万象堂
著者インタビュー
編集後記
WeBOOK
書物迷宮
ご購入
万象堂ご紹介
お便り








この書籍は、万象堂のサイトでも
通信販売をしています。

【購入の頁へ】


下はデュシャン作品の掲載頁の抜粋




















※この図録の初版には
正誤表が貼付されています※






5 『大ガラス』の断面。



『マルセル・デュシャンと20世紀美術』
国立国際美術館、横浜美術館 編
朝日新聞社 刊
『マルセル・デュシャンと20世紀美術』展図録

執筆
マイケル・テイラー、河合哲夫、北山研二、平芳幸浩

並製本、カラー作品はカラーにて掲載。
頁数:232頁(デュシャン部分までは104頁)
デュシャンの掲載作品:76点
デュシャン以外の作家の掲載作品:52点
サイズ:224×305mm
ISBN:なし




2004年に日本で開催された『マルセル・デュシャンと20世紀美術』展。約20年ぶりのデュシャン展となるその公式カタログが、この書物である。
つまり、この書物はデュシャンの作品集というよりは展覧会の図録としてあり、当然ながら展覧会の内容を反映させたものとなっている。
展覧会自体は、マルセル・デュシャンの作品のみならず、デュシャンに影響を受けた世界の作家からセレクトして集めた作品を第二部という位置づけで展示し、タイトルの通り、デュシャンとその磁場をめぐる現代美術を俯瞰するというものだ。

デュシャンの作品で掲載されているものは76点。これは、展覧会で展示されたほとんどの作品であり、カラーで掲載されている。掲載作品はデュシャンの主要な作品をほぼ網羅し、『階段を下りる裸体No.2』、『大ガラス(東京大学バージョン)』をはじめ、オブジェの起源といわれるレディメイドは京都国立近代美術館所蔵の作品を掲載している。レディメイドも、主要な作品はほぼ網羅されている。また、グリーンボックスは2点、ビギ・グループ所蔵のエッチング、ロトレリーフ、雑誌の表紙デザインなども惜しみなく掲載。さらには、『遺作』。これは、展覧会会場では投射映像と立体写真による“レプリカ”が設置され、鑑賞者を興奮に陥れた。この書物ではもちろんだが、平面に印刷されている。しかし、無意味であることは承知の上で記念碑的な視点を投げかければ、この日本において、日本で出版されるデュシャンの作品集として『遺作』の本物の写真が印刷、掲載されたのは、おそらく初めてではないだろうか。検閲、よくパスできましたね、と拍手したい。(そもそも、当局には猥褻云々のチェックを受けていないのかもしれないが)

そのように書くとわかることだが、つまり、この書物は“ベスト・オブ・デュシャン”なのだ。イイとこ取りの最たる作品集とも呼べるだろう。印刷も非常に素晴らしい。複写、製版、印刷、そのすべてがほぼパーフェクトといえる出来映えである。価格を抑えるために並製本にしたのかもしれないが、上製本だったらもっと良かった。しかし、入手しやすい価格ということでいえば、妥当な選択だといえる。

第一部としてのデュシャン作品は、以上のようなものである。
では、第二部を見てみよう。
そこには、次のような作家による作品が掲載されている。
荒川修作、アルマン、ジョン・ケージ、リチャード・ハミルトン、ジャスパー・ジョーンズ、森村泰昌、ナム・ジュン・パイク、滝口修造、アンディ・ウォーホル、横尾忠則、マン・レイ、など、そうそうたる顔ぶれによる52点の作品。

展覧会会場でも感じられることだが、デュシャンの影響力は、功罪併せ持つ強力なものであることがよくわかる。展覧会の主旨が、デュシャンのみならず、その磁場に身を置いたアーティストの表現をもまとめて、20世紀美術のある断面を露呈させるというところにある。しかし、結果はご覧の通りだ。露呈したのは20世紀現代美術の全体像ではなく、マルセル・デュシャン、という存在と、その複製物としての作品という現実だ。

表現をするということは、実はこれほど厳しいものなのだということを、目の当たりにすることになるだろう。それほどに、マルセル・デュシャンの生み出した作品には、破壊的とも言えるエネルギーが脈打っているのである。

こう書くと、第二部の作家による作品はどれも良くない、というふうに受け取られそうだが、そうではない。彼らの作品もとても良い。現代美術、というカッコを外して見ればいいし、デュシャンの磁場という視点も取り払って見ればいい。そうすれば、大変ユニークで興味深い作品が収録され、魅力ある作品集ともなっているのだ。
しかし、このようにデュシャンという磁場で見た場合、これほどの作家ですらデュシャンの影法師に見えてしまう。

この文章をお読みの方がロックに詳しいかどうか分からないが、たとえていうとこうだ。 いくら素晴らしい曲で演奏が良くても、オープンGのコードでカッティング主体のギター演奏をすると、どんなにオリジナリティを発揮してもローリング・ストーンズのフォロアーにしか聞こえない、ということだろうか。

では、この書物の意義とはなんだろうか。
まず、この2004年に最も手に入れやすいデュシャン作品集である、ということだ。それは、入手経路、価格、そのどちらも意味する。デュシャンの主要作品が76点も収録され、それも、各方面から広く集められた作品で構成され、また印刷も素晴らしいのだから、もっともオススメできる作品集であることは間違いない。
とりあえずデュシャンの作品集を一冊、という向きにはこれがいい。

それから、作品の選別。実に良くまとめられている。エッセンスが凝縮、というやつだ。“この作品を抜きにしてデュシャン作品集はないだろう”とは決していわれない、外さないセレクションである。人によっては、アレがない、コレがない、ということはもちろんあるだろうが、それでも、必要最低限のセレクションがなされている。

そして、究極とも言える意義は、『大ガラス』の断面だ。それは、我々が『大ガラス』と呼ぶあの作品、『彼女の独身者達によって裸にされた花嫁、さえも』のデュシャンによる観念的断面をかいま見ることができる。これは、実は思っても見なかった収穫なのである。この展覧会と、その図録の、最も興味深い点がここにある。ほとんどのデュシャン作品集では、それは隠蔽され見ることすらできないのだ。

それは何か。
ここには、全体像として『大ガラス』が5つ掲載されている。
まず、東京大学バージョンのレプリカとしての『大ガラス』。次に、ビギ社所蔵の、エッチングで描かれた『大ガラス』が2点。そして、富山県立美術館所蔵と国立国際美術館所蔵の『トランクの中の箱』に収録された『大ガラス』がそれぞれ1点、計2点。つまり、5点。 これらを比べてみると、興味深いことがわかる。
制作年に着目したい。『大ガラス』の制作が“永遠に未完成のまま制作を放棄”されたといわれている年が、1923年だ。東京大学バージョンは、そのレプリカの完成が1980年だから、そもそもデュシャンはそれを見ていない。つまり、自分の死後に自分の作品が完成するという、しかも、一旦“未完”というレッテルを貼った作品を“完成”させるという逆説的なことをやっている。
エッチングによる『大ガラス』は1965年の作。死ぬ3年前の版画だ。そして、問題は『トランクの中の箱』だ。1946年が富山県立美術館所蔵、1941年が国立国際美術館所蔵。この『トランクの中の箱』は1941年に完成し“出版”開始されている。これはいうまでもなくデュシャン本人が自分の作品を複製し、トランクに詰め込んだもので、自分の分身のような作品集である。
作家が自ら作った立体的作品集として異質であるばかりか、それを多数作成したことでもデュシャンのこだわりぶりが伺える。この『トランクの中の箱』に収録されている『大ガラス』には、ヒビが入っているのだ。東京大学バージョン、ビギ社所蔵のエッチングにはヒビは入っていない。つまり、『トランクの中の箱』以降に作成された『大ガラス』にはヒビが入っていないことになる。

大抵のデュシャン作品集には、『大ガラス』はヒビの入ったフィラデルフィア美術館バージョンが収録されているので、『トランクの中の箱』との差異を見分けにくい。しかしこの図録ではそれがハッキリと見て取れる。
『トランクの中の箱』を自分の作品集としたデュシャンは、実は、『大ガラス』はヒビが入った時点で完成したと判断したのではないか、という仮説が成り立つ。だから、作品集として『トランクの中の箱』にはヒビの入った『大ガラス』を収録したと考えられる。
ヒビの入った『大ガラス』の原寸レプリカを作成することは事実上不可能だが、ミニチュアの複製であればレプリカは可能だ。
実際、『トランクの中の箱』を完成させた1941年の3年後、1944年には、後に『遺作』となる『与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス』の最初の習作が描かれているのだ。つまり、『トランクの中の箱』の次の作品が『遺作』と考えることができるというわけなのである。

実は『大ガラス』は完成していた。そう考えられる仮説こそ、デュシャンが仕掛けた観念的断面である。
原寸のレプリカは、つまり、“ヒビの入っていない『大ガラス』”なのではないだろうか…。
ほとんどの作品集ではわからなかったこの断面を、この図録では垣間見ることができる。



■Book of Duchamp■TOPへ
先頭へ
サイトポリシー●Produced by Hirata Graphics Ltd. Copyright(C)2003 Hirata Graphics Ltd. All Right Reserved.