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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第92回

ハヴィング・マイセルフ・ア・タイム
キム・パーカー
撰者:平田憲彦


【Amazon のCD情報】


マッズ・ヴィンディングの威勢のいいベースが弾力性のあるリフを奏で、これから始まるであろう心地良い時間の扉が開く、魅力的なオープニング。
そして、ケニー・ドリューのピアノとエド・シグペンのドラム、そしてキム・パーカーのボーカルが一斉に弾ける。まるでクラッカーが鳴らされたように。
ぐいぐいスウィングするゴキゲンなリズム、丁度良い具合のハスキーで伸びやかなボーカル。

アルバムのタイトルナンバー『Havin' Myself A Time』で幕を開けるこのアルバム、ケニー・ドリュー・トリオをバックにしたレディス・ジャズボーカルをたっぷり楽しめる好盤だ。世にワンホーン・カルテットなるフォーマットがあるが、さしずめこのアルバムは『ワンボーカル・カルテット』。ボーカルとバックバンド、という構図ではなく、4人全員が一体化してジャズをやっているサウンドだ。ピアノトリオ好きとボーカル好きにはたまらない一枚だろう。

なにより、1981年のケニー・ドリュートリオをたっぷり聴けることもうれしいし、そのメンバーがマッズ・ヴィンディング(ベース)、エド・シグペン(ドラム)というのだから、好きな人には最高のアルバムに違いない。そして、ボーカルがキム・パーカー。

それにしても、どこかで耳にした名前だ。
キム。そしてパーカー。



キム・パーカーという名を聞いて、すぐに何かをイメージ出来る人は、おそらくチャーリー・パーカーのファンでも少ないかもしれない。

キム・パーカーは、チャーリー・パーカーの4番目の妻であるチャンの連れ子である。

パーカーはキムをたいそう可愛がり、自分のオリジナル曲のタイトルにしたくらいだ。そのナンバーはヴァーブレコードからリリースされた『Now's The Time』に収録されているが、パーカー絶頂期に引けをとらない素晴らしいアドリブが満載の、ビバップの典型的なナンバー。実に気持ちいい演奏である。



キム・パーカーは1946年にニューヨークで生まれた。父はミュージシャンのビル・ヘイヤー、母はダンサーのベヴァリー・ドロース・バーグ。ベヴァリーが21歳の時の子である。
幼い頃に両親のビルとベヴァリーは離婚、キムはベヴァリーに引き取られ、祖母とともに生活を始める。ベヴァリーはやがてチャン・リチャードソンと改名し、ダンサー活動をしながら、ニューヨーク52番街のジャズシーンでは知られる存在となっていた。祖母もダンサーであったこともあり、幼いキムの日常にはジャズメンや芸能関係者が多かった。

1950年、母のチャンは当時のニューヨーク・ジャズシーンのスーパースターであったチャーリー・パーカーと暮らし始める。もちろん、そこには4歳のキムも一緒だ。パーカーは3番目の妻のドリスと別れ、チャンと新たな生活を始めたというわけである。ドリスとは正式に離婚していないので、法的には4番目の妻ではないチャンではあったが、パーカーにとってはまさしく妻であり、安らぎの家庭であったようだ。酒とドラッグが付きまとっていたとはいえ。

やがてチャンとパーカーの間に子供が産まれる。女の子のプリーと、男の子のベアード。キムにとっては初めての妹であり、弟であった。しかしプリーは2歳で病死してしまう。その時、父であるパーカーはツアーで留守にしていて、哀しみに満ちた電報をチャンに送ったと言われている。

酒とドラッグで不調だったパーカーと、母のチャンとの諍いは頻繁に起こり、チャンはペンシルバニアに転居することになった。もちろんキムも一緒だ。

キムは義理の父であるパーカーの思い出をインタビューで語っているが、優しく頼もしい父であったという印象ばかりが残っているという。学校までの送り迎えなどもしてもらったそうだ。

1955年3月、パーカーは急死する。キムは8歳であった。そして、遺されたチャンと、その子キム、そしてキムの弟でありパーカーの実の息子でもあるベアードは新たな生活を始めるのである。
その後、チャンはパーカーを慕っていたフィル・ウッズと親しくなっていき、1957年にウッズと再婚。ここでキムは3番目の父を持つこととなった。

11歳にして3人目の父親と生活することになるという、その人生を理解することはとても難しい。しかも全員がミュージシャンである。
フィル・ウッズがヨーロッパで活動することが多かったため、家族はフランスに移住する。母のチャンは後にフィルとも離婚するが、結局フランスが生涯の地となった。キムは米国へ戻り、大学へ入学し、そして結婚、男の子を授かる。



このアルバム『Havin' Myself A Time』がキムのデビューアルバムだが、そうとは思えない堂々たる歌いっぷり。それは生まれたときから音楽が身の回りにあふれ、祖母も母もダンサーで、3人の父親がいずれもミュージシャン、しかも一人はチャーリー・パーカー、もう一人はフィル・ウッズという驚くべき運命を考えれば、納得もできる。しかし、親がミュージシャンだからといって子にも才能が伝わるということはないので、はやりキムには音楽の神様が何かをもたらせたのかもしれない。
このアルバムを録音する前までは、数々のステージで歌ってきた経験があり、それが結実したということなのだろう。

1981年、ミラノ録音。前述の通り、バックにはケニー・ドリューのピアノトリオという申し分ないセッティング。選曲は誰もが知るスタンダードではなく、ビリーやエラも歌ってきた渋い選曲で構成している。アレンジもアップテンポからミディアム、スローまでバランスよく考え抜かれ、落ち着いた良い味を出している。

Havin' Myself A Time
Kim Parker

1. Havin' Myself A Time
2. Paris Is A Lonely Town
3. A Sleepin' Bee
4. Everything I Love
5. The Underdog
6. Rain Go Away
7. Azure

Kim Parker(vo)
Kenny Drew(p)
Mads Vinding(b)
Ed Thigpen(ds)

Recorded: 24,25 Nov 1981
Milan Italy
Label: Soul Note

ボーカルものはあまり聴かない、というジャズファンでもこのアルバムはきっと気に入ると思う。それは冒頭にも書いたが、ジャズボーカルアルバム、というよりは『ワンボーカル・カルテット』という印象の、明らかなジャズアルバムに仕上がっているからだ。
しかもケニー・ドリューのピアノが素晴らしくスウィングしている。バラードは美しくしっとりと。もちろん、マッズ・ヴィンディングのベースも正確なピッチと硬質でありながら弾力あるリズム、エド・シグペンのドラムは、ブラシもスティックも軽快な演奏で、見事という他ない。
そして、もちろんボーカルのキムがとっても良い。クセがなくて聴きやすく、悪く言えば普通な感じだが、それがかえってピアノトリオとの絶妙なマッチングで、まさに4人の調和したジャズとなっている。

キムはシンガーとしてジャズを歌い始めてからも日常の家庭生活を最優先していたようで、農業生活が主体。シンガー中心の生活ではなかったようだ。だからだろうか、リリースしてきたアルバムは少ない。

このファーストアルバム録音の翌年、1982年にはセカンドアルバムを録音している。それも『ワンボーカル・カルテット』。よほどプロデューサーがこのフォーマットを気に入ったのか、あるいはキム自身が好きな形式だったのかはわからないが、デビューから2作連続で同じフォーマットというのは珍しい。

しかもその二枚目のバックがトミー・フラナガンのピアノトリオ、驚きである。ここでもドラムはエド・シグペン。このアルバムでも気持ちのいいジャズボーカルを披露している。もちろんトミフラのピアノは安定感とスウィング感抜群。スモールコンボながらも贅沢で美しいジャズアルバムに仕上がっている。

新人のジャズシンガーがデビューアルバムでケニー・ドリュー・トリオをバックに付け、セカンドアルバムでトミー・フラナガン・トリオをバックに。ちょっとあり得ない人選である。やはりフィル・ウッズとチャンの親パワーなのだろうか。
ベテランの名優で脇を固めた新人女優が主役の映画、という雰囲気もないではない。アルバムジャケットには、キムの名前と同じくらいのインパクトで、ケニー・ドリューやトミフラの名前が記されていることからも、なんとなくそんな気もする。
ジャケット裏面には、当時の父であるフィルの推薦文が掲載されている。

そしてなんと、3枚目のアルバムはバックがマル・ウォルドロンのピアノトリオで、これまた『ワンボーカル・カルテット』、ドラムはまたまたエド・シグペン。なんだかすごい。この3枚目は若干ラテン風味もあるが、1枚目、2枚目に続く雰囲気で、同じようなアルバムを3枚連続で作るというのは、もう間違いなく意図的としか思えない。珍しいアルバム制作方法だと思うが、とても良い仕上がり。

余談だが、この3枚のアルバムはボーカルが同じシンガーで、あとのメンバーはピアノトリオという編成も同じ構造だから、ピアノがボーカルをどのようにサポートし、かつ自分の味を出そうとしているかの違いも楽しめる。ケニー・ドリュー、トミフラ、マル・ウォルドロン、3人3様に異なり、どれも素晴らしいが、この3枚に関して言えば1枚目のケニー・ドリューがずば抜けているように思う。あくまで私の個人的感覚だが。
歌伴が多いピアニストは必聴の3枚、といってもいいだろう。



資料によると、かなり多くのミュージシャンと共演経験があるようだ。パートタイム・シンガーとのことだが、パートタイムであろうがフルタイムであろうが、いい歌はいい歌である。

インタビューを読む限り、キムは自分をチャーリー・パーカーの娘として強く認識している。もちろん血のつながりはないし、それは誰もが知る事実である。しかし、自分をパーカーと名乗り、積極的にインタビューに応じて義父であるチャーリー・パーカーの思い出を語るあたり、11歳にして3人のミュージシャンを父に持つという運命に逆らわずに生きてきたのではないだろうか、と思わせる潔さがある。

そのあたりが、歌に表れているのかもしれない。
キムの歌は決して上手いというわけではないが(もちろん下手でもない)、味わい深くハスキーでリズム感がよく、そしてバラードでの囁くような声が心地よい。そして、そう、潔いのである。
巧く歌おうという計算がない。とってもナチュラル。歌に気持ちがすーっと入って行っているのが、聴いていてよく分かる。

そう考えると、ケニー・ドリューもトミー・フラナガンも、そしてマル・ウォルドロンそういうピアニストだ。抜群のテクニックを持ちながらも、その巧さを押し出すのではなく、何か斬新なことをやるのでもなく、全体にとけ込みつつスウィング感をしっかり支え、ツボを得た合いの手を入れる。アドリブもイマジネーションにあふれ、しかも自分のピアノの良さもしっかり表現。そして歌心ある演奏。

あまり知られていないアルバムだと思うし歴史的傑作とも思えないが、機会があれば是非聴いていただきたい秀作である。

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