万象堂
著者インタビュー
編集後記
WeBOOK
書物迷宮
ご購入
万象堂ご紹介
お便り





澁澤華乙画集

【本の詳細を見る】

澁澤華乙画集
編集後記(1/3)


平田憲彦


書物が先か、出版社が先か。世の出版社とはどのようにして生まれるものなのだろうか。

2003年の春頃まで、万象堂はヒラタ印刷のウェブ上にのみ存在する仮想空間だった。それが、新聞紙上に掲載された一点の作品が、現実の出版社と一冊の画集を同時に誕生させることになったのだから、書物と出版社の不思議なありように思いを馳せてみたくなるのも、しかたのないことか。

書物を作ることは簡単である。そこにはただ、作る、という意志と行動があればいい。今ここで紙にスケッチを描き、あるいは文章を書き、それを何回か折り曲げて綴じたり切ったりしさえすれば、もうそれは書物である。しかし、書物にはいろいろある。

その書物にかかれてある内容を作った人が著者であり、その書物をどのようなありようにしたいかを考えるのが、編集者である。著者と編集者が同一の場合もあろうが、ふつうは別であろう。しかしながら、著者も編集者的な思考を持ち、編集者も著者的な思考を持つ。それもまた、ふつうのことである。ここでもう一人の人物が登場する。書物を、出来るだけ多くの人に手にしてもらいたいと考え具体的行動をとる人である。営業である。それもまた、著者もそう考える場合もあろうし、編集者もそう考える場合もある。あるいは、読者という存在がその書物を知り、所有したいというエネルギーが“出来るだけ多くの人”という要素を生み出すこともあるだろう。“多くの人”というのが、何十人どころではない場合、その時書物は、流通させる『商品』という姿をまとうこともある。

そんなような諸々のことがあり、書物は誕生し変容していく。
よく言われることだが、編集者は最初の読者である。原稿を最初に見て、できあがった書物を最初に見る(実は、最初に見る人は製本部門の責任者であるが…)。できあがった書物を見るのは、ほぼ間違いなく著者よりも先だ。また、書物を生み出す起点を、著者と同様に、あるいはそれ以上に編集者は持つ。おそらく、世の中に生み出されるほとんどの書物は、まず編集者が見たい読みたいと思った書物であることは間違いない。

私もそのようにして澁澤華乙さんの絵に出会い、画集を夢想したのである。

2002年の秋、朝日新聞の夕刊に一点の絵があった。『日本遺産と温泉の旅』という連載の、伊勢神宮の回だ。その絵は私を釘付けにした。絵を見て体の動きが固まることはまれにあるが、それはたいがい美術館やギャラリーの中だった。しかし、そこは新聞で、見たことのない絵があり、作者も知らない名前が印刷されていた。
私は混乱した。動転したと言っていいだろう。

新聞というものは印刷の再現性に限界がある。それに、主体がテキストなのだから、絵はあくまでも補足である。新聞という媒体はあくまでも情報を読者に提供するために存する。しかしその絵は、テキストを押しのけ、自ら強く主張していた。ことさら絵を際だたせるレイアウトではなかったにも関わらず、またその紙面には新聞にしては珍しくカラーページのため多くの色彩が使われていたにも関わらず、その絵がもつ存在感はただごとはなかったのである。

うまい絵はたくさんある。表現が優れた絵や写真は、媒体に入りきらないくらい膨大にあるのだ。しかし、うまいだけでは、見ている人の気を動転させるほどの強烈な存在感を生み出すことはない。精神論的なことを言うつもりはないが、しかし、絵を描くということは紛れもなく精神的なことだ。命がけで、あるいは無心で描かれた絵が、それとは知らなくても人の心を打つように、強い存在感を持つ絵には必ず何かがあるのである。

私はたまらず朝日新聞社にコンタクトを取った。作者である澁澤華乙という人物とどうしても話がしたかったのである。そのときは、まだ画集の企画はおろか、万象堂すら存在していなかった。私は一人の読者として、また、広告のグラフィックを制作する現場の人間としてコミットしようとしていたのである。
朝日新聞社は、きわめて紳士的に私に対応し、非常に社会的でフェアな手続きをとってくれた。そしてある日、澁澤さんから電話があったのである。

澁澤さんは、問い合わせがあった会社の名前がヒラタ印刷ということから、絵の依頼のことだろうと考えていたようだ。しかし、私は違っていた。どう違ったのかといえば、まったく具体的には何も考えていなかったのである。ただ、他の作品が見たかったのだ。なぜそうだったのかは、まだ自分でも気がついていなかった。しかし、それは澁澤さんを大きく落胆させた。絵を見たければ展覧会に来ればいいし、掲載された媒体を見ればいい。人と会うのは、絵を描くのと同じくらいエネルギーを使うのだと言う。そういう話をしながら、私はますます興味を持った。

音楽を聴きたければレコードを聴けばいい。姿を見たければライブを見に来ればいい。そう言ったジョン・レノンを思い出した。そんな話をするうち、幸いにも私に自分の本音を知る瞬間が訪れた。
私は、澁澤さんの絵が満載された書物を作りたい。そう考えていたのである。その時点ではまだ今回出版された内容の画集、という発想はなかった。その書物が、企業の販促物的なものなのか、独立したものなのか、流通させる商品としての書物なのか、そういう具体性は全くなかったが、ともかく書物であることは間違いなかった。それは、私が書物を作るということを常に夢想していたことからくる発想にすぎなかったんだろう。実際、ある企業の販促パンフレットを絵本の体裁にして作ったこともある。それは、自分の書物への思いがそうさせたのである。

私は、そんなことを簡単に話した。あなたの本を作りたい、といえば良かったんだろうが、口に出たのは画集を作りたい、という言葉だった。おそらくそれは、自分でも驚くが、かなり荒唐無稽なセリフだったと思う。しかし、澁澤さんは非常に興味をもってくれた。そして、私に会う時間をとってくれたのである。ようやく私は、澁澤さんの主要な作品を見ることが出来たというわけだ。

神戸から東京の新宿まで出て、丸の内線に乗って待ち合わせの場所に向かった。
澁澤さんは、大きなポートフォリオを抱えて店に入ってきた。そして、初対面の挨拶もそこそこに、作品を広げ始めた。
それは、すばらしい作品ばかりだった。


※続きます

▲次ページへ
先頭へ
サイトポリシー●Produced by Hirata Graphics Ltd. Copyright(C)2004 Hirata Graphics Ltd. All Right Reserved.