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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第39回

アップ・アップ・アンド・アウェイ(前編)
ソニー・クリス
撰者:吉田輝之


【Amazon のCD情報】

こんにちは。吉田輝之です。ようやく寒くなってきましたね。あいかわらず腰痛と仕事が終わらないことに悩む日々です。気を取りなおして、今週の一枚はSonny Crissの「UP, UP AND AWAY」です。



「ソニー・クリスが自殺した」と聞いたのは三宮のジャズ喫茶「木馬」だったことは間違いない。1977年の11月だ。しかしかなり長い間、僕は隣の席か同席になった男性二人連れの一人が話のなかでそう言ったのをたまたま横で聞いていたと記憶していた。しかし今回クリスのことを調べていて、突然過去の記憶が戻り、少し違うことに気付いた。あの時は中学校で1年上だった久野さんという女性と一緒に木馬にいて、その時にたまたま久野さんの知り合いの大学生らしい男性が木馬に入ってきて隣の席に座り、帰り際に彼が久野さんにそう言ったのを耳にしたのだ。

久野さんというのは美人というのではないが大柄で目鼻立ちがはっきりしていて、ロック好き、酒は飲むは煙草は吸うは、ゴーゴーバー(と当時は言ったのです)には行くは、マンガは描くはといった女(ヒト)で、もう現代では死語になったが典型的な「非行少女」であった。僕らは中学生からのいわば「友達」で高校は別だったが時々会っていたのだ。

僕が最初に行ったジャズ喫茶は松井さんと同じく「さりげなく(通称さりげ)」だったが、木馬は「さりげ」と並び自分にとっていわば「ホーム」だった。
ジャズ喫茶と言えば今ほとんどなく、伝説として「みんな会話もせず難しい顔をして一心不乱にジャズを聴きこんでいる」みたいな風に現在は思われているが、実際はそんなことはない。置いてあるビッグコミックや週刊現代などを読みながら、のんびりとジャズを聴いたり寝ていたりしていたのだ。
当時の神戸のジャズ喫茶でも木馬は赤レンガ造りで、アールヌーボー調のランプがおいてあったり、オリジナルカップでコーヒーを出すなかなかしゃれた店だった。そのため、来る人は皆ジャズ好きというわけではなく、結構普通の喫茶店として来る人も多かったと思う。コーヒーも当時のジャズ喫茶としては旨い方だった。ちなみに、僕はここの常連さんの影響でコーヒーを飲むときにカップの取っ手を持つのではなく番茶を飲むようにカップそのものを親指と人指し指でもって飲む癖がついてしまった。

木馬も当時のジャズ喫茶の慣例として会話はできなかったので、彼と久野さんもほとんど会話しなかったが、帰るところなので声ぐらいかけてもよいと思ったのだろう。
その時、彼女は「そうなの」と軽くうなづいたと記憶している。僕は当時、ソニー・クリスを知らなかった。しかし知らないヒトでも、「自殺した」という即物的な言い方をされたソニー・クリスの名前が強力に印象に残った。
また、彼女とは友達だったが、今思えばやはり女性として意識していたのだろう。その男性のことが気になっていたとも印象に残った原因だろう。

ソニー・クリスのことを調べようと思ったが、レコード店には彼のレコードはなく情報は全くなかった。

クリフォード・ジョーダンの回でも書いたが、当時知らないジャズマンを聴く方法はジャズ喫茶でリクエストするしかなかった。次に木馬に行ったときにリクエストノートを見るとあったのは3枚程度であろうか。そのうち一枚をリクエストして一曲目にかかったのがサマータイムだった。第一印象は「チャルメラみたいだ」と思った。そして他のジャズ喫茶でもリクエストしたが、やはりあるのは数枚というところで、かたっぱしからリクエストをした。しかし、ジャズ喫茶でリクエストするのがソニー・クリスとクリフォード・ジョーダンって変な高校生だったよな。

ソニー・クリスについての情報は少なかったが、ウェストコーストで活動していたこと、数年前に「SATURDAY MORNING」というレコードを出してジャズ喫茶を中心に評判をとり、いわゆるハードバップ・リバイバルのブームの中心の一人であること、そして日本に来る直前に亡くなったことなどが少しづつわかってきた。最初チャルメラと感じたその音色も聞く毎に癖になり、その演奏に好きになっていった。

しかし不思議なことに、ソニー・クリスについて同じハードバップファンでも熱烈なファンがいる一方で、なんと言おうか結構悪口を言うジャズファンもいるのだ。いわくソニー・クリスは「うるさい」「軽い」「下品だ」。
僕は過去3度程 そう言うヒトと喧嘩をしたことがある。
「うるさく聴こえるのはいのは、それは恐ろしい程に楽器が鳴っているからだ。」
「軽く聴こえるのはあの難しいパーカーフレーズをやすやすと吹く程バカテクだからだ」
「下品に聴こえるのは、あんた自身が下品だからそう聴こえるのだ」

もちろん喧嘩したのは「うるさい」「軽い」「下品だ」と悪口として言った場合であり、「いやー、僕はソニー・クリスのあのうるさくて、軽くて、下品なところが大好きなんですよ」とでも言われたら、思わず「同志」と手を固く握りたくなる。

思うに、そのようにどこか悪く言われるのは「イーストコーストジャズ=黒人ジャズ、ウエストコーストジャズ=白人ジャズ、そしてイーストコーストジャズはウエストコーストジャズよりも優れている」という偏見があることから来るのではないだろうか。
少なくとも僕が喧嘩をした人は3人ともそういうヒトであった。そしてソニー・クリスを実際は殆んど聴いていないのだ。

「イーストコーストジャズ=黒人ジャズ、ウエストコーストジャズ=白人ジャズ」というの間違いではないが正確ではない。ウェストコーストにも大きな黒人ジャズ社会は存在するのだ。



閑話休題。実は今回、ソニークリスをきっかけに、ウエストコーストの黒人ジャズシーンを調べようとしたが、はっきり言ってお手上げ。このことはいずれ違う機会にでも取り上げたい。しかし簡単にいえば、ウエストコーストでのパーカーらの動きに刺激を受けてバップがウエスコーストのジャズ界を席巻していく。その影響を受けたのが当時ウエストコーストにいたケニー・ドリュー、アートー・ファーマ、ソニー・クラークといった後々パーカーを追ってニューヨークに行く面々だ。1947年に地元ロス出身のデクスター・ゴードンが帰ってくる。そして同年パーカーとガレスピーがウエストコーストに巡業にやってきて決定的な影響を与えることになる。その時パーカーが飛行機代を麻薬に使ってしまい、仕方なく行ったのがダイアル・セッションだ、ともう切りがない。

今回はここまで。次回ソニー・クリスに話を戻します。



【蛇足たる補足】
今回のコラムのジャズメンはソニー・クリスにしようかブッカー・アーヴィンにしようか悩んでいると、この二人、まるで違うタイプだが共通して「ハードボイルドなジャズメン」というキーワードが浮かんできました。
寡黙で、内面的には脆いところを抱えながらも、自分に流儀に関しては決して妥協しない男たちというイメージです。おしゃべりで、内面的だけでなく外面から見ても明らかに脆さを露呈し、常に妥協してしまう私はハードボイルドという概念から最も遠い存在ですが、それだけにそういうジャズメンは大好きです。
そこで、私が考えるハードボイルドなジャズメン10傑を選びました。

1位:デクスター・ゴードン
2位:ソニー・クリス
3位:ケニー・ドーハム
4位:ブッカー・アーヴィン
5位:レッド・ガーランド
6位:パット・マルティーノ
7位:アート・テイラー若しくはロイ・ヘインズ、はたまたアルバート・ヒース
8位:レスター・ヤング
9位:武田和命
10位:ペッパー・アダムズ

んーん、どうしてもサックス奏者が多くなってしまう。それにドラマーは悩みますね。十傑じゃないだろうとツッコミが入ってきそうです。
あと肝心な人が抜けている気もするし・・・。

皆さんは誰がハードボイルドなジャズメンと思うヒトはいますか。


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