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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第51回

アット・セント・ジョージ・チャーチ(後編)
ラルフ・サットン
撰者:吉田輝之


【Amazon のCD情報】

こんにちは、吉田輝之です。今年は3月末まで寒く、桜の開花が遅れましたね。只、今年は正月も花見もお預けにしているので、桜の開花が遅れても、そうかと思う程度です。それにしても、あれから1年経ち、彼の地の様子をテレビで見ているとため息だけで、なにも声が出ません。

さて気分を替えて前回の続きです。

※※※

ドアを開けると2階への急な階段がある。電灯はついておらず暗いが、階段を上がっていくと、階段の蹴込みに「SWING」と白い大きな文字で書かれているのが暗がりの中でもはっきりとわかる。「変わっていないな」と思い、階段を上がると2階の部屋からはうっすら明かりが漏れている。今日は開いているようだ。いよいよ、「スイングの魔窟」に入るのだ。

もう7年程前だろうか。失業して約20年ぶりに神戸に帰ってきた僕は日中、街中をぶらぶらし、レコード屋を冷やかしたり、ジャズ喫茶で時間をつぶしたりの日々を過ごしていた。そのうちレコードプレイヤーの調子が悪くなり、家電量販店に買いに行ったが、量販店ではミニコンポ以外のオーディオを売っていない。すでに音楽はオーディオ装置ではなくパソコンで聞く時代になっていたのだ。そこで電話帳でオーディオ専門店を探すと、元町に「ガス燈」という店があることがわかり行ってみた。しかし電話帳にあった住所の元町北通りをウロウロして探したが、それらしき店は見当たらない。困っていたところ出前のコーヒーのカップを取りに来たとおぼしき喫茶店のお姉さんが目の前のビルから出てきたので尋ねてみると、ちょうど出てきたビルの2階にガス燈はあり、そこに出前していたという。

さっそくビルのドアをあけて暗い階段を上がっていくと「SWING 」の文字が見える。一瞬「?」となったが、気にせず2階にあるそれらしき部屋に入ると、第一声「うちはモダンは置いてないよ」といきなり言われ「??」となってしまった。
部屋を見回すと8畳位の広さであろうか、北側に椅子、ソファーにテーブルがあり60歳過ぎと思われる男性が一人ソファーに座りこんでいる。ご主人だろうか。先ほど声をかけたのはこの人だ。そして南側にCDが、東側にはレコードがきれいにラックに並べられている。
オーディオはどこにあるのかと聞くと「隣の部屋だよ。あなたはそっちの方の人?」と聞かれたので「レコード、CDにも興味があるので先にこちらをみさせてもらいます。」と答えるともう一度言われた。「ここにはモダンジャズのレコードはないよ。」その時は、その言葉の意味がまだよくわかっていなかった。

しかし、CDの棚の前に立った瞬間動けなくなった。驚愕したといってもよい。おそらく5,000枚程度のCDが並んでいたと思う。白人のベニー・グッドマン、アーチー・ショー、グレン・ミラーといった有名どこは勿論、デューク・エリントン、カウント・ベイシーといった黒人のビッグバンドのCDも大量にある。その他、キャブ・キャロウエイやフレッチャー・ヘンダーソン、ジミー・ランスフォード楽団もある。その量の多さに、ここには今まで世界中で発売された全てのスイングジャズのCDがあるのではないだろうかと思った。
しかしもっと驚いたのは、全てビーバップ以前のトラディショナルジャズ、スイングジャズであることは解るが、並ぶCDのうち9割は全然知らない楽団や奏者のものなのだ。



閑話休題。この上の文章を読み「何で、この男は何千枚ものCDを一瞬見ただけで、殆ど知らないミュージシャンのCDが殆どだとわかるのだ。おかしいではないか」と疑問に思われた方がいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、わかるのです、おかしくはないのです。
疑問を持たれたあなた、多分レコード、CDはネット通販で買うか、配信で音源をダウンロードをしてらっしゃる方、つまり日常的にレコード店(レコ屋)に行く人ではないでしょう。私のようにかれこれ10代の始めから40年以上レコ屋通いというか、前回の話の流れから言うと「レコ屋徘徊」している人間にはわかるのです。このような人間がどのような能力を身につけるか。

仮に初めてののレコード店に入ってレコードがディスプレイしてある場合、例え何枚あろうと一瞬でほしいレコードが、見えるというより目に飛び込んでくる。
次に先ほどのように、CDラックを見た場合も日本語または英語で書かれている場合は少なくとも棚の列を一瞬見て探していいたCDがわかります。じっくり見たとしても棚一列200枚としてもおそらく、首を左、前、右と各1秒で合計3秒ぐらいでしょうか。それでどんなCDが入っているか殆ど覚えます。

さらにレコードの場合は、いわゆる「エサ箱」といわれるラックに入っていてレコードを探しますが、最近の若くてCDではなくレコードを買う人はつい一枚一枚レコードをつまみ上げてはトントンと音を立てながら落としていく。その音がリズムになり実に気持ちよさそうですが、あれはしてはいけないことなのです。レコードを落とすと「底抜け」と言ってレコードの袋そしてジャケットの底が抜けてしまう、レコ屋が最も嫌う行為です。そのため、レコードを抜かずにめくっていくのですが、だいたい100枚をめくるのに2秒ぐらいでしょうか、熟練者になると殆ど指がジャケットの上を滑っているとしか見えず、しかも500枚程を一秒ぐらいで見ています。
そして達人の域に達すると「目ではなく手で観る」ようになります。
レコードを

【めくる】→【見る】→【探していたレコードと認識する】→【引き抜く】

のではなく

【めくる】→【引き抜く】→【見る】→【探していたレコードと脳が認識する】

という、
つまり、まず抜いた後で、初めてほしいレコードであることがわかるわけです。

この「フォース」はレコ屋通いしている人間なら自然と身につけますし、殆どの人はそれが「能力」という意識もないと思います。
僕は放浪派の方と殆どレコ屋廻りをしたことがないのですが、1年程前、飲み会まで少し時間があり大橋さんと二人で元町のリズムボックスに入った時、久しぶりにこの店に来たという大橋さんは、別段CDラックをみるでもなく一分程ぐるっと店内を回って「ほしいCDがないからもう出ましょう」と言っていました。

しかしながら、この一種の「映像的記憶能力」+「異様な反射神経」という「フォース」は困ったことにというか、悲しいことというか、少なくとも僕に関していうと「レコード屋」という空間しか発揮できないのです。
普段、会社ではA4のレポートを20分程かけて一枚しか読めなかったり、キャビネットにはどんなファイルバインダーが入っているが全く覚えていないし、道で歩いていると100メートル先から走ってきた80歳のおじいちゃんの乗る自転車を避けることが出来ずぶつかってしまうという有様で、ああ、情けな。
さて、世の中に全く役に立たない「フォース」の話はやめて本文に戻ります。



僕は時々、自分の全く知らないジャンル、例えばデスメタやテクノ、インディーロックなどの専門レコード店を覗くことがあるが、そこにあるCDやレコードは当然殆ど知らないが驚くことはない。それは自分が知らないだけで、知らないジャンルのレコードを知らないのは当然である。
しかしジャズについて、アメリカの古いジャズミュージシャンなら聴いたことがなくても名前ぐらいならなんとなく知っているのである。それが、ここにあるCDのミュージシャンの殆どを知らないのだ。

ジャズやロック、ソウルといったジャンルのレコードにはマーケットというものがある。その音楽ジャンルのレコードにマーケットがあるなら、情報が豊富にあり、どんなレア盤であっても最終的には金さえ出せば手に入るものである。
しかし、スイングジャズはその名の著名さに反して、少なくても日本にマーケットはない。
マーケットのない商品を扱うのは大きなリターンを得る可能性はある。自分に有利になるよう自分でマーケットを作れるからだ。しかしリスクはあまりに大きい。買い手がいなければマーケットは維持できない。このスイングジャズのCDをどれほどの人が買うのだ。
思うに、ガス燈のご主人はマーケットをつくろうなんて端から考えていないと思う。つまり商売をして儲けてやろうなんて全然考えていない。
おそらく、このご主人が作ろうと思い、実際築き上げたのはスイングジャズの「マーケット」ではなく「王国」なのだろう。

それにしても、インターネットの情報量が飛躍的に増えた現在ならまだしも、7年程前以前、そのCD棚に並んでいたミュージシャンの情報などまず取れないと断言してもよい。そこを、ここまで一般的に知られていない演奏者のCDを集めてきて販売することは、オランダ語の全くできなかった杉田玄白らが辞書もなくタートルアナトミアを翻訳したのと同じぐらいとてつもない努力と執念なくしてできることではない。

僕はレコード店(正確にはここはオーディオ店だが)に入って生まれて初めて戦慄を感じた。ご主人は、「コーヒーでも飲んでいきな」と言ってくれたが、完全にびびった僕は、レコードは見ずにそのままそそくさと逃げてしまった。

この時から僕は、この店を「ガス燈」ではなく階段に書かれていた看板から「スイング」と呼ぶようになった。
それから数年後、今度は性根をすえて寄ってみようと思い何度が行ったが、何故か結界が張られたようにみつからないのだ。最初はもう店を閉めたのではないかと思っていた。神戸のジャズバーのマスターやジャズファンという人にこの店のことを聞くが誰も知らないのである。ネットで検索しても出てこない。電話帳もなくなりもう住所電話番号がわからない。そのうち、あれは夢幻(ゆめまぼろし)だったのではないかとさえ思うようになった。

ところが、去年の11月、雑誌BRUTUSで「気持ちいい音楽」という特集記事があり、そこで音楽カフェバーの案内を読んでいると、東京神保町にある「ラルフ&サニー」というお店の紹介で、タンノイ等超高級オーディオでスイングジャズを聞かせ、珍しいスイングジャズのCDも販売しているとある。「へーえー、そんな店があるのか」と思って読んでいるとオーナーは、神戸の有名なオーディオ店「ガス燈」の娘姉妹というではないか。あの店は「まだ存在するのか」というより「本当に存在したのか」というのが正直な気持ちであった。
さらに改めてネットで「神戸 ガス燈」検索すると出てくるではないか。おそらく僕の記憶での店名は「ガス灯」であり「神戸 ガス灯」で検索したため出てこなかったのだろう。また、場所を確認すると元町北通りの一番西端の方で、僕はもっと東寄りだと思い込んでいたのだ。


その記事を読んだことと、スイングジャズでほしいレコードが何枚かありそれも見つけるのを目的として再訪することを決めた。ちなみに欲しいレコードというのは
●ビッグバンドを解散したベニー・グッドマンが結成した黄金のコンボ演奏
(テディ・ウイルソン、チャーリー・クリスチャン、ライオネル・ハンプトン、ジーン・クルーパー、ベニー・グッドマンのカルテット)
●いつの録音かはっきりしないが、ジーン・クルーパーのフェスティバルでのライブ盤
●エリントン楽団史上最高の歌手であるアイヴィー・アンダーソンのレコード
などなど。

さて、階段を上がって部屋を空けると、ご主人が座っているのは以前と同じだが何か違う?
あーッ、あれだけあったCDがない、レコードもない。CDラックがあった南面には、オ−ディオ史上屈指の名器、タンノイのオートグラフがどんと鎮座し、壁にはたくさんの写真が飾ってある。
困惑したが、ご主人から前回と同じように「まあ、珈琲でも飲んでいきなさい」と言われ椅子に座り、7年程前に一度来たこと、ブルータスの記事を読んだことなどを話した。 CD、レコードはどうしたのかと聞くと、殆ど東京の店(ラルフ&サニー)に送り今あるのは10枚程のこと、残念、残念。

ご主人は僕の記憶にある印象より、随分柔らかい物腰になっており、にこやかに話されるのだが、舌鋒は鋭い。曰く
「ヨーロッパのジャズが最近よく聞かれているようやけど(○○○○が出しているCDのことか?)、あんなん聞くようになったら終りやなぁ」

「あんた年いくつ。52歳。若いな。50代はまだモダンから抜け出されへんな。」
「60越こえなスイングはわからへんわ」

「うちで扱うのは、スピーカーはタンノイ、アンプはマランツ、ターンテーブルはトーレンス、カートリッジはオルトフォンだけや」

置いてあるタンノイ・オートグラフが新品同様のあまりに良い状態だったので、もしかしてオリジナルではなく、ティアック製かとも思い、「オートグラフは確か70年台に一時期、日本のティアックに委託生産していましたね」と聞くと
「ああ、ティアックのあんなもの、あっかいや」と一刀両断であった。
ちなみに、「あっかいや」は、「ダメだ」の意味の関西弁「アカん(開かん)」のロングフォームで、大阪で「あかへんわ」、神戸で「あけへんわ」、姫路で「あっかいや」と変化するが、関西弁の否定語として一番断定的な表現である。

そのうち、タンノイの「赤」とか「ゴールド」とかの話になり、正直に「それはなんですか?」と聞くと「モノを知らんやっちゃな」と思われたのかいろいろ説明してもらった。

その間、ずーっとタンノイ・オートグラフから流れているピアノが気になったので、誰のピアノなのか聞いてみると「ラルフ・サットンとその妹さん、バーバラとのデユエットのCDや」とのことで「ああ、これがそうか」と思った。

実は先ほどのBRUTUSの記事で、ガス燈のご主人がストライドピアノの名手ラルフ・サットンに惚れ込み、日本に招いてコンサートを主催してきたこと、それから2001年に亡くなるまで家族づきあいが続き、娘さんが店を開くときに、奥さんのサニーの名前と一緒に「ラルフ&サニー」としたと記されており、この人のピアノも聞けるかと期待していたのだ。

ご主人によると1984年から90年台半ばまでほぼ毎年招待してコンサートやジャズパーティーを開いていたという。最初はラルフ一人だけを呼び、日本人のジャズマンがバックをつけていたが、物足りなくてバックメンバーも呼ぶようになったらしい。壁に貼られている写真は日本滞在時の一行を写したものだ。
しかしこのコンサート、大赤字だったそうである。そりゃそうだろう。日本で殆ど無名のピアニストのコンサートを開くなんて無謀で、個人の道楽の域をはるかに超えている。
そうこうするうちに、お客さんというよりオーディオ仲間の人だろう、真空管アンプを抱えてこられたので、僕はかかっていたCDとあとラルフ・サットンのイギリスでのLIVE盤(2枚組)を買い、コーヒーをいただいた礼を言っておいとました。
店を出て歩きながら思った。「この通りにはジャズの鬼が二人いる。東(JAM JAM)にはモダンジャズの鬼が、西(ガス燈)にはスイングジャズの鬼が」と。

さて、その時に買ったロンドンでのライブ盤というのが、今回のレコード「Ralph Sutton / At St George Church」である。これはタイトル通りイギリスの教会でのソロコンサートだが、BBC放送で流された録音である。日本でいうならNHKが放送したのと同じであり、ヨーロッパでは日本とは比べものにならないくらい認められた存在であることがわかる。ラジオでの録音らしく最初に簡単な彼の紹介が入る。演奏している曲はティー・フォー・ツーやハニー・サックル・ローズ、エリントンナンバーなど有名な曲ばかりだ。
彼の演奏を一言で言えば「典雅」だ。タッチはどこまでも美しく粒だっており、かつ一音一音が文字通りスイングしている。ストライドピアノというのは左手でルート音とコードを交互に弾くため左手が左右に行ききするためストライド(またぐ)ピアノと命名されたラグタイム奏法から発達した奏法だ。彼は常にストライド奏法を使うというわけではないが、ここぞという時はまさに、ストライド奏法で時間をぶった切る(ラグタイム)と言ってよい程のドライブ感のある豪快な演奏を聞かせる。

彼のプロフィールをみると1922年ミズーリ州に生まれている。エロール・ガーナーより1歳若くバド・パウエルより2歳年上という、結果として時代の狭間に生まれたと言える。
最も影響を受けたのはファッツ・ウォーラーだ。
ファッツ・ウォーラーという人、日本でおそらくその著名ぶりに比べて最も聴かれていない人の一人ではないだろうか。大食漢故の太った体型に、ぎょろっとした目というユーモア漂う芸人というその雰囲気のためかモダンジャズファンはもとより、スイングジャズファンからも距離を置かれ、逆に芸能というものに理解のあるジャイブ、ジャンプミュージックファンもその洗練された曲性に馴染めないようだ。
正直、僕も今回ファッツ・ウオーラーの事をいろいろ調べ、曲を聴き直し、映像(YouTubeにたくさんアップされている)を観て、初めてその偉大さがわかった。なんと、この人25歳当時ジュリアーノ音楽院で、あの偉大は指揮者カール・ベームにベートベンなどの学理をみっちり学んでいる。それでいて映像を見ると引き込まれるような芸人としての力をもっている。
ファッツ・ウオーラーは偉大なエンタテイナーであると同時に、高い音楽性を内在した人であった。

一方、ラルフ・サットンは、ウォーラーのスイングジャズの楽しさ(ウキウキ感)を継承しつつ、ウォーラーのユーモアな風袋の奥にくるまれていた高い芸術性を発展させた人といえよう。
このレコードを聴いていると飽きることなく延々と聴いてしまう。今回買った2枚以外のレコードは聴いていないので、このレコードが彼の最高傑作とは断言できないが、間違いなく名演奏と断言できる。

※※※

【蛇足たる補足】

いつもテキストが長いとお叱りを受ける吉田輝之です。何とか、短いテキストで思いを伝える方法がないかと思案した結果、「ジャズ川柳」を詠んでみてはどうかと思い至りました。
いろいろと詠んでみましたが、コルトレーンが一番作りやすいと思いました。
マイルスやロリンズなど外人の名前は四文字が多いのですが、コルトレーンは五・七・五の五に収まり、さらに名前自体にリズムがあります。

そこで、まず一首。 

「コルトレーン、聖者めざして、子だくさん」

コルトレーンという人、藤岡さんの本を読むと二人の妻以外にも多くの女性と付き合い、子供も沢山いるそうです。しかし、そのこともこの人の場合どこか求道性があるのが不思議ですね。

二首目

「あんな奴、見返してやれよ、コルトレーン」

奴とはマイルスのことです。コルトレーンは、麻薬が原因でマイルスに殴られてバンドを首になりモンクのバンドに入るのですが、モンクがその時にコルトレーンに言った(であろう)言葉です(しかし、これは川柳か?)

三首目

「コルトレーン、別れてなおも、ネイマ吹く」

コルトレーンがネイマ(ナイマとも表記されますが)と別れ、アリスと結婚してからも曲の「ネイマ」を演奏し続けましたが、アリス・コルトレーンはどのような気持ちで伴奏していたのでしょうか。

四首目、葬儀の様子を。

「コルトレーン、死んでアイラー、男泣き」

これは当コラムの松井さんのアイラーの回を参照して下さい。

五首目、それでは最後。

「コルトレーン、ああコルトレーン、コルトレーン」

お粗末さまでした。


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