画集を持つという希有な体験。
澁澤さんが感じたものは…。
澁澤
ひとつお話ししておきたいことがあります。
平田
なんでしょう。
澁澤
否定的な意味ではないことをまずお断りしておきます。
あの画集が何というか、この心に入ってこないのです。
画集が出版されるなんて大変幸運で嬉しくてならないはずなのに、どうにもクールで、満足感も殊更に無いのです。
そういう自分がいぶかしく理解できなくて、ずーっと考えに考えて、やっと解りました。
あの画集は澁澤の名を冠し、澁澤のあとがきがあり、澁澤の絵があるけれど、しかし実は平田さんのものなのです。
平田
……、そう思われたんですか?
澁澤
ええ、平田さんの作品なのです。
それをさらに突き詰めていくと、最終的に辿り着くのは、共有のものという事です。共有というところに辿り着いて、心から納得できました。
朝日新聞社の、まず清水さんが、外岡さんが、三船さんが、藤原さんが次々に企画なさり、澁澤が筆を執り、万象堂の平田さんが編集なさり、読者が購入くださる。
この一連の縁起によって成り立つ流れの、どれかひとつでも欠けていたら、画集は存在しませんでした。
私にとっての満足感は、望むような絵が完成した時に生まれます。
描く課程で努力をしたという、自負心に裏打ちされた偶然ではない、完成を確認した瞬間の歓喜が幸福です。
しかるにです。画集編集には何ら努力もしていない私に満足など得られるわけがない。
あだ花だった作品を形ある実に結んで下さった。
いわば特筆すべき何もない描くだけの簡素な澁澤の人生を、肯定して下さったようなものです。
心を追求して良かったです。
素晴らしい帰着をみることができました。
ありがとうございます(笑)。
平田
それは、画集ができあがってから思いを巡らされた、澁澤さんなりの想いなんでしょうね。
澁澤
ええ、そうです。
清々しいですね。
平田
作品というのは、掲載されてるもののオリジナルこそが作品です。それを複製して一冊にしたアンソロジーみたいなものですから、画集は。誰の画集でもそれは宿命というか、それから逃れることは出来ないと思います。
アーティストブックっていうのがあって、それは、たとえば『ブナの森』だとかの原画自体を本当のページにして、バインディングして、本にするっていうのって、あるんですよ。原画そのものがページになってるっていう。それは本当に、世の中に一冊しかない。
そういう特殊なもの以外の、今の一般の書物というのは複製で成立するので。
僕も考えるに、つくったのはまさにその通りですし、万象堂という名前にはなってますけど、媒介してるんだと思うんですよね。自分のためだけにつくるんだったら一冊だけつくればいいし、あるいは100冊つくって限定の人だけに配ればいいかもしれない。
ああやって読者の人の手にわたって、感想が返ってきたり、全然知らない人もいっぱい買っていただいているわけじゃないですか。するとその人たちは気にいってくれてるんだっていう。手元に置きたいって思ってくれたんだっていう、それが一番僕が望むことなんですけどね。
澁澤
週刊新潮の表紙絵の谷内六郎のあの絵が大好きで、なんて素敵でかわいい絵なんだろうって思ってたんですけど、あの絵が好きだからって、画集を買うかっていったら私は買わないですね。
だから『澁澤華乙画集』についても同様に、買ってくださるというのは大変なことだと思います。好きだからといって画集まで買うのは大変なことだと思いました。
ご購入くださった全ての方に深々とご挨拶し、この場をお借りして、心を込めて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
(終)
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