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●1● 『Book
of Duchamp』のはじまり

はじめにまずはこの数字を見てほしい。
8430:ヴァン・ゴッホ
8390:パブロ・ピカソ
8200:サルバドール・ダリ
2670:マルセル・デュシャン
2350:ポール・セザンヌ
1830:アンリ・マティス
1750:ジョアン・ミロ
さて。
これはいったいなんだろうか。
2004年1月31日にGoogleで検索してみた。
左がヒットした数。
右がキーワードだ。
ご覧の日本語キーワードで検索して、結果がこれである。
実をいうと、このキーワードで検索して引っかかったリンクは、すべてが本来探していた内容というわけではない。中には喫茶店だったり、何かの商品だったりして、実際にアーティストとしての“パブロ・ピカソ”の内容を含むものばかりというわけではないのだ。
しかし、それでも大半が本来のねらいであるアーティストの情報を含んだページが検索されている。
ここで注目されたいのは、マルセル・デュシャンの“2670”件という、その数字である。
ゴッホ、ピカソ、ダリの半分にも満たない。
これがそのまま日本での認知度、認識度に相当するのではないかと考えられる。
あくまで“考えられる”のであって、本当にそうかどうかはわからないが、的外れというわけでもないだろう。
日本では、デュシャンはピカソやゴッホの半分も知られていない。
そう仮定したならば、それはとても残念なことだ。
実際、私の周りでも、デュシャンを知らない人が結構いる。“知らない”というのは、作品を見たことがないということではなく、名前すら知らない、ということである。それも、グラフィックデザインの世界で仕事をしている人でも。
ますます残念なことだ。
マルセル・デュシャンは、20世紀美術に多大な影響を与えた芸術家だ。
今“現代美術”と呼ばれているもののなかで、デュシャンの影響を受けていない作家を捜すのは難しいだろう。ダダ、シュールレアリスム、キュビズム。いずれもデュシャンと大きな関わりを持つ。
Googleで検索したならば、ピカソと同じくらいにヒットしなければおかしいくらいの、大きなアーティストなのである。
折りもおり、2004年秋、大阪中之島にリニューアルオープンする大阪国立国際美術館の新規移転・開館記念展として、なんと『マルセル・デュシャン展』が開催されるという情報が入ってきた。これは本当に信じがたいくらいに奇跡的なことである。このような大きな会場で“デュシャン展”という名称を冠した美術展が開かれるのは、今は無き東京の西武美術館で約20年前に開催されて以来ではないか。
会期は、11月3日〜12月19日。大阪の後は横浜にも巡回する予定と聞く。2004年必見展覧会のひとつだろう。
さて、芸術作品というものは、どう考えても本物に接するのが一番。
本物というのは、現物のことである。
本物を見る。それが重要だ。
文学であれば、読む、出来れば本で。
音楽であれば、聴く、出来れば生演奏を。
美術であれば、見る、出来れば本物を。
それが一番すばらしい。
なぜ本物でなければならないか。
なぜ、画集ではいけないのか。
それは、本物には作者が考え、制作した“空気”と“痕跡”がまとわりついているからだ。
画集はあくまでアンソロジーであり、それはそれとして楽しんだり感動したりといったことはあるが、やはり“書物体験”として画集はあるのであって、芸術作品そのものを体験するには本物を見るしかないのである。
だから、2004年に日本でデュシャンの本物の作品が大量に見られるというのは、とんでもないことなのだ。
そのあまりの突然のニュースに、私はいてもたってもいられなくなった。早速、開館準備中でお忙しい、今はまだ千里の万博記念公園にある大阪国立国際美術館に突撃取材を行ったのである。
お話によれば、約70点のデュシャン作品が集められるようだ。その内訳は、フィラデルフィア美術館からがもっとも多く、あの『階段を下りる裸体』をはじめとする多数の作品。またポンピドーセンターからもタブローが数点。そして、注目の『大ガラス』は、東京大学にあるレプリカを持ってくるらしい。また、レディーメイドは京都の美術館から大量に持ってくる予定というから楽しみだ。そして、日本にはビギ・グループが多くのグラフィック作品を所有しており、出展を交渉中という事のようだ。
残念なのは、まずMOMA。ここには『列車の中の悲しき青年』があるのだが、これはMOMAもちょうど2004年秋に記念展があり、貸し出しはかなわなかったとのこと。そして、フィラデルフィア美術館にある『大ガラス』、さらに『遺作』。これはまあ、しょうがないだろう。壁面に固定されてしまっているので、館外に持ち出すことは不可能だ。しかし、有名な“ひびの入った『大ガラス』”はフィラデルフィア美術館所有であり、これはなんとしても見てもらいたい傑作なのだ。また『遺作』、これはなあ…。これは是非見ていただきたいし、私としてもまた見たいのだが、残念。
それでも、どうやら“ナイショ”の企画があるようなので、楽しみに待ちたいと思う。
あとは、“デュシャンに影響を受けた作家、デュシャンにオマージュを捧げた作家”の作品が約80点集められ、それも併設されるらしい。
80点…。デュシャンより多い…。まあ、“デュシャンを中心とした美術世界”のひとつとしての企画、ということではそういった切り口はあるのだろう。
2003年に神戸で開催されたゴッホ展でも感じたことだが、ゴッホ展であればゴッホだけ展示しても別に悪いということはない。美術展は作品の数ではないと思うし、あまり企画性を全面に出すと企画者の演出が前に出過ぎてしまい、見に行っている側としては焦点がぼけるので、企画をどのようにまとめ上げるかは、なかなか悩ましい問題ではある。
また、ピカビアの作品はないというはなしだ。デュシャン展でデュシャン以外の作家を配置するのであればピカビアは欠かせないと思うのだが、事情もあろうし、全体の中の企画があるのだろうから、しょうがないが、残念ではある。
いずれにしても、デュシャン展が“網膜的”な展覧会にだけはならないことを期待したい。
そして展覧会そのものは朝日新聞社が協賛というか、共同企画として参加しているという話だ。そもそも私がこの情報を入手したのが朝日新聞紙上だったので、そういったことからの情報開示だったようだ。
で、さっそく朝日新聞社の担当部署にもコンタクトを取った。
実をいうと、万象堂で図録を出版できないかと思ったでのである。
なぜかというと、だいたい人気のある展覧会というものは図録が割と早くなくなる。
会期終了間近に行ったらもう図録は売り切れで、再版予定もなし、なんていう悲しいことが実はよくある。
サントリー美術館で開催され2004年1月に終了した『田中一光回顧展』の図録も同様だったようで、これはあまりにも悲しい。
万象堂は仮にも出版社であるので、図録を書籍としてとり回せば会期終了後も全国の書店やウェブで長らく流通させることが出来るし、遠方で展覧会に来られない方にも『画集』として図録をお届けできる。
そんなことを考えて、大阪国立国際美術館の方にも提案し、また、朝日新聞社の担当の方にもお話ししたのであるが、残念ながらかなわないということになりそうだ。
どうも、大きな企画プロジェクトとして何社かが参画しずいぶん前から進行しているらしく、万象堂が関わる余地はなさそうである。
残念であることはその通りだが、万象堂が関わらなくても図録が適切に世に出ればそれでいいのだ。心配なのは、つくられた図録がせめてデュシャンの作品は出展作品がすべて掲載され、当然オールカラーで、図録自体もちゃんと欲しい人の手に届くのかどうか、ということなのだ。
商売としての展覧会も大切ではあるが、これは芸術であり、文化なんだから、展覧会主催者が“国立”の美術館の場合、これはある意味現代のパトロンみたいなものだ。内容充実が重要事項と私は思う。せめて売り切れなんていうことだけはないように、心よりお願いしたいと思う。
さて、そんなわけで『デュシャン展』が約20年ぶりに日本で開催される。
それを記念して、万象堂では『Book of Duchamp』と題した連載がスタートするという次第である。
本物の作品は展覧会会場でご覧になっていただくとして、万象堂では書物で体験できるデュシャンをご紹介していきたい。画集もあるけれども、多くはデュシャンの“言葉”を集めた書物である。
明晰で知的なデュシャンの言葉は、きっと読む人それぞれに多くの栄養を与えてくれることと思う。
これを機会に、一人でも多くの方がデュシャンに接し、その世界から多くを感じられることを願いたいと思う。
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