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主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。

第66回
The House Of Blue Lights
Eddie Costas



ハウス・オブ・ブルー・ライツ
エディ・コスタ
撰者:松井三思呂



The House Of Blue Lights
Eddie Costas
【Amazon のディスク情報】

エディ・コスタの左手にある執拗なまでの低音へのこだわり。ピアノを弾いているというより、ハンマーで乱打しているようなパーカッシブな奏法。「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」は10分間に及ぶ長尺だが、職人肌のベースとドラムスの的確なサポートに乗って、コスタの左手が縦横無尽に中低音を駆け巡り、その左手とは対照的に流麗で柔らかいタッチを持つ右手とが組んず解れつ、何が飛び出すか分からない玉手箱状態。予定調和のカクテルピアノとは対極にある演奏で、バーなどのお酒の場で女性を口説く時には使用不可。ジャズ喫茶でスピーカーと正対して拝聴する演奏だ。




TAL
Tal Farlow
【Amazon のディスク情報】

「イエスタデイズ」はコスタ生涯最高のソロと評する人もいる名演奏。前半は超高速で中低音をドライブしまくるタルに、中低音のユニゾンでからむコスタ。最初から全力疾走の二人に、「もう少し落ち着いたら」と言ってるようなバークのベースソロをはさんで、後半がもっとスゴイ。バースの交換はインタープレイという言葉では片付けられない。お互い、ノーガードのどつき合い。それもフライ級のパンチではなく、ヘビー級のパンチ。そして両者の技を出し尽くした時、ゴングが鳴って演奏が終わる。



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朝夕は少し秋めいてきましたが、日中はまだまだ暑い日々が続きます。
オリンピックのサッカーは男女ともに大興奮でした。続いてヤングなでしこ、男子フル代表のW杯アジア最終予選とテレビ観戦の日々です。間違いなく、日本のサッカーは世界から注目されています。
あるヨーロッパ在住の日本人サッカー評論家が書いていました。「今の日本のサッカーは高度経済成長期の日本経済と似ている。誰もが意識しないうちに世界のトップレベルに上ったように。」



さて、今回のコラム。ここのところ私の担当するコラムはサックス奏者を連続して採り上げてきたので、ここでは非常に個性的な白人ピアニストのトリオ作品を紹介する。


『The House Of Blue Lights/Eddie Costa』
(Dot DLP3206)
 エディ・コスタ(p)
 ウェンデル・マーシャル(b)
 ポール・モチアン(ds)


ジャズを聴く楽しみの大きな要素が演奏者のスタイルや個性である以上、好きか嫌いかは別にして、一度聴いたら忘れないプレイヤーは魅力的な存在だ。
まさにエディ・コスタはそんなピアニストである。

このアルバムとの出会いは大学時代。前にも書いたことがあるかもしれないが、大学の同じ学科に筋金入りのジャズファンがいた。
彼のフェイバリット・プレイヤーはビル・エヴァンスであったが、レコードのコレクションはエヴァンスにとどまらず、家庭教師のバイト代を海外オークションに注ぎ込み、当時は復刻がなされておらず、まさに「幻」であったシグネチュアの『レイ・ブライアント・プレイズ』や、ジョルジュ・アルバニタのプレトリア盤『3AM』などをオリジナル盤でゲットしているような人物であった。

また、彼から教えてもらって買ったアルバムは、ピート・ジョリーのアヴァ盤『リトル・バード』、デューク・ピアソンのジャズライン盤『エンジェル・アイズ』、エルモ・ホープのセレブリティ盤『ヒアズ・ホープ』など、玄人が唸るピアノトリオの裏名盤といったものばかり。
今のようにネットで情報が氾濫するはるかに前の時代、彼は私にとってジャズ、特にピアノトリオの師匠であった。

そんなある日、彼と一緒に大阪ミナミの中古盤屋のエサ箱を物色していた時、ふと差し出されたアルバムが『ハウス・オブ・ブルー・ライツ』。

「これ持ってへんかったら、買っといた方がエエで。」
「エディ・コスタ? ふーん、知らんけど、どんな感じ?」
「おどろおどろしいねん。まあ、『ウルトラQ』の最初ちゅう感じよ!」
(『ウルトラQ』の最初が分かる方は、アラフィフ以上の世代だと思いますが・・・(笑))

そう言われてジャケットを見ると、妖怪の館みたいなデザインで面白そうだし、値段も手頃(廉価盤の中古)なうえに、何よりピアノトリオの師匠のレコメンドである。 購入することにして自宅に持ち帰り、早速に聴いてみて、A面1曲目タイトル曲「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」で完全にぶっ飛んだ。彼がなぜ『ウルトラQ』と言ったのか、意味が解った。

ジャケットのハードボイルドなイメージどおり、なんとも言えないおどろおどろしい音楽であった。
この根源はエディ・コスタの左手にある。執拗なまでの低音へのこだわり。
そして、ピアノを弾いているというより、ハンマーで乱打しているようなパーカッシブな奏法。
「鬼気迫る」という言葉はあまり簡単に使いたくないが、今聴いても「鬼気迫る」演奏だと感じる。

「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」は10分間に及ぶ長尺な演奏だが、職人肌のベースとドラムスの的確なサポートに乗って、コスタの左手が縦横無尽に中低音を駆け巡り、その左手とは対照的に流麗で柔らかいタッチを持つ右手とが組んず解れつ、何が飛び出すか分からない玉手箱状態。
おかげで聴く方もいやがおうにも緊張感を持たされてしまい、10分間があっという間に過ぎ去る。
言い換えれば、予定調和のカクテルピアノとは対極にある演奏で、バーなどのお酒の場で女性を口説く時には使用不可。ジャズ喫茶でスピーカーと正対して拝聴する演奏だ。

パーカッシブなピアニストと言えば、セロニアス・モンクの名前が思い浮かぶが、モンクが独特のタイム感覚で音と音の「間」をつくるスタイルであることに対して、コスタは低音部の音数で「間」を埋めるスタイルである。
ある面では、音の高低はあるが、ドン・プーレンあたりに繋がるスタイルとも思える。

さて、本アルバムは1959年1月29日と2月2日にニューヨークで録音されており、コスタが28歳の時の作品。
油井正一氏のライナーによれば、彼は5歳の時からピアノのスコアを読んで育ち、プロミュージシャンとなる頃には、どんな難しい譜面も初見で弾きこなしたらしい。

また、彼はヴィブラフォンの腕前も素晴らしく(ピアノが弾けるようになってから、独学で身に付けたもの)、その結果1957年、ダウンビート誌の国際批評家投票で「ピアノ」と「ヴァイブ」の両部門で最優秀新人に選出されている。おそらく後にも先にも、二つの部門で新人賞を得たのは彼だけではないだろうか。
そのため、彼の左手がハンマーのようにピアノの鍵盤を打ち鳴らすことは、ヴァイブ奏者であったためだと言う人がいるが、これは全くの間違いだと思う。ヴァイブについては、もちろん下手ではないが、ピアノほどには個性的な演奏スタイルではない。

両部門でポール・ウイナーに輝いたにもかかわらず、彼は「新人賞をもらったことは、死神に接吻されたような気分だよ」と語っている。
この言葉を聞き、その後彼に降りかかる運命を考えると、何とも言えない気分になってしまう。

彼が持っていたずば抜けた読譜力と、ヴァイブもこなす器用さはスタジオで非常に重宝がられ、この頃から彼は全く意に沿わないスタジオ仕事に忙殺される。それも、ピアノではなくヴァイブを演奏することが多かったようだ。
スタジオ・ワークをこなしたことは、もちろん経済的な理由からで、お金さえあれば、大好きなジャズピアノに没頭していたことだろう。

そんななか、彼に悲劇が訪れる。1962年7月28日、ニューヨークのウエストサイド・ハイウェイで運転を誤って、31歳の若さで命を落とす。
もし、後20年、いや10年でも、ミュージシャンとして活動してくれていたら、どんな作品を作ったことであろうか。

このようなことから、エディ・コスタには本作『ハウス・オブ・ブルー・ライツ』以外に、完全なリーダー作と呼べるものは3枚しかない。
作品を残したレーベルもジュビリー、モード、コーラル、そして本作のドットとマイナーなレーベルばかり。
ヴァイブを演奏しないで、ピアノだけで通しているものは本作だけだ。

このあたりで、『ハウス・オブ・ブルー・ライツ』に戻ろう。
アルバムには6曲が収録されており、A面には「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」、「ダイアン」の3曲、B面には「アナベル」、「恋した時に(When I Fall In Love)」、「ホワッツ・トゥ・ヤ」の3曲。

誤解を恐れずに言うと、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は手垢にまみれたスタンダードだが、ここでのコスタはイントロから非常に個性的な解釈を示す。
「ダイアン」、「アナベル」はスインギーな演奏で、ウェンデル・マーシャルとポール・モチアンが快演。
そして、アルバムを締めくくる「ホワッツ・トゥ・ヤ」は再び10分近い長尺な演奏で、「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」と同様、コスタ・ワールド全開のトラック。

ところで、エディ・コスタを語るには欠かせないギタリストがいる。
タル・ファーロウがその人だ。1955年タル・ファーロウは初めて自己のトリオを結成する。その時のメンバーがエディ・コスタとベースのヴィニー・バーク。
彼らはニューヨークの「コンポーザー」というクラブで演奏を行い、ヴァーヴに3枚のアルバムを残す。


『TAL/Tal Farlow』
(Verve MGV8021)
タル・ファーロウ(g)
エディ・コスタ(p)
ヴィニー・バーク(b)


今の我々の耳には、ドラムレスのギター、ピアノ、ベースというトリオ編成はどうしても大人しいイメージが強く、少し間違うと間が抜けた感覚となりがちだ。よほど、ギターとピアノがドライブしないと、しまりがない印象となってしまう。

しかし、このトリオは違う。本作に収録されている「イエスタデイズ」を聴いてみて欲しい。
これをコスタ生涯最高のソロと評する人もいる名演奏で、前半は超高速で中低音をドライブしまくるタルに、同じく中低音のユニゾンでからむコスタ。
最初から全力疾走の二人に、「もう少し落ち着いたら」と言ってるようなバークのベースソロをはさんで、後半がもっとスゴイ。
バースの交換はインタープレイという言葉では片付けられない。お互い、ノーガードのどつき合い。それもフライ級のパンチではなく、ヘビー級のパンチ。そして両者の技を出し尽くした時、ゴングが鳴って演奏が終わる。そんな印象だ。

このトリオは1958年、「コンポーザー」の閉店とともに解散。
タルはもともと人前で演奏することが好きではなかったので、68年のニューポート・ジャズフェスティバルで復活を遂げるまで、ニュージャージーで看板屋に戻って、ジャズ界からは引退してしまい、「伝説」化する。
年齢的にもミュージシャンとして最も脂がのっていた時期の録音が残されていないことは残念なことで、このあたりが彼に対する過小評価に繋がっているのかもしれない。

繰り返しになるが、ジャズはスタイルと個性の音楽である。
エディ・コスタは超個性派、孤高のスタイリストであり、聴く側からすれば好きか嫌いかがはっきり分かれるミュージシャンだろう。
私は大学時代のふとしたきっかけで、エディ・コスタをウルトラQ(級)に好きになった。
「『ハウス・オブ・ブルー・ライツ』を聴いたことがないよ!」という方には、是非一度コスタ・ワールドを体験することをお薦めする。



最後に、どうしてもここで書いておきたいことがあります。
第38回のコラムでも書いた西宮北口の『Corner Pocket』(旧『DUO』)が、9月3日をもって閉店しました。昭和50年2月から37年の間、灯してきたジャズ喫茶の灯が消えました。
私は高校生の時『DUO』に足繁く通ったものの、その後はご無沙汰のしっぱなし。閉店が決まってから、7月のグローバル・ジャズ・オーケストラのライブや、閉店後に行われた備品(レコード、テーブル、椅子、食器など)のフリーマーケットに参加できたことがせめてもの慰めです。
5年前に鈴木マスターが急逝されてから、マスターの奥様(カーチャン)を始めとする関係者の皆さんの苦労は並大抵のことではなかったと思います。
本当に長い間ご苦労さまでした!




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