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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第28回

ハービー・ハンコック・トリオ
ハービー・ハンコック
撰者:平田憲彦


【Amazon のCD情報】

ハービー・ハンコックは記号である。それは、ジャズ、ファンク、フュージョンが混じり合った音楽の記号だ。
音楽的師匠ともいえるマイルス・デイヴィスがアメリカ音楽史を縦断するかのように自身の音楽性を進化させていった経路を踏み直すがごとくハンコックも特定のジャンルにとどまらない音楽世界を表現してきたが、しかし、マイルスのように一切を振り返ることなくひたすら前進に次ぐ前進を重ねたストイックな姿とは打って変わって、ハンコックは自身の音楽性を柔軟に動かして、ファンクをやったかと思えばアコースティックをやり、そうかと思うとポップスめいたことをやってみたりする。良く言うと融通が利いて柔軟に何でも弾ける天才肌ミュージシャン。悪く言うと節操のない器用なミュージシャン、ということになる。
ハービー・ハンコックは、ジャズ、ファンク、フュージョンが混じり合い、柔軟で節操のない器用な天才ミュージシャンという記号なのだ。

つまりハンコックは、何でも出来てしまう天才ピアニストなのだ。『これしかできません』というピアニストではない。彼はきっと、ファンキーなブルースを演奏した後に、森の中にいるような環境音楽を演奏、そして、バッハのような古典音楽を演奏する、というようなことを一気に出来てしまうのだ。
とてもじゃないが、カウント・ベイシーにはこんな芸当は無理だろう。ベイシーは『これしかできません』的なピアニストだ。

ハンコックのような何でも出来てしまう万能型のピアニストは、だからこそ、自分の音楽を演奏で表現するというよりは、複数編成のバンドアンサンブルで自身の音楽を表現することが向いているのかもしれない。ミュージカルディレクターという立ち位置である。

ハンコックがそういう音楽性を備えた優れたミュージシャンだということに、本人や周囲はいつ頃気がついたのだろうか。マイルスのクインテットにいた頃は、明らかにハンコックはプレイヤーとして認知されたいたはずで、あの素晴らしい演奏の数々は、マイルスというずば抜けた天才がリーダーシップをとっていたバンドでこそ生きていたのだ。マイルスのバンドでは、ハンコックはディレクターではなくピアノプレイヤーだった。

しかし、実はそれだけではなかったのある。
マイルスの『Four & More』は1964年の2月に演奏されたライブを収録した傑作アルバムで、マイルス・クインテットのメンバーとしてハンコックは素晴らしいプレイを聞かせている。その同じ1964年にハンコックは自身のリーダー作『Empyrean Isles』を録音している。
ハードバップにモード手法を導入し、ドライブ感満載で破壊力抜群の音楽を詰め込んだ『Four & More』と、モードジャズを基軸としながらも、クラシック音楽や前衛的なサウンド世界を導入してトータルに構築している浮遊感覚あふれる『Empyrean Isles』。同じピアニストが参加しているとは、一聴して信じがたいといえる。

翌1965年には、マイルス・クインテットのメンバーとして『E.S.P.』でプレイし、同じ年に自身のリーダー作として『Maiden Voyage(処女航海)』を録音しているのである。ハンコック作の『Little One』が両方に収録されているので聞き比べると面白い。『E.S.P.』ではハンコックはピアノプレイヤーとしての立ち位置だが、『Maiden Voyage』ではミュージカルディレクターとして世界観を作ろうとしているのがよくわかる。

マイルス・バンドでプレイヤーとして素晴らしい演奏をしながら、自身のプロジェクトではプレイヤー兼ディレクターとしてトータルなサウンドクリエイションに取り組む。1965年前後という時代、ここまで音楽を包括的に捉えて活動していたピアニストは、他に誰がいるだろうか。

音楽への指向性として、ハービー・ハンコックはピアノプレイヤーとして以上に、ミュージカルディレクター、サウンドクリエイターとしての関わりを重視しているような印象を受ける。そこまで自分で考えていたのか、あるいはレコード会社の有能なプロデューサーがハンコックをそのようにプロデュースしていたのか、それはわからないが、その後のハンコックの活動をみると、いずれにしても万能で天才的な才能を発揮して縦横無尽に音楽活動をしていったとみえる。

だからこそだろうか、ピアニストなのにピアノトリオ作がほとんどない。正式にスタジオ録音されてリリースされたのは、1960年のデビュー以来3枚しかないのだ。リーダー作だけでも40枚以上あるというのに。
それも、1977年7月13日、そして1981年7月27日、この2日間しかレコーディングしていないのだ。1960年にデビューして以来2011年に至る51年間、たったの2日間しかピアノトリオとして録音していない。

これはもう、ピアノトリオに興味がないとしか思えない。あるいは、苦手なのだろうか、というとそんなことは全くないだろう。マイルス・バンドでのハンコックのソロパートでは、その瞬間はピアノトリオになっているのだから、あの美しくスウィンギーでブルージーな演奏は歴史に刻み込まれている名演だ。ピアノトリオというフォーメーションが苦手なわけはないだろう。

きっと、やはりバンドアンサンブルが好きなのだ。そうに違いない。音楽をトータルに作り出そうとするハンコックにとって、ピアノトリオだけでアルバムを作るというのは、どこかもの足らないと思っていたのかもしれない。本人に聞かないと分からないが。

ということで、この貴重きわまりないハンコックのピアノトリオアルバムを是非聴いてもらいたいと思う。
装飾が全てそぎ落とされたかのようなストイックさでハンコックの音楽世界を堪能できる。ハードバップでもなく、かといってモードジャズと言い切れるわけでもなく、歌心があふれているかというとそこまで説明的ではないし、じゃあブルージーでファンキーかというとそうでもなく、早い話、ジャンルを越えたジャズと言える。
ただ、ハッキリと、しっかりとスウィングは生きている。そして、ピアノとベースとドラムの丁々発止が創造性豊かに繰り広げられている。

1981年のレコーディングも素晴らしいが、ここではあえて1977年のレコーディングを紹介したい。
1976年にニューポート・ジャズ・フェスティバルで演奏されたハンコックを中心としたアコースティックジャズ・セットは、マイルスとのクインテットを再現する企画でもあったらしい。しかしマイルスは体調不良で参加出来ず、それがかえってハンコックたちに公平な注目を与えることになった。すでにエレクトリックなファンクで新しい音楽を生み出そうとしていたハンコックだから、アコースティックな演奏は大きな反響を呼んで、ワールドツアー企画が実現したということだ。そのツアー中の1977年7月13日、ロスにてピアノトリオでのセッションが録音された。

ハンコックがピアノ。ロン・カーターがベース。トニー・ウィリアムスがドラム。
マイルスクインテットのリズム隊である。奇跡のようなセッションといえる。所属レコード会社がロンのみ違っていたので、セッションを2枚のアルバムに切り分け、ハンコック名義とロン名義のアルバムが出来上がったという裏話がある。そんな興味深い話がライナーノーツに丁寧に書かれている。

ハンコック名義は『Herbie Hancock Trio』、ロン名義は『Third Plane』とタイトルが付けられ、今でも普通にネットで入手できる。希少盤になっていないことに感謝である。
『Herbie Hancock Trio』では、マイルス作の1曲を除き全てハンコックの作品。『Third Plane』はとても民主的な選曲で、リーダーのロン作、トニー作、ハンコック作、そしてスタンダードがバランス良く収録されている。

日頃は裏方ばかりに回っている人が、一瞬表舞台に立ち、素晴らしい演奏をした。そんな幸福な時間を味わえるのが、このハンコック・ピアノトリオである。

ハービー・ハンコックは、ジャズ、ファンク、フュージョンが混じり合い、柔軟で節操のない器用な天才ミュージシャンという記号をこの日は脱ぎ捨て、一人のジャズプレイヤーとしてアコースティックピアノに向き合ったのである。
だからこのアルバムは、あらゆるピアノトリオのアルバムとは違う輝きを放っているのだ。


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