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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第58回

ボトムス・アップ
イリノイ・ジャケー
撰者:松井三思呂


【Amazon のCD情報】

金環日食で幕を開けた一連の天体ショーも一区切り、鬱陶しい梅雨空が続きますね。そのうえ、AKB総選挙はつつがなく終了しましたが、国政の総選挙は遠のき、消費税の税率アップだけが訳のわからない与野党協議で決まっていきます。今回はそんな鬱陶しさを吹き飛ばすような1枚を紹介したいと思います。



最近、我々放浪派4名のなかでは、「コテコテ」がちょっとしたブームである。それが証拠に、吉田さんは直近のコラムで、ブラザー・ジャック・マクダフの『ライブ!』を採り上げている。マクダフと言えば、コテコテ系オルガン番付では横綱格の人で、最近の放浪派集会でもこのアルバムで盛り上がった。『Bottoms Up/Illinois Jacquet On Prestige!』は、その集会に私が持って行ったアルバムのなかの1枚。

「Bottoms Up/Illinois Jacquet On Prestige!」(Prestige 7575)
Illinois Jacquet(ts)、Barry Harris(p)、Ben Tucker(b)、
Alan Dawson(ds)

この作品を選んだ理由は、オルガンと相並んで、コテコテの双壁であるホンカーを紹介したかったことにある。ただ、私がこのアルバムを手に入れた時には、コテコテはおろかホンカーという言葉でさえ、あまり使われていなかったように思う。

私が持っているアナログ盤は79年に当時の日本ビクターから発売されているが、岡崎正通氏の日本版ライナーにはホンカーという言葉は全く出現しない。そもそも当時の日本のレコード会社がコテコテ系をほとんど無視していたことから考えると、日本盤が出されたこと自体が奇跡的だ。恐らく、ワンホーン・アルバムでリズム隊が素晴らしく、ジャズ作品としての芸術度も高いという判断であろう。

それでは「ホンカーとは何か?」ということになる。“honk"という言葉、辞書を引いてみると、「雁が鳴く」、「警笛を鳴らす」といった意味が出てくる。どうも、単音をこれでもかと続けて吹きまくるサックスの奏法が連想されるが、いまいち良く解らない。そこで、この分野に造詣が深い吾妻光良氏と牧裕氏(スウィンギン・バッパーズのベース奏者)の言を借りれば、

<吾妻光義氏>
・とにかくゴリゴリとサックスを吹きまくり
・ブロウアーやスクリーマーとも呼ばれ
・吹く時に「ウー」とか「アー」といった声を出して音を歪ませる(ギターのディストーションのサックス版)

<牧裕氏>
・ジャズというよりむしろR&Bやジャンプ・ミュージック寄りで
・3分に1回トリ肌がたつほどグルーヴィー
・フレーズがわかりやすい
・音および演奏態度がオシャレでない

ここで、今回の主人公イリノイ・ジャケーに行く前に、ホンカー全体を俯瞰することができる優れたコンピを紹介する。デルマークから出ている『Honkers & Bar Walkers』シリーズがそれ。





「 Honkers & Bar Walkers Vol.1」(Delmark DD438)
「 Honkers & Bar Walkers Vol.2」(Delmark DD452)

ジャケットを見るだけで、中身が想像できそうな感じだが、Vol.1のジミー・フォレストの名曲「ナイト・トレイン」で始まり、Vol.2のラストの帝王キング・カーティスまで、全編ゴリゴリ、ブリブリとテナーサックスが咆哮。このシリーズは主にユナイテッド、ステイツ、アポロの音源を編纂したもので、2枚のCDで全44曲、17名のホンカーが登場する。ただ、有名どころはと言うと、ジミー・フォレスト、キング・カーティス以外ではウィリス・ジャクソンぐらいで、かなりレアな選曲である。

復習の意味も込めて、通勤の車で2日間聴き続けたところ、ホンカーの三大得意技、ホンキング(単音を「雁の鳴き声」、「警笛」のように連続で吹く)、グロウル(口で唸りながら吹くことで、サックス本来の音をディストーションさせて、「ブギャー」、「ギュイーン」というような音を出す)、フラジオ(「ギャオー」といったファズ・トーンでスクリーム(絶叫!))のオンパレードで、少し頭がクラクラしてしまった(笑)。

今まで知らなかったが、このシリーズにVol.3が出ている。チェックしてみると、エディ・チャンブリー、ワイルド・ビル・ムーアなど、相も変わらずムチャクチャ濃いメンツが並んでいる。これも近いうちにゲットしないといけない。

いよいよイリノイ・ジャケーである。彼はホンカーの元祖で、後進のテナーマンにホンクテナー教を広めた教祖だ。彼は1922年にルイジアナ州ブルサードという町で、クレオールの血を引く父とネイティブ・アメリカンの血を引く母の間に生まれている。それで、彼の名前Illinoisはイリノイ州のことではなく、インディアンの言葉で「優れた人」という意味である“Illiniwek"にちなんでいるらしい。

鉄道員の父が仕事のかたわらアマチュアバンドのリーダーをしていたことから、ジャケーは父親のバンドでアルトサックスを演奏するようになり、15歳で家族が移り住んでいたヒューストンのダンスホールで演奏するバンドからプロ活動をスタートさせている。奇遇にも、このバンドにはホンカーの元祖ナンバー2のアーネット・コブが在籍していたようだ。

ジャケーの名声を決定的にしたものが、ライオネル・ハンプトン楽団の十八番「フライング・ホーム」のソロ(42年のデッカ録音)。ハンプトンはジャケーを自分のビッグバンドに加入させる時に、アルトではなく、テナーサックスを演奏することを条件とした。このハンプトンのアイデアがホンカーの歴史を作ったと言っても過言ではない。「フライング・ホーム」は著作権切れの関係か、いろいろなCDで聴くことができるが、そのひとつが『Flying Home/Lionel Hampton』



「 Flying Home/Lionel Hampton」(Decca/MCA 42349)

今聴いてみると、それほどの阿鼻叫喚度はないものの、前述のホンカー三大技は垣間見える。特に、ホンキングは顕著で、元祖としての品格まで感じる(本人は「ホンキングの師匠はレスター・ヤング」と言っていたらしいが・・・)。

このソロはこの後ホンカーとして名を馳せるテナーマンだけではなく、ストレート・アヘッドなジャズを演奏し、ジャズ界の巨匠となっていくテナーマンにも大きな衝撃を与えた。ジミー・ヒースは「フライング・ホームは40年代にテナーで仕事をするための必須曲であった」と語っている。ソニー・ロリンズは「フライング・ホームを聴いて、テナーで食っていこうと決断した」と述懐している。また、ウェイン・ショーターもロリンズと同じく、テナーを自分の楽器として選んだ理由にジャケーの演奏を聴いたことをあげている。もちろん、コルトレーンも若き頃に少なからず影響を受けているはず。

また、エディ・ロックジョー・デイヴィスやジョニー・グリフィンはもちろんのこと、世代が違うアルバート・アイラーやジョージ・アダムスなどにもジャケーの影がちらつく。特に、ライブでノリノリの時のジョージ・アダムスはホンカーそのものだ。

この「フライング・ホーム」から26年後、ジャケー45歳の時、プレスティッジに吹きこまれたアルバムが『Bottoms Up』。本アルバムの冒頭を飾るタイトル曲「ボトムズ・アップ」は、「フライング・ホーム」のコード進行に従って作曲されたジャケーのオリジナルで、ここまでにも多くの録音を残している十八番。バリー・ハリスのイントロに導かれ、少しおとなしめにスタートするが、途中からはホンカー・テクニックの博覧会状態で、威風堂々と吹き切る、男前!

A面2曲目の「ポート・オブ・リコ」は完全にカウント・ベイシー・マナー。ジャケーはライオネル・ハンプトン楽団を退団した後(ジャケーの後任はアーネット・コブ!)、キャブ・キャロウェイ楽団を経て、45年から46年にかけてカウント・ベイシー楽団に加わっている。ベイシーはジャケーの才能を愛でて、「The End」、「The King」と呼んで重用し、「ポート・オブ・リコ」というジャケーのリーダー作ではベイシー自身がオルガンを弾いている。この曲はベイシー一家の一員として、カンサスシティ・ジャズとの親和性を見せつけたトラックで、ここでもジャケーは一人横綱状態であるが、エンディングは全員でお約束の「ベイシー終り」。放浪派集会で大橋さんと盛り上がったところである。バッキングではステディなベン・タッカーのベースが渋い。

3曲目の「ユー・レフト・ミー・オール・アローン」はジャケー作のバラード。こういうのを聴くと、日本のムード歌謡で名を馳せたサム・テイラーあたりも、ジャケーをパクっているような気がする。

A面ラストの「サッシー」はハード・バビッシュな構成。ジャケーはリラックスしながらも、少し抑え気味にソロを紡いでいく。バリー・ハリスのソロもバップ・ピアノの第一人者を感じさせる出来。

B面冒頭はジャケー作の「ジャイヴィン・ウイズ・ジャック・ザ・ベルボーイ」。アラン・ドーソンのシンバルワークに導かれて、バリー・ハリスのソロで幕を開けるこの曲では、レコーディング時期に恐らくプレスティッジ最良のリズム隊であったハリス〜タッカー〜ドーソンが、その実力を遺憾なく発揮している。ジャケーもリズム隊に煽られてノリノリ。

2曲目はスタンダード「ゴースト・オブ・ア・チャンス」。40年代からジャケーは何回もレコーディングしてきているらしく、余裕の演奏である。バラードも味がある人だ。

アルバムの最後はタッド・ダメロン作の「アワー・ディライト」で締めくくられる。大好きな曲で、いろんなミュージシャンによる演奏を持っているが、これは間違いなく五指に入る名演。ここまで書いてきて想い出したのだが、このアルバムを30年ほど前にどこかの中古盤屋で購入したのは、ジャケーではなく、ハリス〜タッカー〜ドーソンのリズム隊で、「アワー・ディライト」を演ってることに惹かれたからだ。イリノイ・ジャケーは、まあ名前は聞いたことがあるという程度であった。

なお、私は持っていないが、本アルバムのリイシューCDにはボートラとして、「ドント・ブレイム・ミー」が収録されている。

コラムを書くにあたって、イリノイ・ジャケーのことを少し調べてみた。ここまで多くの黒人テナーマンに影響を与えた人であるのに、一時期まで日本のジャズ・クリティックにおいては非常に評価が低かった。ジャケーだけではなく、ソウル・ジャズの文脈でコテコテ系に光が当たり、原田和典氏の名著『元祖コテコテ・デラックス』(ジャズ批評社)が出版される頃まで、日本の批評家はほとんどこの分野を黙殺してきていた。

その一例として、ベイシー・オーケストラへの加入と相前後して、ノーマン・グランツのJATP設立時のメンバーとなったジャケーだが、この当時のJATPにおける演奏をジャズ批評界の巨匠Y氏は「下品」と評している。まあ、今でこそコテコテ系は一定の評価を得ているが、少し前までは「芸能性」より「芸術性」でしたから。

今回はホンカーの元祖イリノイ・ジャケー、そして彼のプレスティッジ期の比較的ジャズっぽい作品を紹介した。彼は40年代から多くの録音を残しており、もっとコテコテ度が高い作品も数多い。改めて、彼を少し追いかけてみたい。そうなると、更にホンカーの深い森に彷徨い込むのは、時間の問題である気がするのだが・・・。


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