当は一日中「眠っている」のです。だから今回の原稿も実は「眠りながら」書いています。すみません、たぶん金木犀が薫る頃、目覚めると思います。

秋眠中に書いた今回の一枚は「Cumbia & Jazz Fusion/Charles Mingus」です。



ミンガスと言えば「怒れるミンガス」である。本来、僕も当欄では、「フォーバス知事の寓話」に代表される彼の音楽自身からミンガスの「怒り」を語るべきだと思っている。しかし今回改めて彼の主要作を聞き直し、さらにいろいろ調べていくと、わかったような気になっていた音楽表現としてのミンガスの「怒り」がドンドンわからなくなってしまった。だから今回はミンガスの「怒り」を「音楽表現(レコード)」ではなく「行動表現(暴行事件)」から話を始めたい。

○ 1953年、ミンガスは子供の頃から崇拝していたエリントンのオーケストラに入団した。アポロ劇場での本番前の控え室でミンガスはトロンボーン奏者のファン・ティゾールが編曲した曲を練習していた。それを聞いた当のティゾールが何か気に入らなかったのか「お前も所詮、他のクロンボと一緒だな、楽譜も読めないのか」と文句をつけた。ニューヨークフィルハーモニーの巨匠ハーマン・ラインスハーゲンに師事したミンガスは「読譜できないクロンボ」と言われムカッとなった。「じゃ、あんたは黒人じゃないのか」と言うと、ティゾールは「俺は違う。白人だ」と言ったため、大喧嘩となる。ちなみにティゾールはプエルトリカンで容貌からして混血なのだろうが、おそらく「白人」と自己認識していたのだろう。怒ったミンガスがティゾールを追い掛け回すが、もう開演だ。ミンガスはあわててベースを抱えてステージに出て定位置につくとエリントンはオープニングテーマの「A列車で行こう」のタクトを下ろした。ミンガスがティゾールを見るとティゾールはナイフをチラつかしている。
ミンガスは激高して近くにあった「消火用斧」を振り回し、ベースを抱えたまま、あの巨体でピアノの上を(目撃したエリントンによると、まるでニジンスキーのように)跳び越して、ティゾールに襲いかかったが、ティゾールが逃げ、代わりにティゾールの椅子を破壊してしまう。当時、映画館や劇場には火災時に塞がっているドアを壊せるように斧が置いてあったのだ。ミンガス自身、興奮していたため、詳細はよく覚えておらず当事件には諸説あるが、とにかく大暴れしたらしい。
事件の原因はティゾールにあるが、片腕のティゾールを切ることが出来ないエリントンからミンガスはやんわりと説得され楽団を自主退団という形でクビになった。


(閑話休題)何かこのエピソードを読むと、ティゾールは人種差別主義者のイヤな野郎みたいだが、「キャラバン」の作曲者として、また編曲者としてエリントンサウンドの構築に多大な貢献をし、さらに、50年代の前半にジョニー・ホッジズが自己の楽団を結成するため主力メンバーを連れて抜けたためエリントン楽団が危機的状況となった時、既に独立していたティゾールはドラマーのルイ・ベルソン他を連れてエリントン楽団に復帰し、50年代の「ニューエリントン楽団」を支えた、なかなか男気のある人物なのだ。

○ 1950年代はじめ、ミンガスはマイルスのバンドと一緒にカリフォルニアにツアーに出かけた。そこで入ったレストランで「黒人はお断り」と入店を断られ怒ったミンガスは「レストランをぶっ壊してやる」と怒鳴りながらレストランに入ろうとしたミンガスをマイルス他バンドのメンバーは必死で止めて車の中に押し込んだ。

○ 1950年代の後半、ミンガスのグループは有名なジャズクラブ「ファイブ・スポット」で演奏していた。そこに白人の観光客の一団がやってきて、音楽も聴かず大騒ぎを始めた。ミンガスは演奏を止め、マイクに向かい「アイザック・スターンならこのような糞のような仕打ちを受けただろうか」と演説を始めた。シーンとなる客席。怒り際まわったミンガスは自分の2万ドル(今なら数千万円)もするベースを叩き壊してしまった。


(閑話休題)このエピソード非常に有名で、まるで人種差別主義でジャズを馬鹿にして演奏を聴こうとしない白人に対してミンガスが怒りをぶちまけたように語られているが、実際の現場はかなり違ったのではないか、と私は思っております。この時の白人のお客さんは観光客、つまり田舎から来たモダンジャズなんて聴いたこともないおじさん、おばさん達で、日本で言えばおのぼりさんでしょう。お金払って、わけのわからない音楽を聴かされて、さらに怒鳴られたお客さんに私、同情しています。ミンガスもこの白人のお客さん達が別段「あのクロンボを殺してしまえ」なんて言わず、なぜ怒られるかわからず呆然としているのを見て、収集がつかなくなり、自分のベースを壊すという「パフォーマンス」を見せたのではないでしょうか。


○ 1962年10月12日、トロンボーンのジミー・ネッパーはミンガスのアパートで練習をしていた。その場で、ミンガスはネッパーにタウンホールでのコンサート出演依頼をするが、ネッパーは「これ以上の仕事はできない」と断り(もしかしたらダブルブッキング?)、怒ったミンガスはネッパーの顔面を殴りつけ、歯を根元からへし折ってしまう。このためネッパーは高域のオクターブを吹けなくなり、トロンボーン奏者として致命的なハンディキャップを負うことになった。ネッパーはミンガスを告訴し、ミンガスは執行猶予刑となった。
しかし、ミンガスとネッパーはその後仲直りし、晩年のミンガスグループを支えだけでなく、ミンガスの死後に結成されたミンガス・ダイナスティにも参加している。もちろん今回のこのアルバムにもネッパーは参加している。



ジミー・ネッパーに限らず、ミンガスがグループで殴らなかったのは、秋吉敏子(女性)、ローランド・カーク(身障者)、クリフォード・ジョーダン(自身大柄で、さらに黒人レスラーとして史上初のNWAチャンピオンとなったベアキャットとは無二の親友)だけだといわれているぐらい、とにかく殴りまくる、それも思い切り殴るミンガスであった。

(閑話休題)年代ははっきりしませんが、ミンガスが新車を買ったばかりのマックス・ローチに「俺にも運転させてくれ」とローチを助手席に乗せて運転していたそうです。その時、子犬か子猫が車の前を横切ろうとしたため、あわててミンガスは車のハンドルを大きく切って電信柱か壁にぶつかりローチの新車を大破させてしまったそうです。
ローチと仲が悪くなった原因はこのせいなのでしょうか。しかしミンガスさん動物にはやさしいですね。



ミンガスの「事件史」を辿ると、実際に暴力を振るったのは殆どグループのメンバーであり、それ以外に暴力を振るったというのはどうもないようだ。しかし、ミンガスはなぜメンバーを殴るのか。それでいてネッパーのように殴られてやめたメンバーは案外少ないのは何故か。
さらに、ミンガスは強力なリーダーシップであの個性の強いメンバーの力を引出して次々と傑作を残せたのは何故か。モダンジャズ史上、マイルスとブレイキーと並びグループから優れたジャズメンが輩出したのは何故か、と次々に疑問がわいてくるのだ。

僕はミンガスがすぐ殴るのは単純に軍人の家系で生まれ育ったからだと思っている。以前ミンガスの祖父がバファローソルジャーだった事を記したが、父親も職業軍人でミンガスはアリゾナの軍の施設で生まれている。ミンガス自身おそらく殴られて育ったのだろう。
それに当時の黒人、それも個性の強いジャズマンをまとめるには「暴力」も必要だったのだと思う。ミンガスは殴った後、自分が悪かった場合は素直に謝り、相手が悪くてもその後、何事もなかったように食事に誘ったという。案外、後に引かないタイプなのだ。しかし殴ってでも統率できたのは、本質的にはそのような「気配り」ではなく、何といってもミンガスの「音楽の力」だろう。

ミンガスのグループにいたメンバーは、エリック・ドルフィー、ブッカー・アーヴィン、クリフォード・ジョーダン、ローランド・カーク、ダニー・リッチモンド、ジャッキー・バイアード、ホレス・パーラン、マル・ウォルドン、ドン・ピューレン、ジョージ・アダムズ、ジョン・ハンディそして秋吉敏子など、一筋縄ではいかない「一人ワンジャンル」とでもいうようなスケールの大きな、そして「どこか変」な音楽家ばかりだ。よくもこんなトンでもない者達ばかりが「集まった」というか「集めた」というか、感心してしまう。いや、むしろ現在では強烈な個性でジャズ史に残る彼等だが、ミンガスのグループに参加したときは殆ど無名の新人であり、ミンガスが彼等を鍛え上げ、ビッグインスピレーションを与えたことで彼等の個性と才能が開花したといった方が正しいのだろう。だいたい彼等の「どこか変なところ」はミンガスの「とてつもなく変なところ」によって発現したのだ。

一般にジャズ演奏では、全員によるテーマ演奏(アンサンブル)から各自ソロ(アドリブ)を取り、フォーバースのやり取り等のバリエーションをいれ最後に全員でテーマを演奏するという構成だが、ミンガスの多くの曲はこのような単純なパターンにあてはまらない。
まず一人のリードプレイヤーやミンガスのベースがあるテーマを演奏しだすと別のプレイヤーがカウンターメロディーを演奏して最初のテーマに絡み、あるテーマがリフ(リフレインフレーズ)を形成し、そのうえに次々と各自のアドリブが絡んで行き、途中リズムパターンの変更、転調が繰り返され曲調がガラッと変わっていく。『道化師』収録の「ハイチ人の戦いの歌」や『ブルース・アンド・ルーツ』収録の「モーニング(アート・ブレイキーの有名曲とは同名異曲)」はその代表だ。
僕は特にミンガスのグループが創り上げるリフに興奮を覚える。そのリフは例えば前へ前へとドンドン出ていく解放的なものではなく、時に下から持ち上げられるように、時に心臓を直撃するがごとくスウィングし、ある種の恐怖感すら感じる。
しかし注意深く聴いていると、ミンガスグループの演奏は複雑そうに思えて、実は一つのテーマ、リズムパターンが無限に変化していく極めてシンプルなものであることがわかる。

秋吉敏子さんや油井正一さんによると、ミンガスは自身が作曲した曲の練習する際に綿密な楽譜は使用せず、口頭やピアノか簡単なメモで大まかなテーマやリズム、ハーモニーを指示したうえで、メンバーに「お前はどのように演奏するんだ」と問いかけて演奏させ、その演奏を基にさらに曲を練り得あげていったという。これは明らかにゴスペルやR&Bなどのコーラスグループが音合わせをしながら曲を練り上げていくやり方だ。
ミンガスは40年代にはガンサー・シュラーの「THE THIRD STREAM」の影響を受けアドリブと聞こえるパートも実際は全て楽譜に書いて演奏していたというが、それでは音楽が死んでしまいスポンテイニアスに演奏できないことに気付き、ゴスペルなど黒人音楽のスタイルの手法を取り入れるようになったという。

僕がジャズを聴き始めた70年代の後半、モダンジャズ第一世代というべきミュージシャンでは、ガレスピーのように名人として生きていくか、モンクのように隠遁生活を送るかだった。その中で、ミンガスは60年代後半に一時元気をなくしたが、70年代に入り復活し、マックス・ローチと並び数少ない創造の火を燃やし続けた例外的な存在だった。ミンガスは晩年ビアダルのような体になっており、今では筋萎縮性側索硬化症という筋肉が委縮して動けなくなる難病にかかっていたことが知られているが、当時は「太り過ぎで動けなくなっている」という話だった。
しかし、そのような身体的及び精神的な苦難ななかで1977年に「 Cumbia & Jazz Fusion」と「THREE OR FOUR SHADES OF BLUES」という圧倒的な作品を残したことはすごいことだ。



特に今回取り上げた「 Cumbia & Jazz Fusion」収録の表題曲はミンガスミュージックの集大成だと僕は思っている。クンビアは南米コロンビアのカリブサイドのアフロ系舞曲(つまり奴隷の音楽)にインディオやスペインの楽器、リズムが取り入れられ、ガイタと呼ばれる二本の笛でメロディーを奏で、大小二つの太鼓でアフタービートを刻む素朴な音楽だ。A面を占める表題曲はこのクンビアを取り入れた一大音絵巻である。当時、ラテンリズムを取り入れたフュージョンが流行っており、このレコードが出された時はその題名からミンガスも時流に乗ったかとも思われたが、ミンガスは思い付きや音楽的搾取を目的にクンビアを取り入れるような男では絶対にない。

曲の出だしは、ジャングルがイメージされる鳥の鳴き声(SE)だ。そしてポール・ジェフリーによるガイタを模したとおぼしきオーボエがアフリカ中近東風のテーマを演奏し、それにカウンターメロディーが絡み、太鼓が鳴り響いていく。そのテーマがミンガスのベースによって、前述した「モーニング」を想起させる強力なリフがコールアンドレスポンスを交え、さらにダニー・リッチモンドのドラムがおあり、恐ろしいほどのグルーヴを生み出している。 やがてジャック・ウォーラスによるトランペットとリッキー・フォードと思われるテナーがテーマを変化させていき、いつの間にかフォービートジャズになっている。トランペット、ピアノ、ネッパーのトロンボーンソロをミンガスのベースが支えるが、ミンガスのこのスイング感は決して70年代以降のべーシストには出せないものだ。これは明らかにエリントンサウンドを意識したものだ。
そして、曲調がまた変化し、ミンガスの「ラップ(?)」が始まる。
ママがどうしたこうしたと喚いているが、いまいち内容がわからん。ヒアリング能力のある方、何を喋っているか教えて下さい。

この曲が録音された76年当時、ラップという「ジャンル」が現れた頃だが、ミンガスが「ラップ」というものを知っていいたかどうかはわからない。しかし知っていようか知っていまいが、ミンガスはもとから「ラッパー」だった。「フォーバス知事の寓話」や「モーニング」でのミンガスらによる「不気味な歌」は今聞けば完全なラップだ。ミンガスの曲がラッパーにサンプリングされたなんて話は聞いたことはないが、実はミンガスという人、最もヒップホップ体質のジャズマンだと僕は思っている。だいたい太っているし、アイゼンハワーとフォーバス知事を「ディズ」りまくっているし。

このレコードは、盟友ダニー・リッチモンド以外は決して傑出した個性の強いミュージシャンが参加しているわけではないが、フルオーケストラ並みの15人が参加し、そのアンサンブルが傑出している。ミンガスが意識したどうかはわからないが、この曲はアフリカの黒人がカリブ海を経由して奴隷としてアメリカに連れて来られ、やがてジャズを産みだし、さらに現在のヒップホップ文化までを表現した「アメリカ黒人の歴史」なのだ。

ミンガスは自分の浅黒い黄色の肌色を“うんこ色”と呼ぶ。どうせ黒人ならマイルスのように“真っ黒”だった方がよかったとも語っている。またピグモンのようなその風貌も西アフリカ系とも東アフリカ系とも言えないツクリだ。実際、彼のルーツはかなり複雑なようで、母方の祖先には英国人と中国人の血がまざり、父親はスエーデン系の農場主の娘とその農場で働く農夫(奴隷)との間で非合法的に(つまり結婚せずに)に生まれ、14歳までは白人として育てられたという。これはミンガスの自伝「負け犬の下で(Beneath the Underdog)」で述べられていることだ。この自伝では、その農場主はリンカーンに連なる家系であることや、成人後、ミンガスが一晩で何十人もの女性と乱交したこと、高級売春婦のヒモ(つまりジゴロ)をしていたことなどが記されており、昔からこの自伝は、ミンガスの「たわごと」「だぼら」「妄想」「作り話(小説?)」と言われている。しかし、何が「事実か」という事はどうでもいいことだ。人が生きていくうえで、このような「物語」を自分に与えて語り生きていくことが重要なのであり、その「物語」はその人にとって「真実」なのだ。

ミンガスというヒトは黒人でも白人でも黄人(という言葉はありませんが)でもない風貌を持つ「何者でもない」自分は「何者だ」という問いかけを原動力に表現してきた人ではないだろうか。

ミンガスについててはまた機会を改めて。



【蛇足たる補足】Mingus、Mingus、Mingus、Mingus、Mingus

以前「MONEY JUNGLE」の回でウメ地下阪神梅田駅向いにあるカレー店「MINGUS」をご紹介したところ、たいへんご好評(?)をいただきました。そこで、今回はその拡大版で、ミンガス(MINGUS)という名のお店等の特集です。表題は名作(通称「5ミンガス」)にあやかりました。副題は「ミンガスを探せ!」です。

(1)大阪市福島区 「EUROPEAN PUB MINGUS」(訪問済)
阪神野田駅の高架にあります。ヨーロピアンパブとありますが、30年前の少ししゃれた喫茶店というか洋食屋さんです。髭のあるコックさん(白人風)の木彫りの人形が目印です。日替わりランチ700円ですが、特製オムライス780円をいただきました。味はマズマズというところですか。カレー屋さんもそうでしたが、チャールズ・ミンガスとの関係はまるでわかりません。

(2)大阪市難波 「TEA HOUSE MINGUS」 (訪問済)
なんばシティ地下2階にある喫茶店というより名の通りティー・ハウスです。以前は「Cafe De Mingus」という名前だったらしいです。イギリスの古民家風にインテリアのなか、メイド風のフリルの一杯ついたすごくかわいい服を着た、ホッペタがピンクの二十歳ぐらいのすごくかわいい女の子が、すごくかわいいカップに入れたティーとクリームたっぷりの大きなイチゴショートケーキをもってきてくれるという、チャールズ・ミンガスとは圧倒的に対立する世界観が全面展開されています。はっきり言って50歳過ぎのおっさんにとって、この店に入るのは人生最大の覚悟がいりました。完全に私自身この店で異空間に浮いており、「ミンガス」の名前の由縁を聞く勇気はとてもありませんでした。

(3)宮崎県宮崎市 「株式会社ミンガス」(未訪問)
何をしている会社か全く想像できません。しかし、また何でこん名前をつけたのでしょうか。ミンガスが生存していてこの会社のことを知ったら。間違いなく著作権で訴えたでしょう。
※今、この会社のHPをみたら「天然ガスの採掘、製造、販売」をしている会社であることが判明しました。英語名は「MINGAS」です。わざわざAの箇所を赤字にしていますよ。やはりチャーリーに訴えられるが怖かったのでしょうか。

(4)和歌山県田辺市 スナック「ミンガス」(未訪問)
飲酒業としかわからず、もしかしたら居酒屋さんかもしれませんがバーではないようでスナックとしておきます。田辺市に行かれる方がおられたら情報下さい。しかしチャーリーのようなママさんが出てきて「フォーバス知事の寓話」を一緒にカラオケで歌うことを強要されても当方責任は一切負えません。(そんなカラオケあるかぁ!)

さて以上4と梅田のカレー屋さんを入れて、ミンガスとの関係がよくわからない「5ミンガス」としますが、その他、明らかにジャズがらみの「ミンガス店」は以下の通りですが、予想以上に多いです。おそらくマイルス、コルトレーン、ロリンズがらみの店名よりはるかに多いのではないでしょうか。機会があれば一度「ミンガス巡り」をしてみたいと思っています。

(5)北海道札幌市 「MINGUS COFFEE」(未訪問)
(6)福島県福島市 「ミンガス」 ジャズ喫茶(未訪問)
(7)東京都渋谷 「ミンガス」 ジャズ喫茶(未訪問)
(8)広島県広島市 「ミンガス」 LIVEハウス(未訪問)
(9)京都府京都市 「JAZZ IN MINGUS」ジャズバー?(未訪問)
(10)東京都蒲田 「直立猿人」ジャズ喫茶(訪問済)


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