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ロバート・ジョンソン ブルース歌詞集 全曲解説

インタビューと全曲解説は
鳥海森介さんの寄稿により、
万象堂が編集しました。




ロバート・ジョンソン
ブルース歌詞集


定価:¥2,520円(本体¥2,400+税)
B6判、上製本、176頁
ISBN4-902324-01-6 C0073


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■23■
説教ブルース
〜悪魔なんざ、またいでやるさ〜

Preachin' Blues (Up Jumped The Devil)

この曲を、驚異的なブルース、傑作中の傑作、驚くべきテクニックを駆使した最高のブルースと、いくら賛辞を重ねてみたところで、とうていそのすばらしさを言い尽くせるものではない。
確かに、どう聴いても一人で演奏しているとは思えないギターと歌のコンビネーションには息をのむし、超絶といってもいいスライドギターの演奏は、表現にかける魂の限界点を突破しているかのごとき気迫に圧倒され、音の存在感はただごとではない。誤解を恐れずにいえば、このブルースはパンクなのだ。加速感、ドライブ感はヘヴィなビートを響かせ増幅する。抑揚を効かせシャウトするヴォーカル。
それはしかし、聴けばたちどころに了解することで、いまさらここでそのすごさを書き連ねてみてもしょうがないのだ。ともかく、聴けばいい。この曲は、聴けばブルースの存在を身を持って体験できるのだから。

そう考えてもなお心に引っかかるのが、もちろん歌詞なのだ。
この歌では、7回も“blues”という言葉が出てくる。しかし、タイトルにもなっている肝心の“preach”という言葉は1回しか出てこないし、しかもそれはメロディに乗っていないセリフの中でだ。また、副題に登場する“Devil”という言葉にいたっては、歌詞中一度も出てこない。これはいったいどういうわけだろう。

副題の『Up Jumped the Devil』は、あるいは、立ち上がった悪魔、とも訳すことができる。また別の考えでは、Jumped-Upは、思い上がった、という意味もあるので、単語を逆転させて強調するという話法から考えたら、“思い上がった悪魔”と訳すのもいいのかもしれない。しかし、歌詞中で歌われている心情を察して、ごらんのような訳になった。 つまりこういうことだ。ロバートは、ブルースを悪魔と同一化させている、という解釈だ。
ここでの“ブルース”とは、音楽ジャンルのことをさす“ブルース”ではなく、思想的な観念としての“ブルース”である。ロバートはこの歌で、ブルースというものはは自分にとって負の根元という位置づけをしている。自分を落ち込ませ、払いのけたい対象としての何かを、ブルースととらえている。そして、ブルースを知らないのなら、知らないままの方がいいよとアドバイスまでしているのだ。タイトルでしか登場していない言葉、『Devil』が歌詞中で出てこないからこそ、ブルースを悪魔と同一視すると読みとれるのである。

しかし、これもまた私の解釈だ。絶対というものではない。それでも私は、ロバートの他の歌を聴けば聴くほど、ロバートは自己の運命に対する腑に落ちないものの根元として、得体の知れない“何か”を見つめていたと考えるのだ。それをある時は“Devil”と表現し、ある時は“Blues”と表現している。その着想は、後に録音した『Me And The Devile Blues』でよりいっそう確かな表現として昇華し、見事に着地している。
『Me And The Devile Blues』では、この『Preachin' Blues』をより押し進め、負の根元を自己の中に認識するという、究極とも呼べる自己の対象化がなされている。『Me And The Devile Blues』が傑作であるのは、そういった芸術表現の熟成に寄るところが大きい。

そういう意味で考えると、この1936年の11月に録音された『Preachin' Blues』は、翌年1937年の6月に録音された『Me And The Devile Blues』へと至るロバートの表現の、進化の過程を伺いしれる生々しい軌跡であるともいえるのだ。その半年の間で、いかにロバートがブルース表現において驚くべき進化と成長を遂げていたかが、このことからもわかるのである。

そしてもうひとつ。この『Preachin' Blues』は、ロバートの29曲あるブルースのうち、唯一の例外として存在していることも、大変重要だ。
それは、女、である。
ロバートの曲において女はモチーフとしてもメタファーとしてもきわめて重要な位置を与えられている。この『Preachin' Blues』だけが、女が一切登場しないブルースなのだ。深く深く自己を見つめ対象化したあげく、女という存在なしに自己を認識したのだろうか。

ブルース定型ともいえるAAB型式を逸脱し、疾走するドライブ感を伴って破壊力あるビートに乗って激しく行き交うスライドギターとシャウトするボーカル。そして、深く突き詰められ内省された歌詞には唯一女が登場せず、自己の暗黒をまっすぐにみつめる。 『Preachin' Blues』とは、そんな孤高のブルースなのだ。



さて、ここで『Preachin' Blues』の系譜を追ってみたい。
どこが起源なのかはもちろんわからない。誰かがどこかで口ずさんだ『Preachin' Blues』が、きっとあったことだろう。その中で確かな存在として記憶されているのが、ベッシー・スミスが1927年に録音した『Preachin' The Blues』だ。興味深いのは、このベッシー・スミスは“Preachin'”という言葉を、意味的には“Sing”つまり、『歌え』という意味合いで使っていることだ。これは紛れもなく英語的表現だろうが、『あいつらにブルースを歌ってやれよ!』と叫ぶその感情の入り方が、“Sing”を“Preach'”と変容させているのである。

Pianos playing till the break of day
But as I turned my head, I loudly said,
"Preach 'em blues, sing them blues"
They certainly sound good to me

『あいつらにブルースを教えてやんな! ブルースを歌ってやるんだよ!』
という感じだろうか。
『Preach』は説教という意味だが、わかりやすく言えば、教える、ということだ。 また別の解釈では、この曲では、『them』が、人のことではなくてひとつ前のラインで出てくる『pianos』を指すとも考えられるので、そうすると、『ピアノにブルースを教えてやれ、歌わせろ』、という意味合いにもなり、
『ブルースをやんな!ブルースを弾くんだよ!』
ということにもなるかもしれない。まあ、これはもっと煮詰めて考える必要があるだろうが、話を戻せば、ベッシー・スミスは『Preach』を『Sing』と同列の意味合いとして歌っている。
また、本来は宗教用語である『Preach』をブルースに無理矢理使うことで、背徳性を暗示させている効果もある。
つまり、レトリックとして『Preach』はあるのだ。

次に登場する『Preachin' The Blues』はサン・ハウスが1930年に録音したバージョンだ。録音した時代は、ベッシー・スミスが1927年、サン・ハウスは1930年である。しかし、それは録音された年なので実際はもっと前から歌っていたと考えられる。いずれにしても、ロバートが録音するよりもずっと前の歌であることは確かだ。そして、このサン・ハウスの『Preachin' The Blues』はブルースの大傑作として名高く、場合によってはロバートのバージョンよりも知られているのかもしれない。

サン・ハウスの『Preachin' The Blues』は衝撃的な歌である。Part I 、Part IIと歌詞を変えたバージョン違いが存在するが、いずれもすばらしいブルースだ。とりわけPart IIの歌詞にみられる着想がともかく強烈。

サンの“Preach”はかなりの部分、“説教”を意味する。それは“Preach”本来の意味である、教会でなされる説教だ。着想はおそらく自己の快楽への欲求と、そこから逃れようとする罪の意識との葛藤から生成されたと考えられる。『教会に入って牧師になるんだ』という思いは快楽に引き寄せられる自己をくい止めるための詭弁なのだ。詭弁であることは本人にもよくわかっている。しかし、詭弁でも使わないと快楽への道をくい止めることが出来ない。ところが、肝心の牧師やシスターは、快楽を拒絶するどころかむしろ奨励するかのごとき姿勢をとり、まるで誘っているかのようだ。それがサンを錯乱させる。
おそらくそれは、サン・ハウスの幻想なのだ。あるいは、幻覚ともいえる。そして、その幻覚の中でブルースの存在を感じる、と歌うのだ。
これはすごい歌である。やがて歌は、Preachがブルースを歌うという意味へと変容していく。
はじめには、サンにとってPreachとは紛れもなく信仰をもとに真理を語ることだったのに、牧師達が欲望を容認する姿を幻覚として認識したことで、Preachがブルースへと変容するというわけなのだ。自己に内在する忌まわしい快楽への欲求をここまで精神崩壊寸前の危うさで告白し歌ったブルースも、そうはないだろう。
もう、恐るべき歌である。これは強靱な魂だけがなせる、自己認識、自己対象化の歌に他ならない。

ロバートは間違いなくこのサン・ハウスのバージョンを聴いている。キーが同じで、全体を通して鳴り響くフィーリングも似ており、スライドギターの基本的な音の配置がかなり近いので、サンのバージョンを聞いたロバートが、自分なりのバージョンを作り上げたと考えるのが妥当だろう。サンのバージョンに、より一層加速感を付け、メリハリとドライブ感を増幅させたバージョンが、ロバートの『Preachin' Blues』である。
そして、歌詞はまったく別だが、自己を対象化し、自分の中の負を正面から認識するというサンのバージョンに見られる着想は引き継がれ、やがて『Me And Devile Blues』で着地することになる。

ともかく『Preachin' Blues』というタイトルがかなり衝撃的なので、そのタイトルからそれぞれのブルースマンは自分のブルースへの着想を得たのではないかと仮説を立てることが出来る。
ブルースに『preach』というレトリックを使う着想は実はそれほど多いというわけではない。どちらかといえば、その言葉通りの使い方として、ゴスペルでのタイトルの方が多い。

ベッシー・スミス、サン・ハウス、ロバート・ジョンソン。この3人が歌った『Preachin' Blues』は、曲調も歌詞の着想も、歌われているテーマもそれぞれ立脚点が異なるが、ひとつだけおもしろい符号に気づく。それは、『Jump Up』という言葉だ。 この3人の『Preachin' Blues』には、歌詞中に『Jump Up』という言葉がいずれにも使われているのだ。ロバートだけは、『Jump Up』ではなく『Up Jump』だが、おそらくつながっていると考えて良いだろう。
Preach と Jump up とは、彼らにとって不可分となる世界観をつくっていたのだろうか。



(文=鳥海森介)
(c) 2004 Shinsuke Toriumi


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