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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第14回

ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード
ミシェル・ペトルチアーニ
撰者:松井三思呂


【Amazon のCD情報】

「右のポケットは釣り銭、左のポケットはチップ。今日の左のポケットは寂しそうよ!」 我々3人に飲み物を運んできたウェイトレスは、エプロンのポケットを指さしながら、なかばチップを強要した。1984年3月13日の夜、NYのヴィレッジ・ヴァンガードには観客がたった5人。そのうち3人は私と当時一緒にNYに滞在していた高校時代の友人2人で、ウェイトレスの言葉ももっともな客の入りだった。

そんな観客5人の前に、ミシェル・ペトルチアーニはスタッフに抱えられて姿を現した。サイドはパレ・ダニエルソン(b)、エリオット・ジグムンド(ds)。パラパラと拍手、それに応えてペトちゃんは少しはにかんだように、“Thank you”と言って、「Nardis」を弾き始めた。

ミシェル・ペトルチアーニは1962年12月28日、南フランスプロヴァンス地方のオランジュに生まれた。生まれつき骨形成不全症という障害を持っていたため、骨が発育せず成人しても身長が1m程度で、生涯を通じて肺疾患など健康面の問題を抱え続けた。生後間もなく、医者から「寿命は20歳程度まで」と宣告されていたらしい。

4歳の時、テレビでエリントンを観たことからピアノを始めた彼は、1980年にパリで最初のアルバム「Flash」でレコードデビューした後、翌年Owlレーベルから実質的な初リーダー作である「Michel Petrucciani」をリリース。その後、カリフォルニアに居を移し、当時引退していたチャールス・ロイドをジャズシーンへ復帰させたことで、日本のジャズクリティックからも注目される。

ところで27年前の春、我々3人はヴィレッジのワシントン・スクエア近接の安ホテルを根城に、昼は近代美術館やソーホーのギャラリー、ブロードウェイ・ミュージカルのマチネー。夜はブルーノート、スイート・ベイジルなどのジャズクラブ、CBGBでハードコア・パンク・・・お気楽でアートやエンターテインメント中心の旅行を楽しんでいた。そんな我々の情報源は、週一回(確か水曜日だったと記憶している)発行されるヴィレッジ・ヴォイス誌で、ヴォイス誌には必ずヴィレッジ・ヴァンガードのスケジュールが掲載されており、3月13日からの5daysはミシェル・ペトルチアーニがブッキングされていた。

正直に言って演奏が始まるまで、我々の目的は「ミシェル・ペトルチアーニを聴くこと」ではなく、世界一著名なジャズクラブである「ヴィレッジ・ヴァンガードに行くこと」であった。そんなことを軽く吹き飛ばすように、また「ウォーミングアップは終わりましたよ」とばかりに、ペトちゃんは「Nardis」を弾き終えた。

「すごいなぁ!」「うん……本物やわ。」3人のささやきとともに、演奏が始まるまで声高に会話をしていた初老の白人男性2人もステージに釘付けになっていた。その容姿やハンディキャップが与える先入観を笑いとばすように、ペトちゃんは痛快な演奏を繰り広げ、2ndセットのアンコール「Round Midnight」が終わった時には、完全に観客はKOされていた。演奏は全くの手抜きなし、ピアノに向かう気迫に圧倒された。今流行りの言葉を使うなら、ミシェル・ペトルチアーニという音楽家の品格と魂が感じられるパフォーマンスだった。ウェイトレスのおねえちゃんは目に涙を浮かべていた。たった5人ではあったが観客の盛大な拍手に、満足そうなダニエルソンとジグムンドに抱えられたペトちゃんは軽く会釈をして、ライブは幕を閉じた。

今回紹介する「Live At The Village Vanguard」(Concord Jazz 43006)は、この衝撃体験から3日後の1984年3月16日、金曜の夜の録音である。火曜夜のライブの興奮も冷めやらない水曜日、ヴィレッジ・ヴォイス誌は前日の演奏を絶賛する記事を掲載した。どうも初老の白人男性のどちらかが、ヴォイス誌の記者だったらしい。金曜の夜、別のライブハウスに向かう前にヴィレッジ・ヴァンガードを通りかかった時、そこにはミシェル・ペトルチアーニ・トリオの開場を待つ人波が列をなしていた。初日の5人からヴォイス誌の記事でここまでの人が……、ニューヨークの凄さを思い知った一瞬でもあった。おかげで、本アルバムは熱気に溢れた多くの観客の様子も伝えている。
きっとこの夜はウェイトレスのエプロンもチップでふくらんでいたことだろう。

さて、「Live At The Village Vanguard」には8曲収録されており、現在はBlue NoteからCD1枚のフォーマットでリイシューされているが、アナログは2枚組でA〜Dの4面に各2曲が収められている。A面には「Nardis」と「Oleo」、B・C面はペトちゃんのオリジナル中心、D面の最後に「Round Midnight」という構成で、私はA面をいちばんよく聴いたものである。

サイドのパレ・ダニエルソン(b)は1946年10月、ストックホルム生まれで、70年代後半にキース・ジャレット・カルテットのメンバーとなり、ジャズシーンで頭角を現す。84年当時はペトちゃんとともに、チャールス・ロイド・カルテットのレギュラーメンバーとしても活動しているが、ロイドに彼を起用することをアドバイスしたのはペトちゃんらしい。

エリオット・ジグムンド(ds)は1945年4月、ブロンクス生まれ。75年からマーティー・モレルの後任としてビル・エバンス・トリオのレギュラーとなり、ベースのエディ・ゴメスと一緒に晩年のエバンスを支える。私は正直言って、ビル・エバンスの熱心な聴き手ではないが、このメンバーで録音された「You Must Believe In Spring」は素晴らしいと思う。

ミシェル・ペトルチアーニは1999年1月6日、肺感染症のためニューヨークの病院で他界する。36年という決して長くはない生涯であったが、私たちは30枚にも及ぶリーダー作をはじめとして、残してくれたアルバムや画像で彼の演奏にふれあうことができる。このなかには、来日時のブルーノート東京やマウント・フジのジャズフェスの演奏もあり、You Tubeでも相当数の動画がアップされているので、もしペトちゃん未体験の読者がおられたら、是非チェックしてみて欲しい。

今でもあのライブが終わった瞬間のことはよく覚えている。「ジャズは黒人に限る」と本気で思っていた青臭い私に、ペトちゃんから壮絶なしっぺ返しをくらった。個人的な話で恐縮だが、一緒に体験した2人の友人は東京で元気に活躍しており、今もジャズの聴き手である。ここまで書いてきて、彼らと「Live At The Village Vanguard」を肴に酒を飲みたくなった。多分、その時にも27年前と同じように語り合うことになるだろう。「すごいなぁ!」「うん……本物やわ。」……


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