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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第88回

ジョー・ジョーンズ・トリオ
"パパ" ジョー・ジョーンズ
撰者:平田憲彦


【Amazon のCD情報】


ジャズでジョー・ジョーンズといえば、さて、誰を連想するだろうか。 多くの人がきっとマイルス・デイヴィス・クインテット(第一期)で抜群のリズムを刻み続けたフィリー・ジョー・ジョーンズを思い浮かべると思う。あるいはファンキージャズが好きな人にとってはブーガルー・ジョー・ジョーンズのめくるめくギターが頭を駆け巡ることだろう。 今回紹介したいのは、そのいずれでもないジョー・ジョーンズ、ジャズドラムのパイオニアにしてファウンダー、後のドラマーに多大な影響を与えた"パパ" ジョー・ジョーンズである。



そもそも私がジョー・ジョーンズを知ったのは、まだジャズを聴き始めて間もない24歳くらいだったかと思う。バブル崩壊前夜の1989年、社会人になりたてであった。ジャズは大学生の時に先輩に教えてもらってからハマってしまい、もちろんジャズだけではなくロックやブルース、ゴスペルにも深入りしていたのだが、ジャズのカッコよさはそのいずれとも違っていた。その頃、原宿のジャズバーにひとりで通うようになったのも偶然とは言え、そういう年齢にさしかかっていたのだろうと今更ながらに思える。24歳は私にとって分水嶺であり、ジャズへのターニングポイントとなったのだ。

ただ、よくわからない音楽であったので、バーに来ている先輩方にいろいろ教えてもらい、またあれこれと本を買い、読みあさりながら聴きたくなったレコードを買っては聴き、ということを繰り返していた。

もう手元には無いが、今でも影響を受けたと実感している本は油井正一さんと寺島靖国さんの本だ。油井さんの本(新潮文庫)からは、ジャズの名盤中の名盤を教わった。それこそ、サキコロにはじまり、モーニン、クール・ストラッティン、そしてマイルスなどである。
寺島さんの本は『辛口ジャズノート』である。辛口過ぎて話題になり、おそらくその本から寺島さんは文筆業のキャリアもスタートしたのではないだろうか。

『辛口ジャズノート』にはほんとうに多大な影響を受け、ジャズ(含む、音楽)の聴き方をも教わったように思う。そこで紹介されているレコードはかなり聴いた。そうしていくうちに、いつかも書いたとおり、吉田さんのいう『ジャズの横滑り現象』を身をもって味わうくらいにジャズにのめり込み、気がついたら自分で自分の好きなアルバムを探し出せるまでに嗅覚が進化していった。そうして今に至る。

そんな意味でも、私にとってのジャズには油井さんと寺島さんは欠かせない人物である。今はまったくこのお二人の著述を読むことから離れてしまったし、『辛口ジャズノート』に書かれていたチャーリー・パーカーこき下ろしのテキストは、当時も今も私は同意できないが、それでもこの二人がいたからこそ多くのジャズに出会い、多くの人とも知り合えることになったことは事実である。

『辛口ジャズノート』に紹介されていたアルバムの中で、この『Kind of Jazz Night』ではウィントン・マルサリスのアルバムを取り上げたことがあるが、そういう意味では今回は2回目ということになる。
つまり、ジョー・ジョーンズが取り上げられていたというわけだ。それも、ブラシを聴くならこの一枚、というような推薦だったと思う。



その頃私は、ジョー・ジョーンズというドラマーのことはまったく知らなかった。初めはフィリー・ジョー・ジョーンズと一緒くたになっていたくらいだ。紹介されていたアルバムは『Jo Jones Trio』というもので、ピアノがレイ・ブライアント、ベースがトミー・ブライアント。つまり、ピアノトリオのアルバムであった。

レイ・ブライアントのアルバムは何枚か聴いていたのでなじみはあった。なので、凄いと言われているブラシをイメージできなかったので、もしもこのアルバムがハズレでもピアノトリオ作品としては楽しめるに違いないなどと思いながら購入した。
そして結果、やっぱり寺島さんは凄い、と思ったのである。『ブラシを聴くならこのアルバム』というその選択眼。そういう切り口でアルバムを紹介している文章は読んだことがなかったので、その推薦の仕方も刺激的だった。

私はこのアルバムを初めて聴いてから今日に至るまでの20数年間ジャズを聴き続けているが、このブラシワークが究極だと思う。

もちろん、トミフラの『Overseas』 でのエルヴィン・ジョーンズのブラシも凄い。トニー・ウィリアムスの『Spring』も強烈だ。他にもたくさんの素晴らしいブラシプレイを聴けるアルバムはある。ただ、このアルバムで聴けるブラシが最も私にとってスウィング感があるブラシサウンドであり、もっとも強い感動を与えてくれるブラシサウンドなのだ。
その感動は、音楽の感動というだけではなく人間が生み出す生命力というような感動だ。スポーツで素晴らしいプレイを目の当たりにしたときの感動に近い。

録音状態が良い事も、そのブラシプレイを堪能出来ることに寄与していると思うが、なによりジョー・ジョーンズが生み出す得体の知れないドライブ感が快感なのである。きっとベイシーたちとやっていた頃のジョー・ジョーンズも凄かったのだろうが、いかんせん当時の録音は状態がそれほど良くないのでブラシプレイの素晴らしさを感じにくい。

このアルバムは、ジョー・ジョーンズのリーダーアルバムだからということもあるのだろうが、ドラムの音量が大きめなバランスでミックスされていて、しかも粒立ちが良すぎるくらいに良いので圧倒的な存在感としてブラシワークを感じることが出来る。
ここまですごいと、『聴く』というよりは『体感する』という表現がぴったりの存在感なのである。



1曲目の『Sweet Georgia Brown』から強烈だ。出だしはドラムとピアノのシンプルなテーマ部分からスタートするスウィンギーなナンバーだが、アドリブに突入したとたんにパパ・ジョー・ジョーンズのブラシワークが炸裂。砂をかき回しているようなうねりと共に分厚く拡張感あふれるブラシプレイが展開。そして続くのは、ブラシのみならずあらゆるドラム部位を駆使したパーカッシブな万華鏡だ。とても一人で叩いているとは思えない変幻自在なリズムワーク。しかしビートは優しい。これがポイントである。
スウィングジャズが後のモダンジャズと大きく異なる点として、この『踊れる優しい音』という要素がある。聴衆を楽しませて踊らせてナンボ、という世界で生きてきたジャズマン魂ともいえる。
このアルバムが録音されたのは1959年。つまり、時代はすでにモードジャズに突入するというトレンドである。しかしパパ・ジョーは30年代のスウィング・フィーリングで堂々と演奏し、そこにレイ・ブライアントのモダン・フィーリングが絶妙にマッチするという仕上がりになっているわけだ。

3曲目の『Jive At Five』はベイシーとスイーツ・エディソン共作のスウィングの名曲だが、これも気持ちが良い。これを聴いて膝が揺れないはずはないだろう。パパ・ジョーのブラシも控えめながらも絶妙。トミー・ブライアントのビートも心地良い。レイ・ブライアントのピアノはベイシーに音数を増やしたような見事さである。
このナンバーでは、バンドとは何か、リーダーを引き立てるとはどういう演奏を指すのか、ということを深く実感できるピアノとベースを聴くことが出来る。レイ・ブライアントは明らかにベイシー流にサウンドを作っている。アドリブも、リズムも、タイミングも、あの独特なベイシー・ピアノを連想させるようなピアノなのだ。これは、パパ・ジョーのドラムを引き立てるにはベイシーモードでピアノを弾くことが最善だと判断したからに違いない。なぜなら、レイ・ブライアントにはもっと自分流のフレーズやサウンドスタイルを持っていて、それはベイシーマナーではないからだ。しかし彼は、このベイシーナンバーでベイシー流に弾いてみせる。しかも、そこに自分なりの味をしっかり加えている。なおかつ、リーダーであるパパ・ジョーのサウンドを引き立てられるようなサウンドをつくっている。こういったチームワーク、コンビネーションもジャズの楽しみのひとつである。

そして6曲目の『Philadelphia Bound』。これはもう筆舌に尽くしがたいブラシワークである。スウィンギーでドライブ感がものすごい。まさにタイトル通りのフィラデルフィアに向かう列車のごとく、凄まじい疾走感で唖然とする。ジャズのブラシで1曲だけを選べと言われれば、私はこのナンバーを選ぶ。それくらいに強烈にして痛快。もちろんブライアント兄弟の演奏も素晴らしいが、このナンバーは明らかにパパ・ジョーのブラシを聴かそうという狙いで演奏されていることは間違いないだろう。

9曲目の『 I Got Rhythm-Part II』も突き抜けている。アクセル全開といった推進力がもの凄い。ベイシーの空気感も漂っているが、しかしベイシーのピアノはここまで饒舌ではないので、やはりブライアントのピアノがパパ・ジョーを鼓舞しているのかもしれない。

11曲目の『Bebop Irishman』のブラシも恍惚的な開放感があるスウィング、そしてリズム。ああ、ブラシって気持ちいいなあと実感できる。

以上、このアルバムの聴き所として『驚異的なブラシプレイ』に絞って紹介したが、実際に寺島さんが書いているとおり『ブラシを聴くならこの一枚!』という趣旨は誇張でも何でもなく、素直でストレートな感想であるといえる。
まさに、めくるめくブラシ。



"パパ" ジョー・ジョーンズとは後年に呼ばれるようになった愛称であり、ベイシーバンドに入る前からずっとジョー・ジョーンズであったようだ。"パパ" の枕詞がついたのは、フィリー・ジョー・ジョーンズの活躍もあって両者の混同が見られるようになったことから、自然とパパ・ジョーと呼ばれるようになったようだ。もちろん、パパ、つまり『父』というリスペクトも含まれるだろう。

本名はジョナサン・デイヴィッド・サミュエル・ジョーンズ(Jonathan David Samuel Jones)という。アタマとおしりを取ってJo Jonesとなった。1911年7月にシカゴで生まれ、その後アラバマでいろいろな楽器とふれあったようだ。
1911年生まれといえば、あのロバート・ジョンソンと同年だ。もしかすると二人はどこかで出会っていたかもしれない。なにより、ロバジョンとパパ・ジョーが共演していた可能性があったことは本当の話なのだ。

というのも、1938年にCBSのプロデューサーであったジョン・ハモンドが企画したコンサート(今で言う音楽フェス的な大イベント)でハモンドはベイシー楽団を招聘している。そこにはもちろん我らがパパ・ジョーもいたわけだ。そしてハモンドはロバジョンのブッキングをオファーすべくミシシッピに使いをよこしているのである。残念ながらすでにロバジョンは死去していて、その『夢の共演』は実現しなかった。
それでも、ハモンドの驚異的な音楽フェス企画『From Spirituals to Swing』は素晴らしいイベントとして歴史に残るもので、ベイシー楽団とチャーリー・クリスチャンとの共演も含め、音楽的成果としてもずば抜けた記録となった。

話を戻そう。シカゴで生まれ、アラバマに移り住んだパパ・ジョーはドラムやタップダンスを演奏しながらキャリアを積み、ウォルター・ペイジのバンド『ブルー・デヴィルズ』に加入する。『ブルー・デヴィルズ』はそのままカウント・ベイシーのバンドに引き継がれ、フレディー・グリーンも加えた米国音楽の歴史的遺産、『All-American Rhythm section』として活躍することになる。パパ・ジョーのキャリアはここで一気に花開く。ベイシー楽団のメンバー全員がそうであったように。


Kid from Red Bank
The Complete 1938-1947 Recordings
Count Basie All American Rhythm Section
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『All-American Rhythm section』とは、ベイシーのピアノ、フレディー・グリーンのギター、ウォルター・ペイジのベース、そしてジョー・ジョーンズのドラムという4人がベイシーバンドのリズム隊であったことから、その素晴らしい演奏に敬意を込めてリズム隊に名付けられた俗称だ。正式なバンド名ではない。

All-American Rhythm sectionとしてはそれほど長期間活動したわけではなく、純粋に彼らのリズムだけを聴けるアルバムは編集盤の『Kid from Red Bank』だけである。これはデッカ時代に録音された多くのナンバーから、All-American Rhythm sectionとしてのカルテットで録音されたものだけを集めたもので、ファンには堪らない一枚となっている。
もちろんパパ・ジョーはAll-American Rhythm sectionとしてのキャリアを土台に、多くのレコーディングやライブでその素晴らしいドラムプレイを披露していた。
え、このアルバムもパパ・ジョー?という作品も結構あり、中でも私はブロッサム・ディアリーのアルバムがお気に入りだ。

ブロッサム・ディアリーなので当然のごとくボーカルアルバムだが、その編成が泣かせる。

Blossom Dearie (vo, p)
Herb Ellis (g)
Ray Brown (b)
Jo Jones (dr)

いかがだろうか。
いろんな想像がアタマを駆け巡ることと思う。ブロッサムちゃんは強者3人をバックに、というよりも、がっぷり四つに健闘している。ややドラムのサウンドがオフ気味にミックスされているのでパパ・ジョーをしっかり聴き倒すにはもの足らないし、メロウすぎるナンバーも入っていて甘さに流れるきらいもあるが、『Blossom's Blues』はなかなかのブルース。気持ちいい。


Blossom Dearie
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1985年に73歳で亡くなったパパ・ジョーだが、かつてのベイシーバンドの盟友であるレスター・ヤングと共演した『Pres & Teddy(1956年)』は生涯の名盤として私の座右から離れることはない。ベイシーバンド時代のインスピレーションに陰りを見せていたと言われる1956年のレスター・ヤングが、そのキャリア後期に演奏した名演にして名盤。スウィングの優しさとアドリブのクリエイティビティが発揮され、美しく見事なジャズアルバムとして昇華している。

ここでも、テディ・ウィルソンのピアノがレスターに刺激を与えたのではないだろうか。二人の呼応しているようなサウンドが泣かせる。
そして、このアルバムでのパパ・ジョーのプレイも美しい。全てのナンバーでブラシを使い、控えめに押さえているが、絶妙なスウィングビートを生み出している。録音も良いので聴きやすく、全ての人に聴いてもらいたい傑作だ。『円熟』とはこのアルバムのためにある言葉だろう。


Pres & Teddy
Lester Young & Teddy Willson
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パパ・ジョーのドラムを堪能できるアルバムとして、『Jo Jones Trio』以外に3枚を紹介したが、それらはドラムプレイという意味では地味である。しかし、リーダーサウンドをしっかり支えながら、グルーヴを生み出していく欠かせないパートとしてのドラムが光っている。リズム隊かくあるべし、の見本とも言えるだろう。
脇役である3枚のアルバムと、主役である『Jo Jones Trio』と聴き比べることでパパ・ジョーのドラマーとしての偉大さがより一層理解できるし、ドラムのおもしろさも味わえると思う。


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