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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第8回

アイヴ・ガット・ア・ビッグ・ファット・ウーマン
トレーメ・ブラス・バンド
撰者:平田憲彦


【Amazon のCD情報】

1992年5月27日の夜、私はメンフィスのバスディーポにいた。メンフィスといってもエジプトではなく、アメリカ合衆国・南部のメンフィスである。

ブルース生誕の地として知られるミシシッピデルタ、その中枢クラークスデイルと、ニューオリンズから北上してきたハイウェイ61号線が最初に到達する歓楽街、ビールストリートのあるメンフィス。それらの街にしばらく滞在していた私は、さらなるルーツの地、ニューオリンズへ遡行しようとしていた。

本来ならばアムトラックで行きたかったのだが、うまく便が合わず、グレイハウンドバスで行くことにしたのである。しかしそれもちょうどいい便がなく、夜の9時15分発の徹夜便に乗ることになった。ニューオリンズに着くのは翌朝の6時45分。
夜通しハイウェイ61号線を南下するバスに一人で乗る。
今から考えると、なんと無謀なことをしたのかと思うが、当時は平気だった。20歳代の特権から「向こう見ず」を取ったら、何が残るというのだろう。

バスは予想通りガラガラで、日本人、というよりもアジア人は私一人。白人と黒人が入り混じり、どう見ても金のない者同士が乗りあったという光景であった。
メンフィスで手に入れた古いギブソンを抱え、心に秘めた恐怖感を出来るだけ表に出さない様に努めて、私は中央少し後ろに席をとった。

グレイハウンドバスというと、真っ先に思い出されるのがロバート・ジョンソンのブルースだ。『俺が死んだらハイウェイのそばに埋めてくれ。そうすれば、グレイハウンドに乗ってどこへでも行ける』と、そんな風に歌われたあのグレイハウンドである。

漆黒の闇の中、ハイウェイ61号をひたすら走るバスの車内は誰も喋らない。誰もが他人なのだ。眠ろうにも気が張っているので眠気がやってこない。時折赤い光が見えたかとおもうと、あっという間に後方へと消えて行く。たいていそれは、森の中にある教会かバーの灯りだった。

アムステルダム、ロンドン、ニューヨークで、ロックやジャズ、アートの洗礼を受けてメンフィスにたどり着き、ブルースにどっぷり漬かった私は、アメリカ音楽の原点であるニューオリンズへ向おうという自然な流れを心から楽しんでいた。同時に、この真っ暗闇なハイウェイ61号の先に、果たしてルーツが見えるのだろうかと、少し心細くなっていた。つまり、生きてたどり着けるのだろうか、と。

深夜2時半ごろ、ジャクソンでトイレ休憩があった。バスから出るかどうか悩んだが、出ることにした。ほぼ全員がバスから降りてトイレに向かう。みんな男だった。
ジャクソンのバスターミナルは、巨大な道路が幾重にも頭上を交差し、私はコンクリートの塊に飲み込まれてしまいそうだった。

やがてバスは出発し、気がついたら私は眠りに落ちていた。

目が覚めたのは、光のせいだ。バスは一面水の上にいた。そこは湖だった。海のように広い湖上を突っ切る一本の橋。そこをバスは走っていた。湖面に乱反射する光がバスとその乗客を照らし、真っ青なニューオリンズの空を飛んでいるような気分だった。

6時45分、バスは予定通りニューオリンズのターミナルに着き、そこからフレンチクオーターまでまだずいぶんあることを知っていたが、この明るい日差しがなにより幸福だった。

フレンチクオーターの外れに安宿をとった私は雄大なミシシッピ川を眺めたあと、早速街へと繰り出した。

ディケイター・ストリートを歩いていたら、突然威勢のいい音が聞こえてきた。ブラスバンドである。それはわたしが子供の頃から慣れ親しんできた学校のブラスバンドではなく、まさしくジャズのブラスバンドだった。
ジャズといっても、マイルスやコルトレーンといったジャズではない、ベイシーのそれとも違う、しかし明らかにジャズであると実感できるリズム、メロディ。

ニューオリンズ・ブラスバンドがジャズのルーツのひとつだと、その時のわたしはまだ実体験としては知らなかった。単に情報として、知識として知っていたのにすぎなかった。しかし、底抜けに明るいトーン、圧倒的にポジティブな存在感、ガチャガチャうるさいくらいの猥雑さ、これがあのブラスバンドかと、彼らの演奏に釘付けになり、これがジャズの原点のひとつなんだと、やたらと納得してしまったのだ。

歩きながら演奏し、時には歌が入り、トランペットは四方八方に向いて高らかにサウンドを撒き散らす。サックスはまるで歌っているようだ。
サウンドはまったく洗練されていないし、渋くもなんともない、むしろ泥臭い。しかし、ソリストのフレーズは時折モダンであり、ブルースのようにダウンじゃない、徹底して明るい音。
深夜のハイウェイ61号という長いトンネルを抜けてたどり着いたニューオリンズ、そして青空の下で繰り広げられる明るいブラスバンド・ジャズ。どちらが夢か分からないような浮遊感覚で頭はクラクラしていた。
太鼓は普通に叩いているように見えるが、常にリズムは半拍前に後ろに移動するので、自然と膝がうごいて踊りたくなる。これぞスウィングであり、ダンスミュージックなのだろう。実際、彼らの周囲では何人もの人たちがリズムに合わせて踊っている。

ニューオリンズでは、ブラスバンドが葬送に使われるという。棺を導く列に続いてブラスバンドの列が続く光景、そこからセカンドラインという言葉も生まれたらしい。こんな明るいサウンドで葬送されたら、間違いなく天国へ行けそうだ。悲しみを明るさで覆って、ハートビートで送る。なんて素敵なことだろうか。

これがニューオリンズ・ブラスバンドか。私は心が高揚していくのを感じた。バスドラムには『TREME BRASS BAND』と不器用な字で書かれている。それもまた気さくな感じで好感が持てた。

気がついたら周りは大勢の人だかりが出来ていて、拍手喝采である。
こうやって、通りを練り歩いて演奏しているのだろう。日本でいえばチンドン屋であるが、そっちは適度な湿り気がある。片やこちらは、湿り気ゼロ、この抜けるような青空のニューオリンズで鳴り響く、天まで突き抜けるサウンドだった。

翌日、私はこの街のタワーレコードで『TREME BRASS BAND(トレメ・ブラスバンド)』のアルバムをカセットで買った。
日本に帰ってから好んで聴いていたが、とうとうテープが伸びてしまい、聴けなくなってしまった。

しかし、ありがたいことに今ではiTunesで購入できる。ずいぶん前にCDでも出たようだが、入手困難な様子なので、気軽に聴けるiTunesがおすすめだ。
ここに挙げたアルバムは、まさに私が当時現地で購入したものと内容は同じ。躍動感あるニューオリンズ・ブラスバンドを心ゆくまで堪能できる。「聖者の行進」といったニューオリンズ・スタンダードから「オール・オブ・ミー」などのジャズ・ナンバーまでが華やかなどんちゃん騒ぎで弾けている。

ニューオリンズ・ブラスバンドだったら、もちろんダーティ・ダズン・ブラスバンドや、リバース・ブラスバンドがメジャーな存在だが、トレメ・ブラスバンドには、より一層本場で流れている日常性が溢れている。

窓を開け放って、あるいは空の下で、風と光をいっぱい浴びながら聞くジャズ。
だったら、ニューオリンズ・ブラスバンドがおすすめだ。


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